【少女 13】内大臣、夕霧と雲居雁の仲を知り、愕然とする

大臣出でたまひぬるやうにて、忍びて人にもののたまふとて立ちたまへりけるを、やをらかい細りて出でたまふ道に、かかるささめき言《ごと》をするに、あやしうなりたまひて、御耳とどめたまへば、わが御|上《うへ》をぞ言ふ。「かしこがりたまへど、人の親よ。おのづからおれたる事こそ出で来《く》べかめれ。子を知るはといふは、そらごとなめり」などぞつきしろふ。「あさましくもあるかな。さればよ。思ひ寄らぬことにはあらねど、いはけなきほどにうちたゆみて。世はうきものにもありけるかな」と、けしきをつぶつぶと心えたまへど、音もせで出でたまひぬ。御|前駆《さき》追ふ声のいかめしきにぞ、「殿は今こそ出でさせたまひけれ。いづれの隈《くま》におはしましつらん。今さヘかかるあだけこそ」と言ひあへり。ささめき言の人々は、「いとかうばしき香《か》のうちそよめき出でつるは、冠者《くわざ》の君のおはしつるとこそ思ひつれ。あなむくつけや。後言《しりうごと》やほの聞こしめしつらん。わづらはしき御心を」とわびあへり。

殿は道すがら思すに、「いと口惜しくあしきことにはあらねど、めづらしげなきあはひに、世人も思ひ言ふべきこと。大臣《おとど》の、しひて女御をおし沈めたまふもつらきに、わくらばに、人にまさることもやとこそ思ひつれ、ねたくもあるかな」と思す。殿の御仲の、おほかたには、昔も今もいとよくおはしながら、かやうの方にては、いどみきこえたまひしなごりも思し出でて、心うければ、寝覚《ねざ》めがちにて明かしたまふ。「大宮をも、さやうのけしきは御覧ずらんものを、世になくかなしくしたまふ御|孫《むまご》にて、まかせて見たまふならん」と、人々の言ひしけしきを、めざましうねたしと思すに、御心動きて、すこし男《を》々しくあざやぎたる御心には、しづめがたし。

現代語訳

内大臣はご出発なさるふうをよそおって、こっそりある女房にお逢いしようさなさってお立ちになっていらしたが、そっと身を縮めてお出になる途中に、こうしたひそひそ話をしているので、不審にお思いになって、御耳をすましてお聞きになると、まさにご自分のことを言っているのである。

(女房)「かしこいつもりでいらっしゃいますけれど、やはり親ばかですね。そのうちおかしな事が起こるに決まってますよ。子を知るは親に如かずなんて、どうも信用なりませんね」などこそこそ噂しあっている。

(内大臣)「呆れたことではないか。そうだとは思っていたのだ。疑ってみないでもなかったが、まだ幼いから油断していて…。この世は嫌なものであるなあ」と、事の次第をつぶさにご理解なさったが、音も立てずにご出発になった。御先払いの声がいかめしいので、(女房)「殿は今ごろご出発なさったのですね。どこの隅に隠れてしらしたのかしら。あの年でまだこうした好き心をお持ちなんて…」と言い合っている。ひそひそ話の女房たちは、「とてもよい薫物の香が衣擦れとともに漂ってきたのは、冠者の君がしらしたのだと思っていたわ。ああ恐ろしい。こそこそ言っていたのを、うすうすお聞きにならなかったかしら。面倒なご気性だから」と顔を見合わせて困惑している。

殿は道すがらお考えになることに、「そこまで残念で悪いことというわけではないが、こうした幼馴染どうしの結婚というものは珍しくもないことで、世間の人もあれこれ思うし言うに違いない。源氏の大臣が、強引に弘徽殿の女御を追い落としなさるのも恨めしいので、もしかしてこの姫君(雲居雁)を入内させたら、他にまさることでもないかと思っていたのに、恨めしいことであるよ」とお思いになる。

源氏の大臣とのご関係は、大体においては、昔も今も親しくしていらっしゃるのだが、こうした権勢を張り合う方面においては、張り合っていらした昔のことも今まで続いていて、それをお思い出されて、恨めしいので、寝覚めがちに夜をお明かしになる。(女房)「大宮も、そういう二人の雰囲気はご存知でしたでしょうに、世にまたとないほど可愛がっていらっしゃる御孫だから、当人たちの好きなようにさせていらっしゃるのでしょう」と、女房たちが言っていた話しぶりを、「心外だ、腹立たしい」とお思いになるにつけても、御心が動揺して、すこしきつく癇癪持ちのご気性には、我慢がおできにならない。

語句

■人 大宮に仕える女房。内大臣の愛人と思われる。 ■かい細りて 人に見つからないよう身をかがめてこそこそ出て行く様子。 ■かかるささめき言 前述の「ねび人どもささめきけり」から続く。 ■人の親よ しょせん親ばかよの意。 ■おれたる事 ばからしい事。後悔するような事。 ■子を知るは 「子ヲ知ルハ父ニ如クモノハナシ」(日本書紀・雄略天皇二十三年)、「明父、子ヲ知ル」(史記・李斯伝)など。 ■つきしろふ 互いにつっつきあってひそひそ陰口をたたいているさま。 ■世はうきもの 内大臣は雲居雁を東宮に入内させようとしていたのでなおさら失望が大きい。 ■けしき 夕霧と雲居雁の仲。 ■つぶつぶと 一部始終を詳しく。 ■あだけ 浮ついたこと。女のもとに通うこと。 ■うちそよめき 衣擦れの音とともに香がただよってくる。 ■あなむくつけや 悪口を聞かれてしまったのではないか。どんなお叱りを受けるだろうという恐怖が声となって漏れた。 ■後言 人の背後でこそこそ言う悪口。 ■わずらはしき御心 内大臣の気むずかしく面倒な気質。 ■いと口惜しくあしきことにはあらねど 雲居雁と夕霧の関係が。 ■めづらしげなき 臣下(源氏)との結婚では皇族との結婚と比べると格が落ちる。 ■しひて女御をおし沈めたまふも 源氏を後見とする梅壺女御に、内大臣の娘弘徽殿女御は圧されている。 ■わくらばに もし、まれにも雲居雁が入内することができればの意。 ■殿の御仲 源氏と内大臣との仲。 ■かやうの方 権勢をはりあうようなこと。 ■大宮をも さきほどの女房たちの陰口のつづきを回想。 ■まかせて 夕霧と雲居雁の好きなようにさせて。放任しているということ。 ■あざやぎたる 神経質で癇癪持ちの。

朗読・解説:左大臣光永

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