【少女 23】源氏、惟光の娘を五節の舞姫として宮中に奉る

大殿には今年|五節《ごせち》奉りたまふ。何ばかりの御いそぎならねど、童《わらは》べの装束《さうぞく》など、近うなりぬとて、急ぎせさせたまふ。東《ひむがし》の院には、参りの夜の人々の装束《さうぞく》せさせたまふ。殿には、おほかたのことども、中宮よりも、童《わらは》下仕《しもづかへ》の料《れう》など、えならで奉れたまへり。過ぎにし年、五節などとまれりしが、さうざうしかりし積りも取り添へ、上人《うへびと》の心地も常よりも華やかに思ふべかめる年なれば、所どころいどみて、いといみじくよろづを尽くしたまふ聞こえあり。按察《あぜちの》大納言、左衛門督《さゑもんのかみ》、上《うへ》の五節には、良清《よしきよ》、今は近江守《あふみのかみ》にて左中弁なるなん奉りける。みなとどめさせたまひて、宮仕すべく、仰せ言ことなる年なれば、むすめをおのおの奉りたまふ。

殿の舞姫は、惟光朝臣《これみつのあそむ》の、津《つ》の守《かみ》にて左京大夫《さきやうのかみ》かけたるがむすめ、容貌《かたち》などいとをかしげなる聞こえあるを召す。からいことに思ひたれど、「大納言の、外腹《ほかばら》のむすめを奉らるなるに、朝臣《あそむ》のいつきむすめ出だしたてたらむ、何の恥かあるべき」とさいなめば、わびて、同じくは宮仕やがてせさすべく思ひおきてたり。舞ならはしなどは、里にていとようしたてて、かしづきなど、親しう身に添ふべきは、いみじう選《え》りととのへて、その日の夕つけて参らせたり。殿にも、御方々の童《わらは》下仕《しもづかへ》のすぐれたるを、と御覧じくらべ、選り出でらるる心地どもは、ほどほどにつけて、いと面《おも》だたしげなり。御前に召して御覧ぜむうちならしに、御前を渡らせて、と定めたまふ。棄《す》つべうもあらず、とりどりなる童べの様体《やうだい》容貌《かたち》を思しわづらひて、「いま一《ひと》ところの料を、これより奉らばや」など笑ひたまふ。ただもてなし用意によりてぞ選《えら》びに入りける。

現代語訳

源氏の大臣は今年五節の舞姫を宮中にお差し上げになる。これといったご準備はないが、付添いの女童たちの装束など、期日も近くなったということで、急いでおさせになる。

東の院では、参りの夜のお付きの女房たちの装束をおととのえなさる。源氏の大臣は全般にわたってさまざまな事をご準備され、また中宮(梅壺中宮)からも、女童や下仕えの装束など、何ともいえぬほど立派にととのえてご献上なさる。

去年は、五節なども中止になったのが、さびしく物足りなかったという思いがたまってたことも加わって、殿上人たちのお気持としても、例年よりも華やかにと考えていらっしゃるだろう年なので、舞姫を出す家々では競いあうようにして、たいそう立派に万事をお尽くしになられるとの評判である。

按察使大納言、左衛門督、それに殿上人の分の五節の舞姫は、良清が、今は近江守で左中弁になっているのだが、それが奉った。これら舞姫たちを皆、宮中にとどめさせられて、宮仕えせよと、特別の仰せ言のある年なので、娘をそれぞれ舞姫として宮中にご献上なさる。

源氏の大臣が宮中に奉る舞姫は、津の守で左京大夫を兼任している惟光の娘で、顔立ちなどたいそう美しいと評判なのをお召しになる。惟光は困ったことに思っているが、「大納言(按察使大納言)が、側室腹の娘を差し出されるということですから、朝臣(惟光)が大切にしている娘を差し上げることに、何の恥があるものか」と責め立てるので、惟光は弱りきって、同じことなら、そのまま宮仕えをさせようと心に決めていた。舞の稽古などは、自邸でたいそうよく仕上げて、介添え人など、親しく側に付きそうべき者たちは、注意深く選びそろえて、当日の夕方になって二条院に参らせた。

源氏の大臣も、御方々にお仕えしている女童、下仕えのうち器量のいいのを、とお見比べなさって、選び出された者たちの気持ちは、その身分身分に応じて、たいそう面目が立つようである。

帝が御前に召して舞姫を御覧になられる予行演習に、源氏の大臣はご自身の御前を通らせてみよう、とお決めになる。ところがどれも捨て難く、色とりどりの女童たちの姿、顔立ちの、どれが良いの良くないのとは決めかねて、(源氏)「もう一人ぶんの装束を、こちらから奉らなくてはならぬな」などとお笑いになる。その娘も、ひとえに立ち居振る舞いや気立てによって今回の選に入ったのであった。

語句

■五節 十一月の大嘗祭(新帝即位の年)、新嘗祭(例年)の少女楽に奉仕する舞姫。大嘗祭には五人、新嘗祭には四人が選ばれる。今年は新嘗祭。「天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ」(小倉百人一首十二番 僧正遍昭)。 ■いそぎ 準備。 ■童べ 舞姫に従う女童。 ■東の院 二条院東院。花散里が管理している。 ■参りの夜 十一月中の丑の日に五節の舞姫が常寧殿の五節所に参入すること。天皇が帳台に出て女童を見る「帳台の試み」が行われる。  ■中宮 梅壺中宮。元斎宮の女御。源氏が後見する。 ■料 ここでは装束のこと。 ■えならで 何ともいえないほどすばらしく。 ■過ぎにし年 去年は国母藤壺宮の喪のため五節は中止となった。 ■積りも取り添へ 去年は五節が中止となって、寂しい、物足りない気持が積りに積もっていた。だから今年はいっそう盛大にやろうという思いが強まっているのである。 ■所どころいどみて 舞姫を出す公卿や殿上人の家々でお互いに対抗意識を燃やしているのである。 ■按察使大納言 雲居雁の継父。 ■左衛門督 内大臣の弟。 ■上の五節 殿上人(良清)の出す五節の舞姫。良清は左中弁(正五位上)で殿上人なので。殿上人は四位・五位で清涼殿の昇殿を許された人、および六位の蔵人。 ■今は近江守にて 良清は源氏の従者。須磨下りのころは少納言、帰京後は靫負佐《ゆげいのすけ》。 ■仰せ言ことなる年なれば 新嘗会は毎年の行事で、通常このような勅命はない。今年は諒闇の年の翌年であり、いっそう盛大にやりたいとう意向で、このような勅命が出たのだろう。 ■左京大夫 左京職の長官で従四位下相当。 ■からいことに 惟光は娘に宮仕えさせず、深窓の令嬢として育てたかった。 ■わびて 惟光は皆が言うのでしぶしぶ娘を舞姫にすることを決めた。 ■かしづき 舞姫の付添をする女房。 ■その日 舞姫参入の十一月中の丑の日当日。 ■御方々 紫の上や花散里など。 ■御前に召して御覧ぜられむ 十一月中の卯の日の清涼殿での童女御覧。 ■いま一ところの料を、これより奉らばや 文意不明瞭。もう一人ぶんの衣装料をこちらから出さないといけない=介添えの女童をもう一人追加する、という意味か。

朗読・解説:左大臣光永

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