【少女 07】夕霧、寮試に合格 いよいよ学問に打ち込む

大学に参りたまふ日は、寮門《れうもん》に上達部の御車ども数知らず集《つど》ひたり。おほかた世に残りたるあるじと見えたるに、またなくもてかしづかれて、つくろはれ入りたまへる冠者《くわざ》の君の御さま、げにかかるまじらひにはたヘずあてにうつくしげなり。例の、あやしき者どもの立ちまじりつつ来ゐたる座の末をからしと思すぞ、いとことわりなるや。ここにても、またおろしののしる者どもありて、めざましけれど、すこしも臆せず読み果てたまひつ。昔おぼえて大学の栄ゆるころなれば、上中下《かみなかしも》の人、我も我もとこの道に心ざし集まれば、いよいよ世の中に、才《ざえ》ありはかばかしき人多くなんありける。文人擬生《もんにんぎさう》などいふなることどもよりうちはじめ、すがすがしう果てたまへれば、ひとへに心に入れて、師も弟子もいとどはげみましたまふ。殿にも文《ふみ》作りしげく、博士才人《はかせさいじん》どもところえたり。すべて何ごとにつけても、道々の人の才のほど現《あら》はるる世になむありける。

現代語訳

若君(夕霧)が寮試を受験するため大学寮においでになる日は、寮門に上達部の御車が数えきれないほど集まっていた。

およそ世間に残っている者はいないだろうと見える盛大さの中、比類なく大切にされて、衣装をととのえてお入りになる冠者の君のごようすは、まことにこうした連中の仲間入りはとてもできないほど気品があり可愛らしげである。

例によって、みすぼらしい儒者たちが雑然と集まって座っている、その座の末につらなることがつらいと思うのも、しごく当然であるよ。

ここでもまた、大声で叱りつける者どもがあって、目障りであつたが、若君は少しも臆せず読みおおせになった。今は昔のように大学が栄えている時代なので、身分の上下を問わず、我も我もと競って学問の道を心ざして集まるので、いよいよ世の中に、学識あり有能な人が多くいるのだった。若君は、擬文章生《ぎもんじょうしょう》などいうとかいう試験からはじめて、どれもすんなり合格なさったので、今はひたすら心を入れて、師(大内記)も弟子(夕霧)もいよいよ学問にお励みになる。

二条院でも詩文を作る会が多く開催され、学者や詩文の才のある人達は得意である。すべて何事につけても、それぞれの道の才能が世に認められる時勢であるのだ。

語句

■大学 大学寮は二条大路の南、三条坊門の来た、壬生の西、朱雀大路の東。現在、二条城南に「大學寮址」と「大学寮跡」の案内板がある。 ■寮門 大学寮の門。 ■もてかしづかれて 大切に扱われて。 ■つくろはれ 衣装の着付けなどをととのえて。 ■冠者 元服したばかりの男子。夕霧のこと。 ■かかるまじらひにはたへず みすぼらしい身なりの儒者・学生たちの中に夕霧のような貴公子がまじることは不釣り合いであるの意。 ■例の 字つけの儀式の時でおなじみであるので。 ■座の末 大学では長幼の序が守られたので、12歳の夕霧は末席となる。 ■昔おぼえて 「昔」は平安時代初期、大学が尊重されたころ。物語の時代設定は醍醐・村上朝を想定している。 ■はかばかしき人 有能な人。 ■文人擬生 擬文章生《ぎもんじょうしょう》のこと。最初期の学生。 ■などいふなる 「なる」と伝聞形なのは、女が学問のことを論ずるべきでないという非難に対しての予防線。 ■文作り 漢詩を作ること。 ■すべて何ごとにつけても… 文化が盛な世の中をほめたたえる表現。

朗読・解説:左大臣光永

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