【明石 21】源氏、明石の君に文を送る 五節と歌の贈答

まことや、かの明石には、返る波につけて御文遣はす。ひき隠してこまやかに書きたまふめり。「波のよるよるいかに。

嘆きつつあかしのうらに朝ぎりのたつやと人を思ひやるかな」

かの帥のむすめの五節、あいなく人知れぬもの思ひさめぬる心地して、まくなぎつくらせてさし置かせけり。

須磨の浦に心をよせし舟人のやがて朽たせる袖を見せばや

手などこよなくまさりにけりと、見おほせたまひて、遣はす。

かへりてはかごとやせまし寄せたりしなごりに袖のひがたかりしを

飽かずをかしと思ししなごりなれば、おどろかされたまひていとど思し出づれど、このごろはさやうの御ふるまひさらにつつみたまふめり。花散里などにも、ただ御消息などばかりにて、おぼつかなく、なかなか恨めしげなり。

現代語訳

そういえば、あの明石には、帰っていく人にことづけて御文を遣わす。ひき隠してこまやかにお書きになるようだ。(源氏)「波の打ち寄せる夜夜はいかがおすごしですか。

嘆きつつ…

(貴女が嘆きに嘆いて夜を明かす明石の浦には、その嘆きのために朝霧が立っているだろうかと貴女のことを思いやっております)

例の帥のむすめの五節は、源氏の君へのどうにもならない人しれぬ恋心も今ではさめてしまった心地がして、使の者に、目くばせをさせて、そっとお手紙を置きに行かせたのだった。

(五節)須磨の浦に…

(須磨の浦に心をよせていた舟人の、そのまま涙に朽ちてしまった袖を見せたいものですよ)

筆跡などは前よりもとてもよくなったと、その手紙の主を誰だとお見通しになって、ご返事を遣わす。

(源氏)かえりては…

(須磨に立ち返って貴女に小言を言いたいものですよ。貴女が私にお手紙をくださった後、私の袖は涙がなかなか乾かなかったのですから)

君は、どこまでも愛しいとお思いになった昔の思い出も残っているので、突然のお便りをお受け取りになって、たいそう思い出しなさるが、この頃はそういった色恋方面のふるまいはまったくお慎みになっていらっしゃるようだ。

花散里などにも、ただお手紙などばかりで、それが女君としては物足りなく、何も連絡がないよりかえって恨めしそうである。

語句

■返る波 明石から都まで源氏を見送ってきた人々がふたたび明石に帰っていくのをいう。 ■ひき隠して 紫の上の目を避けている。 ■波のよるよる 「寄る」に「夜」をかける。 ■嘆きつつ… 「大野山霧立ちわたるわが嘆く息嘯《おきそ》の風に霧立ちわたる」(万葉799)「君が行く海辺の宿に霧立たば吾が立ちなげく息と知りませ」(万葉3580)など、嘆きが霧を引き起こすという発想。「明かし」に「明石」をかける。 ■帥のむすめの五節 大宰大弐のむすめ。須磨巻で筑紫から上洛の途上、源氏に歌を贈った。「琴の音にひきとめらる綱手縄たゆたふ心君しるらめや」(【須磨 17】)。大宰府の長官である帥は親王がつとめることが多く実際に大宰府に赴任しない。次官の大弐が実際に大宰府に赴任し長官としてつとめ、帥と俗称された。 ■まくなぎつくらせて 「目婚《まくな》ぎつくる」は目くばせする。使者を二条院に遣わして、その使者に、二条院の女房に目配せをさせて、手紙を置かせる。紫の上にみつからないため。 ■かへりては… 「いたづらに立ち返りしに白波の名残りに袖のひるときもなし」(後撰・恋四 藤原朝忠)。 ■さやうの御ふるまい 色恋方面のこと。浮気。

朗読・解説:左大臣光永

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