【薄雲 04】明石の君、姫君との別れ 姫君、二条院に入る 御袴着

原文

この雪すこしとけて渡りたまへり。例は待ちきこゆるに、さならむとおぼゆることにより、胸うちつぶれて人やりならずおぼゆ。「わが心にこそあらめ。辞《いな》びきこえむを強ひてやは。あぢきな」とおぼゆれど、軽々しきやうなりとせめて思ひかヘす。いとうつくしげにて前にゐたまへるを見たまふに、おろかには思ひがたかりける人の宿世《すくせ》かなと思ほす。この春より生《お》ほす御髪《みぐし》、尼そぎのほどにてゆらゆらとめでたく、つらつき、まみのかをれるほどなど、いへばさらなり。よそのものに思ひやらむほどの心の闇、推しはかりたまふにいと心苦しければ、うち返しのたまひ明かす。「何か。かく口惜しき身のほどならずだにもてなしたまはば」と聞こゆるものから、念じあへずうち泣くけはひあはれなり。

姫君は、何心もなく、御車に乗らむことを急ぎたまふ。寄せたる所に、母君みづから抱きて出でたまへり。片言の、声はいとうつくしうて、袖をとらへて、乗りたまへと引くも、いみじうおぼえて、

末遠きふたばの松にひきわかれいつか木だかきかげを見るべき

えも言ひやらずいみじう泣けば、さりや、あな苦しと思して、

「生ひそめし根もふかければたけくまの松にこまつの千代をならべん

のどかにを」と慰めたまふ。さることとは思ひ静むれど、えなむたヘざりける。乳母、少将とてあてやかなる人ばかり、御佩刀《みはかし》、天児《あまがつ》やうの物取りて乗る。副車《ひとだまひ》によろしき若人、童《わらは》など乗せて、御送りに参らす。道すがら、とまりつる人の心苦しさを、いかに罪や得らむと思す。

暗うおはし着きて、御車寄するより、華やかにけはひことなるを、田舎びたる心地どもは、はしたなくてやまじらはむと思ひつれど、西面《にしおもて》をことにしつらはせたまひて、小さき御調度ども、うつくしげにととのへさせたまへり。乳母の局には、西の渡殿の北に当れるをせさせたまへり。

若君は、道にて寝たまひにけり。抱《いだ》きおろされて、泣きなどはしたまはず。こなたにて御くだもの参りなどしたまへど、やうやう見めぐらして、母君の見えぬを求めて、らうたげにうちひそみたまへば、乳母召し出でて慰め紛らはしきこえたまふ。山里のつれづれ、ましていかに、と思しやるはいとほしけれど、明け暮れ思すさまにかしづきつつ見たまふは、ものあひたる心地したまふらむ。いかにぞや、人の思ふべき瑕《きず》なきことは、このわたりに出でおはせで、と口惜しく思さる。しばしは人々求めて泣きなどしたまひしかど、おほかた心やすくをかしき心ざまなれば、上にいとよくつき睦《むつ》びきこえたまへれば、いみじううつくしきもの得たりと思しけり。他《こと》ごとなく抱き扱ひ、もてあそびきこえたまいて、乳母も、おのづから近う仕うまつり馴れにけり。またやむごとなき人の乳《ち》ある、添へてまゐりたまふ。

御|袴着《はかまぎ》は、何ばかりわざと思しいそぐ事はなけれど、けしきことなり。御しつらひ、雛《ひひな》遊びの心地してをかしう見ゆ。参りたまへる客人《まらうと》ども、ただ明け暮れのけぢめしなければ、あながちに目もたたざりき。ただ、姫君の襷《たすき》ひき結《ゆ》ひたまへる胸つきぞ、うつくしげさ添ひて見えたまひつる。

現代語訳

この雪が少し解けてから源氏の君は大堰邸においでになった。女君(明石の君)は、いつもはお待ち申し上げているのに、あの話だと思っていたものだから、胸がつぶれる思いで、これも自分から招いたことだと思う。(明石)「私の気持ち次第なのだろう。もし嫌だと私が申し上げれば源氏の君は強いて姫君を連れていくとはおっしゃるまい。つまらないことになった」という思いになるが、一度承諾したことを今更撤回するのも軽々しいようだと必死に思い返している。

