【少女 28】年の暮れ 夕霧、世をはかなむ 大宮、若君に共感

年の暮には正月《むつき》の御|装束《さうぞく》など、宮はただ、この君一《ひと》ところの御ことを、まじることなういそいたまふ。あまたくだりいときよらにしたてたまへるを、見るもものうくのみおぼゆれば、「朔日《ついたち》などには、かならずしも内裏《うち》へ参るまじう思ひたまふるに、何にかくいそがせたまふらん」と聞こえたまへば、「などてかさもあらん。老いくづほれたらむ人のやうにも、のたまふかな」とのたまへば、「老いねどくづほれたる心地ぞするや」と独りごちて、うち涙ぐみてゐたまへり。かのことを思ふならん、といと心苦しうて、宮もうちひそみたまひぬ。「男《をとこ》は、口惜《くちを》しき際《きは》の人だに、心を高うこそつかふなれ。あまりしめやかに、かくなものしたまひそ。何とか、かうながめがちに思ひ入れたまふべき。ゆゆしう」とのたまふ。「何かは。六位など人の侮《あなづ》りはべるめれば、しばしのこととは思うたまふれど、内裏《うち》へ参るもものうくてなん。故大臣《こおとど》おはしまさましかば、戯《たはぶ》れにても、人には侮られはべらざらまし。もの隔てぬ親におはすれど、いとけけしうさし放ちておぼいたれば、おはしますあたりに、たやすくも参り馴れはべらず。東《ひむがし》の院にてのみなん、御前近くはべる。対の御方こそあはれにものしたまへ。親今一ところおはしまさましかば、何ごとを思ひはべらまし」とて、涙の落つるを紛らはいたまへる気色、いみじうあはれなるに、宮はいとどほろほろと泣きたまひて、「母に後《おく》るる人は、ほどほどにつけて、さのみこそあはれなれど、おのづから宿世《すくせ》宿世に、人となりたちぬれば、おろかに思ふ人もなきわざなるを、思ひ入れぬさまにてものしたまへ。故大臣《こおとど》のいましばしだにものしたまへかし。限りなき蔭《かげ》には、同じことと頼みきこゆれど、思ふにかなはぬことの多かるかな。内大臣《うちのおとど》の心ばへも、なべての人にはあらずと、世人もめで言ふなれど、昔に変ることのみまさりゆくに、命長さも恨めしきに、生ひ先遠き人さへ、かくいささかにても、世を思ひしめりたまへれば、いとなむよろづ恨めしき世なる」とて、泣きおはします。

現代語訳

年の暮には正月の御装束など、大宮はひたすら若君お一人の御ことを、余念なくご準備なさる。たくさんの御装束をとても美しく仕立てていらっしゃるのを、見るのも情けなくばかり思われるので、(夕霧)「元日などには、必ずしも参内することもないと思いますのに、何をそう急がせていらっしゃるのですか」と申されると、(大宮)「どうしてそんなことがありましょう。老いて気落ちした人のようにおっしゃることですね」とおっしゃると、(夕霧)「老いてなくても気落ちはしますよ」と独りつぶやいて、涙ぐんでいらっしゃる。姫君のことを思っているのだなと、たいそうお気の毒で、大宮も泣き顔になられた。

(大宮)「男は、取るに足らない身分の人でさえ、気位を高く持つといいますよ。あまりじめじめと、そんなふうにお考えになりますな。どうして、こう物思いに沈みがちに、ふさぎ込んでいらっしゃるのですか。縁起でもないこと」とおっしゃる。

(夕霧)「何も物思いなどしておりません。六位などと人がばかにしているようですから、それもしばらくのこととは思いますが、参内するのもおっくうですから。故太政大臣がご存命でいらっしゃれば、戯れにも、人にばかにされるようなことはないでしょうに。父大臣は隔てのない実の親ではいらっしゃいますが、ひどく他人行儀で、私を遠ざけておいでなので、いらっしゃるあたりに、気軽に参り近づくこともございません。東の院でだけ、御前近くに控えるのです。対の御方(花散里)はとても親身にしてくださいます。しかしもう一人の親(葵の上)がご存命でいらっしゃれば、何の物思いすることがございましょうか」といって、涙の落ちるのをごまかしていらっしゃるご様子が、とても意地らしいので、大宮はますますほろほろとお泣きになって、(大宮)「母に先立たれた人は、どんな身分でも、貴方のようにおかわいそうなものですが、自然とそれぞれの宿命に応じて、一人前となれば、ばかにする人もなくなることですから、あまり思いつめないようにしていらっしゃい。故太政大臣がせめてもう少し生きていらしたらよかったのに。源氏の君の限りなく頼りがいがあることは、故太政大臣と同じくらいお頼み申しあげてはいるのですが、それでも思うままにならないことが多いものですね。内大臣のご気性も、並々の人ではないと、世間の人も褒めて言うようですが、昔に変わることばかりが多くなっていきますので、私の長生きも恨めしく思われますが、将来の長い貴方さえも、こんなふうにわずかでも、世をはかなんでいらっしゃるとなれば、万事ひどく恨めしい世の中ですよ」といって、泣いていらっしゃる。

語句

■まじることなく 雲居雁は大宮の手元を離れてしまったので、今や大宮が世話する相手は夕霧のみである。 ■くだり 「くだり(領・襲)」は衣類を数える単位。 ■見るもものうく 正月の装束は束帯で六位の浅黄色であるため。夕霧の六位コンプレックスが掻き立てられる。 ■朔日などには 元日には朝賀はじめ宮中ではさまざまな行事が行われる。 ■くずほれたる 「くずほれる」は気落ちすること。 ■思ひ入れたまふべき 「思ひ入る」は心に深く思い悩む。 ■ゆゆしう 「ゆゆし」は縁起でもない。不吉だ。思い悩むと物の怪に取り憑かれるから。 ■しばしのこととは 六位にとどまるのも。すぐに昇進してみせるが、それまでは恥ずかしいので人交わりをしたくないという気持ち。 ■けけしう 「異異し」か。他人行儀で取り付く島もないこと。 ■東の院 二条東院。花散里が管理する。 ■いとどほろほろと泣きたまひて 夕霧が父への疎外感などを訴えるだけでも泣けてくるのに、そこに葵の上のことまで言われると、いっそう涙がこぼれるのである。 ■宿世宿世に めいめいの宿命に応じて。立身出世の高さも道のりも、人それぞれだということ。 ■限りなき蔭 どこまでも頼りがいのある源氏の庇護力。 ■同じこと 故太政大臣と同じように源氏を頼みにするの意。 ■めで言ふなれど 伝聞の「なれ」に「世評はそう言ってるようだが私はそう思わない」の意図をこめる。 ■昔に変わることのみ 雲居雁の一件で大宮は内大臣から非難され、雲居雁から引き離された(【少女 14】)。 

朗読・解説:左大臣光永

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