【朝顔 07】源氏、朝顔の姫君に求愛 姫君の煩悶

西面《にしおもて》には御格子《みかうし》まゐりたれど、厭《いと》ひきこえ顔ならむもいかがとて、一間二間《ひとまふたま》はおろさず。月さし出でて、薄らかに積れる雪の光りあひて、なかなかいとおもしろき夜のさまなり。ありつる老いらくの心げさうも、よからぬものの世のたとひとか聞きし、と思し出でられてをかしくなむ。

今宵は、いとまめやかに聞こえたまひて、「一言、憎しなども、人づてならでのたまはせんを、思ひ絶ゆるふしにもせん」と、おり立ちて責めきこえたまへど、「昔、我も人も若やかに罪ゆるされたりし世にだに、故宮《こみや》などの心寄せ思したりしを、なほあるまじく恥づかしと思ひきこえてやみにしを、世の末に、さだ過ぎ、つきなきほどにて、一声もいとまばゆからむ」と思して、さらに動きなき御心なれば、あさましうつらしと思ひきこえたまふ。

さすがに、はしたなくさし放ちてなどはあらぬ、人づての御返りなどぞ心やましきや。夜もいたう更けゆくに、風のけはひ烈しくて、まことにいともの心細くおぼゆれば、さまよきほどにおし拭《のご》ひたまひて、

「つれなさを昔にこりぬ心こそ人のつらきに添へてつらけれ

心づからの」とのたまひすさぶるを、「げに、かたはらいたし」と、人々、例の、聞こゆ。

「あらためて何かは見えむ人のうへにかかりと聞きし心がはりを

昔に変ることはならはず」など聞こえたまへり。

言ふかひなくて、いとまめやかに怨《ゑ》じきこえて出でたまふも、いと若々しき心地したまへば、「いとかく世のためしになりぬべきありさま、漏らしたまふなよ、ゆめゆめ。いさら川なども馴れ馴れしや」とて、切《せち》にうちささめき語らひたまへど、何ごとにかあらむ。人々も、「あなかたじけな。あながちに情おくれても、もてなしきこえたまふらん。かるらかにおし立ちてなどは見えたまはぬ御気色を。心苦しう」といふ。

げに人のほどの、をかしきにも、あはれにも思し知らぬにはあらねど、「もの思ひ知るさまに見えたてまつるとて、おしなべての世の人の、めできこゆらむ列《つら》にや思ひなされむ。かつは軽々《かるがる》しき心のほども見知りたまひぬべく、恥づかしげなめる御ありさまを」と思せば、「なつかしからむ情もいとあいなし。よその御返りなどはうち絶えで、おぼつかなかるまじきほどに聞こえたまひ、人づての御いらへはしたなからで過ぐしてむ。年ごろ沈みつる罪うしなふばかり御行ひを」とは思し立てど、「にはかにかかる御事をしも、もて離れ顔にあらむも、なかなか今めかしきやうに見え聞こえて、人のとりなさじやは」と、世の人の口さがなさを思し知りにしかば、かつはさぶらふ人にもうちとけたまはず、いたう御心づかひしたまひつつ、やうやう御行ひをのみしたまふ。

御はらからの君達《きむだち》あまたものしたまへど、ひとつ御腹ならねば、いとうとうとしく、宮の内いとかすかになりゆくままに、さばかりめでたき人のねむごろに御心を尽くしきこえたまへば、皆人心を寄せきこゆるもひとつ心と見ゆ。

現代語訳

西の正門では御格子をお下ろししていたが、源氏の君のご来訪を嫌い申し上げているようなのもどうだかということで、一間二間はおろさない。月が出て、薄く積もっている雪と反射しあって、春や秋よりもかえってたいそう風情のある夜のようすである。

さきほどの老人の心のときめきも、世間でよからぬものの例として聞いたことがあったな、などとお思い出されて、源氏の君は面白くお思いになる。

源氏の君は、今宵はとても真剣にお訴えなさって、(源氏)「一言、『嫌です』とだけでも、人づてでなく直接おっしゃってくだされば、それを諦めるきっかけともしましょう」と、熱心にお急き立てになるが、(朝顔)「昔、私も源氏の君も若くて万事大目に見られていた時でさえ、故宮(故式部卿宮。朝顔の父)などが源氏の君と私との結婚を考えていらしたのを、私はやはりそれはありえないことだ、恥ずかしいと思い申し上げて終わってしまったのを、長い年月を経て、盛りを過ぎて、もうそうした色恋沙汰も似つかわしくない年になって、一声でもお聞かせするのは、ひどく恥ずかしいだろう」とお思いになって、微動だにしない御心であるので、源氏の君はあんまりな、酷いとお思いになる。

そうはいってもやはり、女君(朝顔)は、源氏の君を無愛想に突き放すようなお仕打ちというわけではなく、人を介したお返事などはあるのが、源氏の君にはかえっていまいましいことではある。夜もたいそう更けてゆくと、風の気配が激しくて、源氏の君は、まことにひどく心細いお気持ちになられるので、見た目に好ましい程度に軽く涙をお拭いになって、

(源氏)「つれなさを…

(昔のあなたの冷淡さに懲りもせずにお慕いした私の心には、今のあなたの冷淡さに加えて、辛いことですよ)

『心づからの』わざですから」と御心のままにおっしゃるのを、「本当に、決まりの悪いこと」と、女房たちは、例によって、女君(朝顔)に申し上げる。

(朝顔)「あらためて…

(どうして今更あらためて、貴方にお目見えできましょう。世間一般の人の上にはそうした心変わりもあると聞きますが…)

