【少女 26】夕霧、惟光の娘に文を贈る 惟光、よろこぶ

やがて皆とめさせたまひて、宮仕すべき御気色ありけれど、このたびはまかでさせて、近江のは辛崎《からさき》の祓《はらへ》、津の守は難波《なには》といどみてまかでぬ。大納言もことさらに参らすべきよし奏せさせたまふ。左衛門督《さゑもんのかみ》その人ならぬを奉りて咎《とが》めありけれど、それもとどめさせたまふ。津の守は、「典侍《ないしのすけ》あきたるに」と申させたれば、さもやいたはらまし、と大殿もおぼいたるを、かの人は聞きたまひて、いと口惜しと思ふ。わが年のほど、位など、かくものげなからずは、請《こ》ひみてましものを、思ふ心あり、とだに知られでやみなんことと、わざとのことにはあらねど、うちそへて涙ぐまるるをりをりあり。

せうとの童殿上《わらはてんじやう》する、常にこの君に参り仕うまつるを、例よりもなつかしう語らひたまひて、「五節はいつか内裏《うち》へ参る」と問ひたまふ。「今年とこそは聞きはべれ」と聞こゆ。「顔のいとよかりしかば、すずろにこそ恋しけれ。ましが常に見るらむもうらやましきを、また見せてんや」とのたまへば、「いかでかさははべらん。心にまかせてもえ見はべらず。男兄弟《をのこはらから》とて近くも寄せはべらねば、まして、いかでか君達《きむだち》には御覧ぜさせん」と聞こゆ。「さらば、文をだに」とてたまへり。さきざきかやうの事は言ふものを、と苦しけれど、せめてたまへば、いとほしうて持《も》て往《い》ぬ。年のほどよりは、ざれてやありけん、をかしと見けり。緑の薄様《うすやう》の、好ましきかさねなるに、手はまだいと若けれど、生ひ先見えて、いとをかしげに、

日かげにもしるかりけめやをとめごがあまの羽袖《はそで》にかけし心は

二人見るほどに、父主《ちちぬし》ふと寄り来たり。恐ろしうあきれて、え引き隠さず。「なぞの文ぞ」とて取るに、面《おもて》赤みてゐたり。「よからぬわざしけり」と憎めば、せうと逃げていくを、呼び寄せて、「誰《た》がぞ」と問へば、「殿の冠者《くわざ》の君の、しかじかのたまうてたまへる」と言へば、なごりなくうち笑みて、「いかにうつくしき君の御ざれ心なり。きむぢらは、同じ年なれど、言ふかひなくはかなかめりかし」などほめて、母君にも見す。「この君達の、すこし人数に思しぬべからましかば、宮仕よりは、奉りてまし。殿の御心おきてを見るに、見そめたまひてん人を、御心とは忘れたまふまじきにこそ、いと頼もしけれ。明石の入道の例にやならまし」など言へど、みないそぎたちにけり。

現代語訳

そのまま舞姫を皆宮中にお留めになって、宮仕えさせるようにと帝のご意向であったが、今回は退出させて、近江守の娘は辛崎の祓を、摂津守(惟光)の娘は難波の祓をと、競い合うように祓をしてから退出した。

大納言(按察使大納言)も改めて娘を参内させるつもりのであることを奏上なさる。左衛門督は、舞姫となる資格のない人を奉って咎めがあったが、それも宮中におとどめになる。

摂津守は、「典侍《ないしのすけ》に空席があるので私の娘をぜひ」と申し出てきたので、そのように骨を折ってやろうかと、源氏の大臣もお考えになっている。それを、例の若君(夕霧)がお聞きになって、ひどく残念に思う。「自分の年齢、官位などが、こんなにも心もとないものでなかったら、あの娘を私にくださいとお願いするだろうに。私があの娘を思っているとさえ、知られずじまいになってしまうこと」と、特にこのことのせいで、というわけではないが、姫君のことに加えて、あの舞姫のことでも、自然と涙ぐむ折々がある。

あの舞姫の兄で、童殿上しているのが、いつもこの若君(夕霧)のおそばにお仕え申しているのを、若君は、いつもよりもうちとけてご相談になって、(夕霧)「五節はいつ参内するのだ」とご質問になる。

(弟)「今年と聞いております」と申し上げる。(夕顔)「顔がとてもよかったので、なんとなく恋しいのだよ。お前がいつも会っていることも羨ましいが、また私にも会わせてくれよ」とおっしゃると、(弟)「どうしてそのようなことができましょう。私も思いのままに会うことはできないのです。男の兄弟だからといって近寄らせませんので、まして、どうやって若君に御覧に入れましょう」と申し上げる。

