【絵合 11】源氏、栄華の極みで出家を思う

原文

そのころのことには、この絵のさだめをしたまふ。「かの浦々の巻は、中宮にさぶらはせたまへ」と聞こえさせたまひければ、これがはじめ、また残りの巻々ゆかしがらせたまへど、「今つぎつぎに」と聞こえさせたまふ。上にも御心ゆかせたまひて思しめしたるを、うれしく見たてまつりたまふ。はかなき事につけても、かうもてなしきこえたまへば、権中納言は、なほおぼえおさるべきにや、と心やましう思さるべかめり。上の御心ざしは、もとより思ししみにければ、なほこまやかに思しめしたるさまを、人知れず見たてまつり知りたまひてぞ、頼もしく、さりともと思されける。

さるべき節会どもにも、この御時よりと、末の人の言ひ伝ふべき例《れい》を添へむと思し、私《わたくし》ざまのかかるはかなき御遊びもめづらしき筋にせさせたまひて、いみじきさかりの御世なり。

大臣ぞ、なほ常なきものに世を思して、今すこしおとなびおはしますと見たてまつりて、なほ世を背きなんと、深く思《おぼ》ほすべかめる。「昔のためしを見聞くにも、齢《よはひ》足らで官位《つかさくらゐ》高くのぼり、世に抜けぬる人の、長くえ保たぬわざなりけり。この御世には、身のほどおぼえ過ぎにたり。中ごろなきになりて沈みたりし愁へにかはりて、今までもながらふるなり。今より後の栄えはなほ命うしろめたし。静かに籠《こも》りゐて、後の世のことをつとめ、かつは齢《よはひ》をも延べん」と思《おぼ》ほして、山里ののどかなるを占めて、御堂《みだう》を造らせたまふ。仏経《ほとけきやう》のいとなみ添へてせさせたまふめるに、末の君たち、思ふさまにかしづき出だして見む、と思しめすにぞ、とく棄てたまはむことは難《かた》げなる。いかに思しおきつるにかと、いと知りがたし。

現代語訳

その頃の宮中の仕事としては、この絵日記の評定を誰もがなさっている。(源氏)「あの浦々の巻は中宮のお手元にお置きください」と申し上げなさったので、この巻をはじめとして、他の残りの巻々も中宮は御覧になりたく思われるが、(源氏)「今に次々に」と申し上げなさる。

帝におかせられてもご満足におぼしめしているのを、源氏の大臣はうれしく拝見する。

こうした些細な事につけても、源氏の大臣がこのように斎宮の女御にお世話を焼かれるので、権中納言は、やはり弘徽殿女御への世評は圧倒されてしまうだろうか、と面白くないことに思われるようだ。

しかし帝のお気持ちは、もともと弘徽殿女御に親しみを感じていらっしゃるので、やはりこまやかに親愛のお気持ちを注いでいらっしゃるようすを、権中納言は人知れず拝見しお知りになっているから、頼もしく、絵合に負けたからといって…とお思いになるのだった。

源氏の大臣は、しかるべき節会などにも、この御時から始まったのだと、後世の人が言い伝えるだろう新しい例を加えようとお思いになり、私事のこうした些細な御遊びもめずらしい趣向でおさせになって、見事な盛りの御世である。

しかし源氏の大臣は、やはりこの世を無常なものとお思いになって、帝がもうすこしご成人なさるのをお見届けしてから、やはり世をそむいて出家しようと、深く思っていらっしゃるようである。

「昔の例を見聞きしても、若くして官位が高くのぼり、世に抜きん出た人は、長寿を保つことはできなかったことであるよ。この御世では、私は官位も声望も身に過ぎている。人生の途中で一時、亡き者のようになって沈んでいた時期があったが、その頃の愁いに引き換えて、今までも生き長らえているのだ。今より後の栄はやはり命が心配である。静かに引きこもって、後世をねがって勤行をし、一方では齢ものばすとしよう」とお思いになって、山里の閑静な場所を領有して、御堂をお作らせになる。仏像や経本のご用意もそれに加えておさせになるようだが、幼少の御子たちを、満足に育て上げたいとお思いになっているので、すぐに世をお棄てになることは難しそうである。どのようにお思いになっておられるのかと、ひどく知り難いのである。

語句

■この絵 源氏が出品した絵日記。 ■中宮にさぶらはせたまへ 「中宮ばかりには、見せたてまつるべきものなり」(【絵合 6】)。 ■はかなき事 絵合のようなたわいもないこと。 ■おぼえおさるべき 斎宮の女御方を推す世評が、弘徽殿女御方を圧倒することを心配する。 ■心やましう 面白くなく。不快に。 ■思ししみにければ 弘徽殿女御方に。 ■世を背きなん 「世を背く」は出家隠遁する。 ■身のほどおぼえ 「ほど」は官位。「おぼえ」は声望。 ■中ごろなきになりて沈みたりし 須磨明石での謫居のこと。 ■かはりて 代償として。 ■山里ののどかなる この後松風巻で、所は嵯峨野とあかされる(【松風 02】) ■末の君たち この時源氏の子は、葵の上腹の夕霧(十歳)と明石の君腹の姫君(三歳)。

朗読・解説:左大臣光永

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