昔と違うことはできません」など申し上げなさる。

源氏の君は、何を言ってもかいがないので、ひどく本気でお怨みしてそこを出られるのも、たいそう大人げない気がなさるので、(源氏)「まったくこんな、世の振られ男の例ともなりかねない醜態を、けして人にお漏らしになりますな。『いさら川』などというのも馴れなれしいことですから」といって、しきりにひそひそと訴えていらっしゃるが、何ごとなのだろう。女房たちも、「まあもったいない。女君は、ひたすら情けないやり方で、応対申し上げていらっしゃるのでしょう。源氏の君は軽々しくごり押しなどするようにはお見受けしないご様子ですのに。お気の毒な」と言う。

なるほど、女君は、源氏の君の御人柄が、ごりっぱだとも、情深いともおわかりにならないわけではなかったが、(朝顔)「君の御心をわきまえているような物腰をお目にかけたとて、世間一般の人が君をお褒め申し上げるというのと同じと思われるだろう。一方では軽々しいわが心のほども君はお見通しなさるかもしれない。君は、こちらが恥ずかしくなるだろうほどにご立派な御方なのだから」とお思いになると、「優しいような情味を見せるのもひどく筋違いだ。なんでもないお返事などは絶やさないで、お気をもませない程度にはご連絡なさって、人を介したお返事は君がお気を悪くなさらないようにして過ごすことにしよう。長年も斎院として仏事から離れていた罪が失われるほどの仏事のお勤めをして…」とは思い立たれるが、「急にこんなやり方を、『これで貴方とはきっぱり終わりです』という風にふるまうのも、かえって今風なように見えもし聞こえもして、人が取り沙汰しないだろうか」と、世間の人の口さがなさを思い知っていらっしゃるので、一方ではお仕えしている女房たちにもお気をおゆるしにならず、ひどくご用心なさりつつ、だんだん御勤行ばかり行うようになっていかれる。

女君には、ご兄弟の男君たちが多くいらっしゃるが、腹違いであるので、まことにひっそりと、御邸の内はひどく寂しくなってゆく一方なので、あれほどご立派な源氏の君のようなお方がねんごろに御心をつくしていらっしゃるのだから、女房たちは皆、源氏の君にお味方申し上げてい
ているのも、源氏と女君がご結婚してほしいということで、気持ちは一致しているものと見える。

語句

■西面 朝顔の姫君が住む寝殿の西側の門。 ■なかなかいとおもしろき 春や秋よりもかえって。 ■さすがに、はしたなくさし放ちてなどはあらぬ 朝顔の姫君は源氏に心を開かないとはいっても、強く拒絶して源氏に恥をかかせるようなことはしない。 ■心やまし 「心病まし」は腹立たしい。じれったい。 ■さまよきほどに 見映えがいい程度に。思いきり涙を拭うのは下品で見映えが悪い。 ■心づからの 「恋しきも心づからのわざなれば置きどころなくもてぞ煩ふ」(中務集)。「心づからのわざ」は自分の心から出たこと。 ■すさぶる 「すさぶ」は心の進むままに動作をする。 ■げに 源氏の台詞を受けて。もっともだ。姫君が冷淡だという源氏の意見に女房たちも同意している。 ■かたはらいたし 女君の源氏に対する応対が、傍から見ていてはらはらさせられる。 ■あらためて… 「かかり」は「かくあり」の約。下の「心がはり」を指す。 ■若々しき心地 分別のある大人として、本気で腹を立てて出ていくのは見苦しい。大人げない。 ■ゆめゆめ 強い禁止。けして…するな。 ■いさら川 「犬上のとこの山なるいさや川いさと答へてわが名もらすな」(古今・恋三・墨滅歌)。歌意はさあととぼけて私の名前を漏らさないでいてください。『万葉集』では下句「いさとを聞こせわが名告《の》らすな」。「犬上のとこの山なるいさや川」は滋賀県犬上郡鳥籠山の脇を流れる芹川。このあたり壬申の乱で大海人皇子方の村国男依らが近江の将軍、秦友足(はたのともたり)を討った場所。鳥籠山は現大堀山に比定。 ■馴れ馴れしや 「いさら川」の歌は男女が関係を持った後の歌なのに、振られたのにこの歌を引くのは「馴れ馴れしい」。「漏らすな」と禁止しているのもいかにも関係があった後のように思える。 ■切にうちささめき… おそらく宣旨に対して。 ■何ごとにかあらむ 女房たちの気持ちを筆者が代弁。 ■あなかたじけな 源氏に対して。朝顔付きの女房たちは、総じて源氏に同情的である。 ■げに 女房たちの言葉を受けて。 ■もの思ひ知るさまに… 以下、朝顔の心語。くどく、長く、しつこく、ひたすら読みにくい。暗号文のようにグチャグチャ。六条御息所、明石の君の系譜。 ■あいなし 関連性がないが原意。筋が通らない。 ■よその御返り 恋愛めいたことではない一般的なお返事。 ■聞こえたまひ 姫君の心語に敬語がまじりこんで文脈が乱れている。筆者が取り憑かれたように勢いのままに書きなぐった結果か。 ■年ごろ沈みつる罪 長年斎院として仏事から離れていたことを仏教の観点から「罪」といっている。 ■今めかしき 今風であるが原意だが、多くは否定的なニュアンスをふくむ。ここでは思わせぶりでわざとらしいの意。 ■御はらからの君達 物語には登場しない。 ■ひとつ御腹ならねば 腹違いなので。 ■かすかに 人少なに。 ■心を寄せきこゆる 源氏に味方する。

朗読・解説:左大臣光永

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