【少女 25】五節の日 源氏、五節の君と歌の贈答

浅葱《あさぎ》の心やましければ、内裏《うち》へ参ることもせず、ものうがりたまふを、五節にことつけて、直衣《なほし》などさま変れる色|聴《ゆる》されて参りたまふ。きびはにきよらなるものから、まだきにおよすけて、ざれ歩《あり》きたまふ。帝よりはじめたてまつりて、思したるさまなべてならず、世にめづらしき御おぼえなり。

五節の参る儀式は、いづれともなく心々に二なくしたまへるを、舞姫の容貌《かたち》、大殿と大納言殿とはすぐれたり、とめでののしる。げにいとをかしげなれど、ここしううつくしげなることは、なほ大殿のにはえ及ぶまじかりけり。ものきよげに今めきて、そのものとも見ゆまじうしたてたる様体などのあり難うをかしげなるを、かうほめらるるなめり。例の舞姫どもよりはみなすこし大人《おとな》びつつ、げに心ことなる年なり。殿参りたまひて御覧ずるに、昔御目とまりたまひし少女《をとめ》の姿思し出づ。辰《たつ》の日の暮《くれ》つ方つかはす。御文の中《うち》思ひやるべし。

をとめども神さびぬらし天《あま》つ袖ふるき世の友よはひ経ぬれば

年月のつもりを数へて、うち思しけるままのあはれを、え忍びたまはぬばかりの、をかしうおぼゆるも、はかなしや。

かけていへば今日のこととぞ思ほゆる日かげの霜の袖にとけしも

青摺《あをずり》の紙よくとりあへて、紛《まぎ》らはし書いたる濃墨《こずみ》、薄墨《うすずみ》、草がちにうちまぜ乱れたるも、人のほどにつけてはをかしと御覧ず。

冠者《くわざ》の君も、人の目とまるにつけても、人知れず思ひ歩《あり》きたまへど、あたり近くだに寄せず、いとけけしうもてなしたれば、ものつつましきほどの心には、嘆かしうてやみぬ。容貌《かたち》はしもいと心につきて、つらき人の慰めにも、見るわざしてんや、と思ふ。

現代語訳

若君は、六位の浅葱の衣が不満なので、参内もせず、ふさぎこんでおられたが、五節にことつけて、直衣などいつもと違う色をゆるされて参内なさる。まだ子供っぽくさっぱりした姿なのだが、早くも大人びて、きどってお歩きになる。帝をはじめとして、人々が大切になさるさまは並々でなく、類まれな若君へのお扱いである。

五節の舞姫を参入させる儀式は、どれがというわけでなく、それぞれ、格別に心をつくしてお支度なさっているのだが、舞姫の器量としては、大殿(源氏の大臣)と大納言殿(按察使大納言)の舞姫がすぐれていると、人々は褒め騒いでいる。なるほど、たいそう美しげであるが、おっとりして可愛らしいことでは、やはり大殿の舞姫には及ぶことができないようだった。

惟光の娘は、なんとなく清らかで今風に華やかで、そうした身分の娘とも見えないように粧い立てた姿かたちが、類まれに美しいので、このように評判が高いのだろう。

今年の舞姫たちは例年よりもみもなすこし大人びていて、なるほど今年は格別の年なのだ。

源氏の大臣は参内なさって御覧になるにつけ、昔御目をおとめになった舞姫の姿を思い出される。舞の当日である中の辰の日の夕方に、お手紙を遣わす。その内容は、ご想像されよ。

(源氏)をとめごも…

(かつてのうら若い舞姫も、今は神さびてしまわれたでしょうね。天つ袖を降って舞った、あの頃の古き友である私も年を取ってしまったのですから)

年月の積りを数えて、ふとお感じになった懐かしいお気持ちを、内に秘めておくことがおできにならず、このようなお手紙をお送りになったのだが、それで相手がしみじみした思いを呼び覚まされるからといって、それでどうなるものでもない。

