【少女 24】夕霧、五節の舞姫をのぞいて、懸想の歌をよむ

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原文

大学の君、胸のみ塞《ふた》がりて、ものなども見入れられず、屈《くむ》じいたくて、書《ふみ》も読までながめ臥《ふ》したまへるを、心もや慰むと、立ち出でて紛《まぎ》れ歩《あり》きたまふ。さま容貌《かたち》はめでたくをかしげにて、静やかになまめいたまへれば、若き女房などは、いとをかしと見たてまつる。上《うへ》の御方には、御簾《みす》の前にだに、もの近うももてなしたまはず、わが御心ならひ、いかに思すにかありけむ、うとうとしければ、御達《ごたち》などもけ遠きを、今日はものの紛れに入り立ちたまへるなめり。舞姫かしづきおろして、妻戸《つまど》の間《ま》に屏風《びやうぶ》など立てて、かりそめのしつらひなるに、やをら寄りてのぞきたまへば、悩ましげにて添ひ臥《ふ》したり。ただかの人の御ほどと見えて、いますこしそびやかに、様体《やうだい》などのことさらび、をかしきところはまさりてさへ見ゆ。暗ければこまかには見えねど、ほどのいとよく思ひ出でらるるさまに、心移るとはなけれど、ただにもあらで、衣《きぬ》の裾《すそ》を引きならいたまふに、何心もなく、あやしと思ふに、

「あめにますとよをかひめの宮人もわが心ざすしめを忘るな

みづがきの」とのたまふぞ、うちつけなりける。若うをかしき声なれど、誰ともえ思ひたどられず、なまむつかしきに、化粧《けさう》じ添ふとて、騒ぎつる後見《うしろみ》ども、近う寄りて人騒がしうなれば、いと口惜《くちを》しうて、立ち去りたまひぬ。

現代語訳

大学の君は、ひたすら胸が悲しみに塞がって、食事などものどを通らず、ひどく落ち込んで、書物も読まずにぼんやり物思いにふけって横になっていらしたが、心が慰められるかもしれないと、外に出て、そっとあちこちおまわりになる。

みめかたちは見事に美しげで、物静かで優美でいらっしゃるので、若い女房などは、たいそう素晴らしい御方と拝見している。

源氏の大臣は、若君を、西の対の上(紫の上)がいらっしゃるほうには、御簾の前にさえ、お近づけにならず、ご自分の御心の癖からか、どのようにお思いになってか、若君を遠ざけていらっしゃったので、若君は女房たちに親しみはないのだが、今日は人の出入りが多いのに紛れて、入り込んでいらっしゃったのだろう。

舞姫を大事に車から降ろして、妻戸の間に屏風など立てて、仮の設備をととのえて控えさせているが、そこに若君がそっと近寄ってお覗きになると、舞姫が疲れたようすで物に寄りかかっている。

まさしくあの姫君(雲居雁)と同じぐらいの御年と見えて、丈はもう少し高く、美しい風情は、姫君よりまさっているとさえ見える。

暗いので細かいところまでは見えないが、全体の感じが姫君をとてもよく思い出させるものだから、心が移るというわけではないが、居ても立ってもいられず、自分の衣の裾を引いて音をお立てになると、舞姫は何のことかわからず、不審に思っていると、

(夕霧)「あめにます…

(天にまします豊岡姫にお仕えする宮人である貴女は、私が心をかけて張り渡した注連縄のことを忘れないでください。…私は貴女を所有したのです。それを忘れないでください)

久しい昔から貴女を想っておりました」とおっしゃるのは、唐突なことであった。若く美しい声であるが、舞姫は誰ともおわかりにならず、なんとなく気味が悪く思っていると、化粧直しをするということで、騒いでいた世話役の女房たちが、近く寄って騒がしくなったので、若君はひどく心残りながら、お立ち去りになった。

語句

■ものなども見入れられず 「もの」は食事。 ■紛れ歩きたまふ 「紛れ歩く」は人目につかないよう、そっちあちこち廻ること。 ■静やかに 物静かで落ち着いていること。 ■上の御方 紫の上のいる二条院西の対。 ■わが御心ならひ 源氏は自分が父の妃である藤壺と密通したことをかんがみ、夕霧が紫の上と密通でもしないかと心配しているのである。 ■御達 紫の上つきの女房。 ■入り立ちたまへる 紫の上のいる二条院西の対に。 ■舞姫 源氏が宮中に奉る五節の舞姫。惟光の娘。 ■妻戸の間 廂の間の隅の、妻戸のあるあたり。「妻戸」は両開きの戸。 ■かりそめのしつらひ 屏風で仕切っただけの急ごしらえの設備。 ■様体 姿かたち。 ■ことさらび 「ことさらぶ」は格別に美しくつくろうこと。 ■ほど 全体的な姿。 ■あめにます 「みてぐらは我がにはあらずあめにますとよをかひめの宮のみてぐら」(拾遺・神楽歌)による。「豊岡姫」は天照大神。「宮人」は豊岡姫=天照大神に仕える舞姫。「しめ」は「注連縄」と占有するの「占め」をかける。豊岡姫の縁語。 ■みづがきの 「をとめ子が袖ふる山のみづがきの久しき世より思ひそめてき」(拾遺・雑恋 人麿)を引く。「みづがきの」までが「久しき」の序詞。「瑞垣」は神社の垣の美称。多くは廂があるので「久しい」の序詞となる。奈良県石上神社の瑞垣が古来歌によまれて有名。 ■うちつけなりける 伊勢物語で男が情熱にまかせて女に歌を読みかけたことにも通じる。「昔人は、かくいちはやき みやびをなむしける」(伊勢物語一段)。

朗読・解説:左大臣光永

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