【澪標 01】源氏、故桐壺院追善の御八講を準備 政界に復帰

原文

さやかに見えたまひし夢の後《のち》は、院の帝の御ことを心にかけきこえたまひて、いかでかの沈みたまふらん罪救ひたてまつる事をせむ、と思し嘆きけるを、かく帰りたまひては、その御いそぎしたまふ。神無月《かみなづき》御八講《みはかう》したまふ。世の人なびき仕うまつること、昔のやうなり。

大后《おほきさき》御悩み重くおはしますうちにも、つひにこの人をえ消《け》たずなりなむこと、と心病み思しけれど、帝は、院の御|遺言《ゆいごん》を思ひきこえたまふ。ものの報いありぬべく思しけるを、なほし立てたまひて、御心地涼しくなむ思しける。時々おこり悩ませたまひし御目もさわやぎたまひぬれど、おほかた世にえ長くあるまじう、心細きこととのみ、久しからぬことを思しつつ、常に召しありて、源氏の君は参りたまふ。世の中のことなども、隔てなくのたまはせつつ、御|本意《ほい》のやうなれば、おほかたの世の人もあいなくうれしきことによろこびきこえける。

現代語訳

はっきりと夢にその御姿がお見えになった後は、源氏の君は、故桐壺院の御ことを心におかけなさって、どうにかして、あの苦しみの中に沈んでおられるという罪からお救い申し上げようと、思い悩んでおられたが、こうして帰京なさったからには、追善供養を急いでなさる。十月に御八講をなさる。世の人々がこぞってそれにお仕え申し上げることは、以前のままである。

大后はご病気が重くていらっしゃる上に「ついにこの人(源氏)を排除できなかった」と心中、不愉快にお思いであったが、帝は院のご遺言にお心をかけていらした。神仏の報いがあるに違いないと思っていたが、源氏の君をもとの地位にお立てになってからは、ご気分もさわやかにお思いになっていた。時々わずらっていらした御目もすっかりよくなられたが、だいたいご自身は長生きできないだろうと、心細いこととばかり、お命の久しからぬことをお思いになりつつ、いつもお召があるので、源氏の君は参内なさる。帝は政治のことなども、隔てなく源氏の君にご相談になりつつ、ご満足のようであるので、世間一般の人も、自分には無関係ながらわけもなくうれしいことにお喜び申し上げた。

語句

■さやかに見えたまひし 源氏が須磨で夢に故桐壺院を見たこと(【明石 03】)。 ■院の帝 上皇。故桐壺院のこと。 ■かの沈みたまふらん罪 源氏は夢に故桐壺院に逢い、罪に沈んで苦しみの中にいると察した。醍醐天皇が地獄で生前の罪によって苦しんでおり、日蔵上人に追善を依頼したという伝説により、桐壷院のモデルを醍醐天皇とする説がある。 ■御八講 『法華経』八巻を、一日二巻、四日間にわたって講釈する法会。 ■大后 弘徽殿大后。 ■ひつにこの人をえ消たず 朱雀帝が源氏を呼び戻して大納言に昇進させたので、源氏を憎む弘徽殿大后の望みは潰えた。 ■院の御遺言 万事、源氏を相談相手とせよという故桐壺院の御遺言(【賢木 08】)。 ■ものの報い 朱雀帝は罪なき源氏を追放したことで何らかの報いがあるだろうと怖れたが大后によりその意見は退けられた(【明石 11】)。 ■おこり悩ませたまひし御目 朱雀帝は夢に桐壺院を見てから眼病に悩まされていた。 ■あいなくうれしきことに 世間一般の人にとって宮中で何が起ころうと大して関係はないが、それでもうれしいの意。

朗読・解説:左大臣光永