【薄雲 03】雪の日、明石の君と乳母、歌を唱和

雪|霰《あられ》がちに、心細さまさりて、あやしくさまざまにもの思ふべかりける身かな、とうち嘆きて、常よりもこの君を撫でつくろひつつ見ゐたり。雪かきくらし降りつもる朝《あした》、来《き》し方行く末のこと残らず思ひつづけて、例はことに端近《はしぢか》なる出でゐなどもせぬを、汀《みぎは》の氷など見やりて、白き衣《きぬ》どものなよよかなるあまた着て、ながめゐたる様体《やうだい》、頭《かしら》つき、後手《うしろで》など、限りなき人と聞こゆとも、かうこそはおはすらめ、と人々も見る。落つる涙をかき払ひて、「かやうならむ日、ましていかにおぼつかなからむ」とらうたげにうち嘆きて、

雪ふかみみ山の道ははれずともなほふみかよへあと絶えずして

とのたまへば、乳母うち泣きて、

雪まなきよしのの山をたづねても心のかよふあと絶えめやは

と言ひ慰む。

現代語訳

雪や霰が降る日が多く、心細さがつのって、「不思議にもさまざまにもの思いすることに定められていたわが身であるよ」と、ため息をついて、女君(明石の君)は、いつもよりも姫君の髪を撫でつくろいながら、見てすわっている。

雪が空を暗くして降りつもった翌朝、これまでのこと、これからのことを際限なく思いつづけて、女君は、いつもは別段、軒近いところに出ていったりなどもしないのに、汀の氷などを見やって、白い衣の萎えたのを何枚も重ね着して、ぼんやり物思いにふけっているありさま、頭の形、背中などは、限りなく高貴な方と申し上げたとしても、きっとこのようにしていらっしゃるだろう、と女房たちも見る。女君は落ちる涙をおし払って、(明石)「これから先、このような日には、ましてどれほど心細いでしょう」と痛々しげにため息をついて、

(明石)雪ふかみ…

(雪が深いので深い山の道は晴れないとしても、それでもやはり踏み通って、文を通わせておくれ。途絶えることなく)

とおっしゃると、乳母は泣いて、

(乳母)雪まなき…

(雪の晴れ間もない吉野の山を訪ねていったとしても、心の通いが途絶えることがありましょうか。そんなことはありません)

と言って慰めている。

語句

■さまざまにもの思ひ 明石での不安な生活、大堰邸での寂しい生活に加えてついに姫君まで手放すことになった。 ■汀の氷など 庭の池の水際の氷。明石の君の心象風景。後に明石の君は「冬の御方」とよばれる。 ■限りなき人と聞こゆとも 明石の君の姿の美しさは「皇女たちと言はむにも足りぬべし」(【松風 10】)とあった。 ■雪ふかみ… 「み山」は大堰。「ふみ」は「踏み」と「文」をかける。 ■雪まなき… 「もろこしの吉野の山にこもるともおくれむと思ふわれならなくに」(古今・雑躰 藤原時平、伊勢集では作者は藤原仲平で伊勢の歌への返し)を引く。歌意は、あなたが中国の吉野山にこもったとしても私はついていきます。

朗読・解説:左大臣光永

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