源氏の君は、姫君がたいそう可愛らしく目の前に座っていらっしゃるのを御覧になるにつけ、「いい加減に思うことはできないこの人との前世からの契であったのだな」とお思いになる。

姫君は、この春からのばしていらっしゃる御髪が、尼そぎの程度でゆらゆらと美しくゆれて、頬の形、目元が美しく色づいているのなど、言うまでもなく素晴らしい。

この姫君をよそのものとして遠くから思いやることになる女君の親心をご想像なさるにつけ、源氏の君は、たいそう心苦しいので、繰り返し事情をご説明になる。

(明石)「どういたしまして。せめて私のようなつまらない身のほどでなく姫君をお取り扱いくださるなら…」と申し上げるのだが、我慢できずに泣き出す様子は気の毒である。

姫君は、無邪気に、御車に乗ることをおせかしになる。車を寄せている所に、母君みずから姫君を抱いて出ていらした。姫君は、片言の声はたいそう可愛くて、母の袖をとらえて、「乗ってください」と引くのも、たまらなく悲しくて、

(明石)末遠き…

(行く末遠い双葉の松…この子と別れて、いつまた立派に成長した姿を見ることができるのでしょうか)

女君が、おしまいまで言うことができず、たいそう泣くので、源氏の君は、「無理もない、ああ辛いことよ」とお思いになって、

(源氏)「生ひそめし…

(この姫君が生まれてきた前世からの契も深いのですから、武隈の相生の松(私たち)に千代も繁栄する小松の木(姫君)を並べましょう)

どうかくよくよしないでください」とお慰めになる。女君は「その通りだ」とは思って心を静めるのだが、それでも悲しみをこらえることができないのだった。乳母と、少将といって身分の高い女房だけが、御佩刀、天児《あまがつ》といったような物を取って車に同乗する。

付添の車にはしっかりした若女房、童など乗せて、御送りに参らせる。道すがら、後に残るとどまる人(明石の君)の心苦しさを、源氏の君は、「なんと私は罪作りなことをしていることか」とお思いになる。

暗くなってから二条院にお着きになって、御車を御殿に寄せるとすぐに、華やかにあたりの雰囲気が違っているから、田舎じみた人々の気持ちには、居心地悪く奉公することになるのではと心配したが、西面を格別に整備させなさって、小さな調度品なども、かわいらしげにお調えさせなさっている。乳母の局としては、西の渡殿の北にあたる部屋をお当てになられる。

若君は、道の途中で寝ておしまいになった。抱きおろされても、泣きなどはなさらない。こちらで御菓子を召し上がりなどなさったが、次第に辺りを見回して、母君の姿が見えないのを探して、かわいらしげにめそめそなさるので、乳母を召し出して姫君のお気を慰め紛らわせてさしあげなさる。

「あちらの山里の所在なさは、ましてどれほど辛いことであろう」と、思いやられるにつけても気の毒ではあるが、こちらの御邸で明け暮れ思いのままに可愛がりつつお育てなさることは、女君(明石の君)も、よいことだというお気持ちがなさることだろう。「さてどうしたものか、世間の人からの非難を避けるためには、こちら(紫の上)に御子がお生まれになるのがよいのだがそのようすもなくて…」と、源氏の君は残念にお思いになる。

姫君はときどき女房たちを求めて泣きなどなさったが、大体は、人見知りせず、かわいらしいご性分であるので、西の対の上(紫の上)にたいそうよく懐き申し上げなさるので、上(紫の上)は、「とても可愛いものを手に入れた」とお思いになるのだった。無心で抱いてあやして、遊んでおさしあげになるので、乳母も自然と上(紫の上)の近くにお仕え申し上げることに馴れていくのだった。また身分の高い女房で乳が出る者を、乳母に加えてさしあげなさる。