(夕顔)「それならせめて手紙だけでも」といってお与えになった。前々から父内大臣よりこうした恋文などは取次ぐなと言われていたのに、と迷惑に思ったが、若君がしきりに頼まれるのが気の毒なので、持って行った。

五節は、年齢のわりにさばけていて、その手紙に興をそそられた。緑の薄様の紙の、気の利いた色合いのひと重ねに、筆跡はまだ幼いけれど、今後の成長が期待されるもので、たいそう趣深く、

(夕霧)日かげにも…

(五節の舞姫がかける「日蔭のかずら」。そのひかげという言葉のように、日影(日が当たるところ)で、はっきりわかったことでしょう。舞姫の天の羽袖に惹かれている私の心が)

姉弟の二人でこの手紙を見ている時に、父主(惟光)がそっと寄って来た。怖れびっくりして、手紙を引き隠すこともできない。(惟光)「なんの手紙だ」といって取ると、二人は顔を赤らめている。

(惟光)「とんでもないことをしでかしたものだな」と叱ると、弟が逃げていくのを、呼び寄せて、(惟光)「誰からの手紙だ」と尋ねると、(弟)「源氏の殿の冠者の君(夕霧)が、これこれとおっしゃってお与えになったのです」と言えば、惟光はうって変わって笑顔になり、(惟光)「なんと可愛らしい若君のお戯れ心ではないか。お前たちは若君と同じ年頃なのに、話にならぬほど幼稚だぞ」など若君をほめて、母君にもこの手紙を見せる。(惟光)「この若君が、娘を少し一人前にお思いになってくださるなら、宮仕えよりは、そちらに差し上げてしまおうかな。殿の御気性を見ると、お見そめになった人を、ご自分からはお忘れにならないようなのが、とても頼もしいのだよ。明石の入道の例にもなろうか」など言うが、人々はみな宮仕えの準備で忙しくしていたのだった。

語句

■やがて… 五節が終わってもそのまま舞姫たちを宮中にとどめようという帝の意向。 ■近江の 近江守の娘。 ■辛崎の祓 辛崎は近江国琵琶湖西岸。唐崎神社は祓で知られる。 ■ことさらに 改めて正式な形で。 ■その人ならぬを奉りて 舞姫となる資格がないのに舞姫として奉った。詳細不明。 ■典侍 内侍司の二等官。定員四人。そこに空席があるので惟光がわが娘を任命してほしいと頼む。 ■いたはらまし 骨を折ってやらなくては。子供の頃から世話になっている惟光への、源氏の心遣い。 ■請ひみてましものを 惟光の娘を私にくださいと願い出たかったのに。 ■わざとのことにはあらねど はっきり特定して、あの舞姫(惟光の娘)のことで悩んでいる、というわけではないが。夕霧の念頭に雲居雁がちらついている。 ■うちそへて 雲居雁とのことに加えて。 ■せうと 惟光の娘の同腹の兄弟。 ■すずろに 何となく。これといった理由はないが。 ■まし 目下の者への親しみをこめた呼び方。 ■君達には 兄弟である私も会うことができないのだから、まして君達をどうやって手引しましょうというのである。君達と一般論の形で言っているが夕霧のことをさす。  ■かやうのことは言ふものを 恋文のなかだちなどはするなと父内大臣が言っているのに。 ■いとほしうて 弟は夕霧と年も近く、夕霧の気持に共感する。 ■薄様 薄い鳥の子紙。 ■かさねなる 同系色の色を重ねたもの。 ■日かげにも 「日かげ」は「日影」…日の光と、五節の舞姫が冠の笄(こうがい)にかける「日蔭のかづら」をかける。「あまの羽袖」は五節の舞姫を天女が舞い降りて舞うと見ることから。 ■なごりなく それまで不機嫌なのが打って変わって上機嫌になって。 ■御ざれ心 自分の娘が若君の御目にとまったことを親として無邪気に喜んでいる。 ■母君 二人の母。惟光の妻。 ■この君達 夕霧。 ■人数に思しぬべからましかば 「人数に思ふ」は一人前と考える。ここでは妻にすることを考えること。 ■宮仕よりは 典侍として宮仕えに出すよりは。 ■御心おきて 源氏の愛人たちへの処遇態度を見て、子である夕霧もそのようであろうと期待する。 ■明石の入道の例 明石の入道は受領だが、その娘、明石の君は源氏の妻として迎えられ、子までなして大切に取り扱われている。 ■みないそぎたちにけり だれも惟光の意見に同意せず、宮仕えのほうがましと思っている。

朗読・解説:左大臣光永

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