【薄雲 02】乳母の説得 明石の君、姫君を手放すことを決意

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原文

さかしき人の心の占《うら》どもにも、もの問はせなどするにも、なほ「渡りたまひてはまさるべし」とのみ言へば、思ひ弱りにたり。殿もしか思しながら、思はむところのいとほしさに、しひて殿もえのたまはで、「御袴着のこと、いかやうにか」とのたまへる御返りに、「よろづのことかひなき身にたぐへきこえては、げに生ひ先もいとほしかるべくおぼえはべるを、立ちまじりてもいかに人笑へにや」と聞こえたるを、いとどあはれに思す。日などとらせたまひて、忍びやかにさるべきことなどのたまひ掟《おき》てさせたまふ。放ちきこえむことは、なほいとあはれにおぼゆれど、君の御ためによかるべきことをこそは、と念ず。

「乳母《めのと》をもひき別れなんこと。明け暮れのもの思はしさ、つれづれをも、うち語らひて慰め馴らひつるに、いとどたづきなきことさへとり添へ、いみじくおぼゆべきこと」と君も泣く。乳母も、「さるべきにや、おぼえぬさまにて見たてまつりそめて、年ごろの御心ばへの忘れがたう、恋しうおぼえたまふべきを、うち絶えきこゆる事はよもはべらじ。つひにはと頼みながら、しばしにてもよそよそに、思ひの外《ほか》のまじらひしはべらむが、やすからずもはべるべきかな」など、うち泣きつつ過ぐすほどに、十二月《しはす》にもなりぬ。

現代語訳

しっかりした人に占ってもらっても、また人に質問させなどしても、やはり「お移りになるのがよいでしょう」とばかり言うので、女君(明石の君)は気持ちが弱ってしまった。源氏の大臣も「移したほうがよい」とお思いになっていらっしゃるのだが、女君がどう思うかと気の毒なので、無理にはおっしゃりかねて、(源氏)「御袴着のことは、いかがいたそうか」とおっしゃる。そのお返事に、(明石)「万事ふがいないわが身のそばに姫君をお置き申し上げては、たしかに将来もお可哀想なことになりそうに存じますが、身分高い人々の中に私などが立ちまじっても、どれほど物笑いの種になりましょう」と申し上げるのを、源氏の君はひどく気の毒にお思いになる。

日取りなどをお選ばせになって、ひそかにしかるべき用事など言付けなさる。女君(明石の君)は姫君を手放し申し上げることは、やはりひどく悲しく思うが、「姫君の御ために一番よいだろうことを」と、心に念じている。

(明石)「姫君ばかりか乳母とも別れることになるなんて。明け暮れのもの思いや、所在なさをも語り合っていつも心を慰めてきたのに、いよいよこんな頼りないことにまでなって、これから先どんなに悲しい思いをすることになるでしょう」と明石の君も泣く。

乳母も、「そういうことになる御縁なのでしょうか。思いもよらなかった形でお仕えし始めてから、ここ数年の御心遣いは忘れがたく、恋しく思われましょうから、このまま御縁が途絶えてしまうことはまさかございますまい。いつかはまたご一緒できると頼みにしてはおりますが、しばらくお側をはなれて、思いもよらなかった二条院でのご奉公をいたしますことが、辛うございます」など、泣きながら日々を過ごしているうちに、十二月になった。

語句

■さかしき人 思慮分別のある人。 ■いかやうにか 下に「せさせたまふ」を省略。 ■たぐへきこえては「類《たぐ》ふ」は同じところにいる。連れ立つ。ここでは大堰邸に姫君を置くこと。 ■人笑へにや 明石の君は「人笑へ」を極端に気にする。 ■日などとらせたまひて 姫君が二条院に遷る日取を陰陽師などに選ばせる。 ■君の御ためによかるべきことを 下に「せめ」を省略。 ■乳母をも 乳母は明石の君懐妊の時、源氏が選んで明石に送った者。明石の君のもとで三年過ごした。 ■おぼえぬさまに見たてまつりそめて 源氏の命令で明石に向かい明石の君に仕えたこと。 ■恋しうおぼえたまふべき 「恋しう」思うのは乳母。「たまふ」は「御心」に対する尊敬語。 ■つひには 明石の君も二条の東院に移って、再会できましょうということ。 ■思ひの外のまじらひ 二条院での奉公のこと。

朗読・解説:左大臣光永

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