御袴着は、別段わざわざご用意なさる事はなかったが、それでもやはり袴着の日なので、ふだんとは様子が違っている。部屋の御飾りつけは、人形遊びのような感じで、おもしろく見える。参上なさっている客人たちも、ふだんも朝も晩もけじめなく立て込んでいるから、それほど袴着だからといって目立つこともなかった。ただ、姫君の襷をひき結ばれている胸の格好が、可愛さがいつも以上にお見受けされた。 

語句

■さならむ 「さ」は源氏が姫君を迎えに来たこと。 ■人やりならず 人に強いられたのではなく自分からやったこと。 ■強いてやは 下に「移し給はむ」などを省略。 ■あぢきな 自分が強く姫君の引取に反対したら源氏の君は強いて姫君を連れて行くとは言わなかったろうに、そこまで強く反対しなかった自分の押しの弱さから今の事態を招いてしまった。そのことを「あぢきな」と後悔するのである。 ■人の宿世 明石の君との宿縁。 ■尼そぎのほど 尼の髪と同じくらいの長さに、肩のあたりで切りそろえている。 ■心の闇 「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰・雑一 藤原兼輔)。 ■のたまひ明かす 事情を説明する。 ■何か 相手の話に否定的に返す言葉。 ■もてなしたまはば 下に「嬉しかるべし」などを省略。 ■寄せたる所 大堰邸には車寄せがないよので簀子に直接車を寄せて、乗る。 ■母君みづから 明石の君がみずから姫君を抱いて簀子まで出てくるのは異例。いつもは几帳の奥にいる(【松風 10】)。それが直接出てきたのは、いよいよ別れといった切実さがある。 ■末遠き 「ふたばの松」は姫君。「ひき」は「松」の縁語。正月の子の日に小松を引いて長寿を願う風習から。 ■さりや さありや。明石の君がそう思うのは当然だという源氏の気持ち。 ■生ひそめし… 「根」に「子」と「寝」をかける。「武隈の松」は宮城県名取郡岩沼町にあった歌枕。「松」は明石の君、また源氏と明石の君の夫婦。「こまつ」は姫君。「みちのくにの守にまかり下れりけるに、武隈の松の枯れて侍りけるを見て、小松を植ゑつがせて、任果ててのち、又同じ国にまかりなりて、かのさきの任に植ゑし松を見て/植ゑし時ちぎりやしけむ武隈の松をふたたびあひ見つるかな(後撰・雑ニ 藤原元善)。「武隈の松みせ申せ遅桜」(おくのほそ道・武隈の松)。 ■のどかにを 「を」は間投助詞。 ■さることとは 源氏の歌を受けて、近く姫君と一緒に住むことを理解している。 ■御佩刀 姫君の守り刀。源氏が京から明石に贈ったもの(【澪標 07】)。 ■天児 子供の形に作った人形。子供にかわって厄災を引き受ける。 ■副車 付添の人が乗る車。 ■おはし着きて 二条院の西の対に。 ■御車寄するより 「より」は…するとすぐに。 ■田舎びたる心地ども 大堰邸からお供してきた女房たちのこと。 ■西面 二条院の西の対の西向きの部屋。 ■抱きおろされて 源氏に抱き降ろされのだろう。幼い紫の上が二条院にはじめて着いた時も「若君をば、いと軽らかにかき抱きておろしたまふ」(【若紫 23】)とあり状況が重なる。 ■こなたにて 紫の上のもとで。西の対で。 ■山里 大堰邸。 ■ましていかに 下に「寂しかるらむ」などを省略。 ■ものあひたる心地 それが一番ふさわしい、最適だという気持ち。 ■このわたりに出でおはせで 「このわたり」は紫の上。紫の上に子が生まれるのが一番だがその様子もないのでの意。 ■しばしは人々求めて 「人々」は大堰邸で姫君を養育していた主に女房たち。 ■襷 具体的にどんな形の「襷」なのか未詳。

朗読・解説:左大臣光永

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