【朝顔 03】源氏、帰邸後、朝顔の姫君と歌の贈答

原文

心やましくて立ち出でたまひぬるは、まして寝ざめがちに思しつづけらる。とく御格子まゐらせたまひて、朝霧をながめたまふ。枯れたる花どもの中に、朝顔のこれかれに這ひまつはれて、あるかなきかに咲きて、にほひもことに変れるを、折らせたまひて奉れたまふ。「けざやかなりし御もてなしに、人わろき心地しはべりて、後手《うしろで》も、いとどいかが御覧じけむ、とねたく。されど、

見しをりのつゆわすられぬ朝顔の花のさかりは過ぎやしぬらん

年ごろのつもりも、あはれとばかりは、さりとも思し知るらむやとなむ、かつは」など聞こえたまへり。おとなびたる御文の心ばへに、おぼつかなからむも、見知らぬやうにやと思し、人々も御硯《すずり》とりまかなひて聞こゆれば、

「秋はてて霧のまがきにむすぼほれあるかなきかにうつる朝顔

似つかはしき御よそへにつけても、露けく」とのみあるは、何のをかしきふしもなきを、いかなるにか、置きがたく御覧ずめり。青鈍《あをにび》の紙の、なよびかなる墨つきはしも、をかしく見ゆめり。人の御ほど、書きざまなどにつくろはれつつ、そのをりは罪なきことも、つきづきしくまねびなすには、ほほゆがむこともあめればこそ、さかしらに書き紛らはしつつおぼつかなきことも多かりけり。

たち返り、今さらに若々しき御文書きなども、似げなきことと思せども、なほかく昔よりもて離れぬ御気色ながら、口惜しくて過ぎぬるを思ひつつ、えやむまじく思さるれば、さらがへりてまめやかに聞こえたまふ。

現代語訳

御心残りがあるままに立ち帰りなさった源氏の君は、まして夜も寝ては覚めてばかりで、思いつづけていらっしゃる。朝早く御格子を上げさせなさって、ぼんやりと朝霧をながめていらっしゃる。

枯れている多くの花の中に、朝顔があれこれに這いまつわって、あるかなきかの風情に咲いて、色合いも格別に珍しいのを、折らせなさって、女君(朝顔)に差し上げなさる。(源氏)「きっぱりとした御もてなしにを受けまして、体裁の悪い気持ちで退出しましたが、その後ろ姿も、たいそう、どう御覧になられただろうと、悔やまれまして。ですが…

見しをりの…

(初めて見た時の、少しも忘れられない朝顔の、花の盛…あなたの女盛りの美しさは、もう過ぎてしまったのでしょうか)

私が何年も貴女をお慕い続けておりますことも、いじらしいことと、貴女がいくら冷淡だといっても、せめてそれぐらいは思ってくださるだろうと、一方で期待してしまうのです」

含蓄の深いお手紙の趣旨なので、返事がなくては源氏の君にお気をもませるのも、物の筋をわきまえていないようだとお思いになって、人々も御硯をととのえてお勧め申し上げるので、

(朝顔)秋はてて…

(秋が終わって霧のかかった籬に取り残され、あるかなきかの様子で色あせてしまった朝顔。それが私です)

私にふさわしい朝顔の御たとえにつけても、露の涙に濡れております」とだけあるのは、何のおもしろい風情もないが、どうしたことだろうか、源氏の君は、そのまま置いてしまうことができがたく御覧になっておられるようだ。青鈍の紙に、やわらかな墨の付き方は、趣深く見えるようだ。

消息というものは、書いた本人の御人柄、書き方などにとりつくろわれて、書いた当時は欠点が見えないことでも、そのままそっくり伝えては、首をかしげるようなこともあるようだから、こざかしく書き紛らわしているうちに、事実と異なることも多くなってしまったことである。

源氏の君は、昔に戻って、今さら若者めいた恋文を書いたりなどすることも、似つかわしくないこととはお思いになっていらっしゃるが、そうはいってもやはり、女君(朝顔)がこうして昔からまんざらでもない御ようすながら、残念な状態で過ぎてしまっているのを源氏の君は思っては、このまま諦めきれないお気持ちなので、また若返ってこまめに女君にご連絡なさる。

語句

■たまひぬるは 下に体言が省略された形か。もしくは「は」は「よ」の誤写か。 ■見しをりの… 「つゆ」は「少しも」と「露」の意をかける。 ■さりとも いくら冷淡であるといっても。 ■かつは 下に「頼まるる」などが省略。源氏の言うことは奥歯に物がはさまったようで要領を得ない。若い頃の情念にまかせた感性がなくなり中年化がいちじるしい。 ■おとなびたる 懸想文としての露骨さが表にあらわれていないことをいう。 ■おぼつかなからむ もし何も返事がなければ源氏の君は気をもまれるだろう。 ■秋はてて… 「あるかなきかに」は前の「あるかなきかに咲きて」に対応。 ■青鈍の紙 喪中に使う紙。 ■墨つき 墨色の具合や濃淡。 ■人の御ほど 以下「多かりけり」まで、筆者の言葉。消息文は書いた人の人柄や書き方が影響してその場では欠点が見えないものだが、それをそっくりそのまま伝えようとすると、どうしてもアラが目立つ。だから文章として伝えるために、私が、こざかしくも「書き紛らはした」=脚色・修正を加えた部分も多い。だから実際の消息文とは違うところもある。そこはご容赦ください、の意。前の源氏の歌があまりにとげとげしいので、「これは実際に源氏が書いたそのままでなく、私が修正を加えた結果、とげとげしさが目立ってしまったのです。どうか読者の皆さん、このことで源氏を嫌いにならないで」と弁解しているらしい。

朗読・解説:左大臣光永

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