(五節)かけていへば…

(五節のことに託しておっしゃるなら、日差しに当たった霜が袖のところで溶けるように、かつて舞姫として「日陰のかづら」をかけた私が貴方になびいたことも、今日のことのように思い出されます。)

青摺の紙をよく今の時節にあうように取り合わせて、筆跡を紛らわしすように書いている墨の濃淡に、草書体が多くまぜて散らし書きにしてあるのも、この人の人柄につけて趣深いと、源氏の君は御覧になる。

冠者の君(夕霧)も、あの舞姫(惟光の娘)が目にとまるにつけても、人知れず恋しい気持がつのり、何とか逢えないかとうろうろしていらしたが、舞姫は、付近に寄せ付けもせず、ひどくきっぱりよそよそしい態度なので、遠慮しがちな年頃の子供心には、嘆かわしく思われてそれ以上の何もなさらなかった。しかし舞姫の美しい顔立ちははっきり胸に焼き付いていて、あのつらい人(雲居雁)に逢えないことの慰めにでも、何とか逢えないものかと思っている。

語句

■浅葱 六位の袍衣の色。「浅葱にて殿上に還りたまふを…」(【少女 02】) ■直衣 五節には直衣での参内が許された。直衣は略装で袍のように官位による色の区別がない。それぞれ趣向をこらして思い思いの色を着た。 ■ざれ歩き 六位の浅葱色という引け目が取れて、夕霧がのびのびとふるまっているさま。 ■五節ま参る儀式 十一月の中の丑の日、舞姫が常寧殿へ参入する。 ■ここしう 「子子し」は、子供らしく無邪気なさま。 ■そのものとも見ゆまじうしたてたる 殿上人の惟光の娘とは思えないほど装い立てた。 ■みなすこし大人び 今年の舞姫はそのまま宮仕えせよという勅命なので、例年の十ニ、三歳よりは年上の舞姫たちを選んである。 ■昔御目とまりたまひし少女 筑紫の五節。大宰大弐の娘。物語中に何度か断片的に語られている(【花散里 02】【須磨 17】【明石 21】)。 ■辰の日 十一月中の辰の日。五節の最終日で豊明の節会が行われ、五節の舞が披露される。『平家物語』巻一「殿上闇討」は豊明の節会の夜の事件いて描き名高い。同じく「天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ」(小倉百人一首・十ニ番 僧正遍昭)。 ■をとめごも… 「をとめご」は五節の舞姫。筑紫の五節のこと。「天つ袖」は舞姫の袖を天女のそれと見立てた。「ふる」(振る・古)の枕詞。「ふるき世の友」は筑紫の五節の古い友人である源氏。 ■あはれ ここでは懐旧の情。 ■をかしうおぼゆるも 源氏が詠んだ懐旧の歌に、筑紫の五節もしみじみ懐かしい気持になるが、たとえ懐かしんだところで昔に戻れるわけではないので、それが「はかなし」と見る作者の批評。 ■かけていへば… 「かけて」は五節のことに託して。「日かげ」は日差し(日の光)の意と、舞姫が冠の笄《こうがい》にかける「日陰のかづら」をかける。「かけて」と縁語。「日かげの霜の」は「とけて」の序詞。「霜」と「とけ」は縁語。「袖」は源氏。 ■青摺の紙 青字に蝋で文様をあぶり出したものか。五節の舞姫の衣が青摺であるのにあわせた。 ■紛らわし書いたる 筆跡が人にわからないように紛らわして書いてある。 ■草がち 草仮名(草書体の仮名)を文中に多様すること。 ■人のほどにつけて 大弐のむすめという身分にしては風情があるということ。 ■けけしう 「けけし」は、きっぱりして取り付く島もないさま。親しみにくい。取り澄ましている。 ■ものつつましきほどの心 夕霧十ニ歳。万事気が引けてはっきり思いを相手に伝えられない年頃である。

朗読・解説:左大臣光永

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