【少女 27】花散里、夕霧を後見 夕霧、花散里を批評

かの人は、文をだにえやりたまはず、たちまさる方のことし心にかかりて、ほど経《ふ》るままに、わりなく恋しき面影に、またあひ見でや、と思ふよりほかのことなし。宮の御もとへも、あいなく心うくて参りたまはず。おはせし方、年ごろ遊び馴《な》れし所のみ、思ひ出でらるることまされば、里さへうくおぼえたまひつつ、また籠《こも》りゐたまへり。殿はこの西の対にぞ、聞こえ預けたてまつりたまひける。「大宮の御世の残り少なげなるを、おはせずなりなん後《のち》も、かく幼きほどより見馴らして、後見《うしろみ》思せ」と聞こえたまへば、ただのたまふままの御心にて、なつかしうあはれに思ひあつかひたてまつりたまふ。

ほのかになど見たてまつるにも、容貌《かたち》のまほならずもおはしけるかな、かかる人をも人は思ひ棄てたまはざりけりなど、わがあながちにつらき人の御容貌を心にかけて恋しと思ふもあぢきなしや、心ばへのかやうに柔かならむ人をこそあひ思はめ、と思ふ。また、向ひて見るかひなからんもいとほしげなり。かくて年|経《へ》たまひにけれど、殿の、さやうなる御容貌、御心と見たまうて、浜木綿《はまゆふ》ばかりの隔てさし隠しつつ、何くれともてなし紛らはしたまふめるも、むべなりけり、と思ふ心の中《うち》ぞ恥づかしかりける。大宮の容貌《かたち》ことにおはしませど、まだいときよらにおはし、ここにもかしこにも、人は容貌よきものとのみ目馴れたまへるを、もとよりすぐれざりける御容貌の、ややさだ過ぎたる心地して、痩せ痩せに御髪《みぐし》少ななるなどが、かくそしらはしきなりけり。

現代語訳

かの若君(夕霧)は、惟光の娘(五節の舞姫)には手紙さえもお送りにならず、はるかに恋しさのまさる内大臣の姫君(雲居雁)のことが気にかかって、時が経つにしたがって、むしょうに恋しい面影に、もう二度と会うことはできないのかと、思い悩んでばかりである。

大宮の御邸へも、具合が悪く、辛くて、おいでにならない。姫君がいらっしゃった御部屋、長年遊び親しんだ場所ばかりが、以前にもまして思い出されるので、大宮の御邸まで辛いものに思われて、また部屋に引き籠もっていらっしゃる。

源氏の大臣はこの西の対(花散里)に、お話しして若君をお預け申されていた。(源氏)「大宮のご寿命も残り少なげに思われますから、お亡くなりになられた後も、こうして幼い頃から親しんでおいて、世話するようになさってください」と申されると、この女君(花散里)は、ひたすらお言葉のままに従うご気性であるから、親しく心をこめて若君をお世話申しあげていらっしゃる。

若君は、この女君(花散里)をちょっと御覧になられるにつけても、「容貌もそれほどすぐれてもいらっしゃらないのだな、こういう人をも、父はお見限りにならなかったのだ」などと思い、「私がひたすら恨めしいあの人(雲居雁)のお姿を心にかけて恋しいと思うのもつまらないことだ。この女君(花散里)のように気立てが柔和な人とこそお互いに思いあうようにしよう」と思う。その一方でまた、「向かい合って見るかいもないほどに器量が悪いのも困りものだな。こうして長年ご一緒にいらっしゃるけれど、父はこの女君(花散里)が、このていどの御容貌、御気性とご承知の上で、浜木綿を幾重にも重ねたように隔てをおきつつ、欠点に目をつぶりながら、何のかのと気を遣って取り繕っていらっしゃるのだろう。それもなるほど納得できることだ」と思う若君の心の中は大人も恐縮するほどである。

というのも、大宮は尼姿になってはいらっしゃるが、まだたいそう美しくていらっしゃるし、誰も彼も、女は顔立ちがよいものとばかり若君は見慣れていらっしゃったが、この女君(花散里)は、もともとすこし残念なご器量であることに加えて、やや年の盛が過ぎたような気がして、痩せすぎで、御髪が少なめなことなどが、こうして文句をつけたくも、なるのだった。

語句

■たちまさる 惟光の娘よりも。 ■またあひ見でや 「またあひ見でややみなん」の意。 ■里さへ 「里」は大宮の三条邸。雲居雁のいた部屋ばかりか邸全体までも何となく辛く立ち寄りづらいのである。 ■西の対 二条院東院の西の対を預かる花散里。 ■大宮の御世 大宮の寿命。 ■のたまふまま 源氏の言葉のままに従順であるご気性。 ■ほのかになど見たてまつるにも 几帳や屏風をへだてて見るにつけても。 ■わがあながちに 父大臣が容貌の悪い花散里のような女性でも見捨てないことを見て、雲居雁の容貌のよさにばかり惹かれている自分を反省する。 ■また こう思う一方ではまた。 ■かくて 源氏と花散里は関係が途絶えもせずに。 ■浜木綿ばかりの 「み熊野の浦の浜木綿百重《ももへ》なる心は思へどただにあはぬかも」(拾遺・恋一 人麿)を引く。歌意は、「熊野の浦の浜木綿を百重ねるほど隔たっているので、心には相手を思っていてもすぐに会うことはできないなあ」。「浜木綿」は植物名。 ■ことに 尼姿になっていること。 ■ここもかしこも 若君がふだんご覧になっている女君たち。大宮も、雲居雁も、惟光の娘も。夕霧はそれまで女というものは器量がいいのが当たり前と思っていたが、花散里を見て、必ずしもそうでないことを知ったのである。 ■さだ過ぎたる 女の盛りを過ぎて衰えてきた様子。 ■痩せ痩せに 当時はふくよかで髪が多いことが美人の条件。 ■そしらはしき 「そしらはし」はそしりたくなる。

朗読・解説:左大臣光永

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