【明石 03】雨風静まる 源氏、夢に桐壺院を見る

原文

やうやう風なほり、雨の脚しめり、星の光も見ゆるに、この御座所《おましどころ》のいとめづらかなるも、いとかたじけなくて、寝殿に返し移したてまつらむとするに、「焼け残りたる方もうとましげに、そこらの人の踏みとどろかしまどへるに、御簾などもみな吹き散らしてけり」「夜を明かしてこそは」と、たどりあへるに、君は御|念誦《ねんず》したまひて、思しめぐらすに、いと心あわたたし。月さし出でて、潮の近く満ち来ける跡もあらはに、なごりなほ寄せかへる浪荒きを、柴の戸おし開けてながめおはします。近き世界に、ものの心を知り、来《き》し方行く先のことうちおぼえ、とやかくやとはかばかしう悟る人もなし。あやしき海人《あま》どもなどの、貴《たか》き人おはする所とて、集まり参りて、聞きも知りたまはぬことどもをさへづりあへるも、いとめづらかなれど、え追ひも払はず。「この風いましばし止《や》まざらましかば、潮《しほ》上《のぼ》りて残る所なからまし。神の助けおろかならざりけり」と言ふを聞きたまふも、いと心細しと言へばおろかなり。

海にます神のたすけにかからずは潮《しほ》のやほあひにさすらへなまし

終日《ひねもす》にいりもみつる雷《かみ》の騒ぎに、さこそいへ、いたう困じたまひにければ、心にもあらずうちまどろみたまふ。かたじけなき御座所《おましどころ》なれば、ただ寄りゐたまへるに、故院ただおはしまししさまながら立ちたまひて、「などかくあやしき所にはものするぞ」とて、御手を取りて引き立てたまふ。「住吉の神の導きたまふままに、はや舟出してこの浦を去りね」とのたまはす。いとうれしくて、「かしこき御影に別れたてまつりにしこなた、さまざま悲しき事のみ多くはべれば、今はこの渚に身をや棄てはべりなまし」と聞こえたまへば、「いとあるまじきこと。これはただいささかなる物の報いなり。我は位に在りし時、過《あやま》つことなかりしかど、おのづから犯しありければ、その罪を終《を》ふるほど暇《いとま》なくて、この世をかへりみざりつれど、いみじき愁へに沈むを見るに、たへがたくて、海に入り、渚に上り、いたく困《こう》じにたれど、かかるついでに内裏《だいり》に奏すべきことあるによりなむ急ぎ上《のぼ》りぬる」とて、立ち去りたまひぬ。

飽かず悲しくて、御供に参りなんと泣き入りたまひて、見上げたまへれば、人もなく、月の顔のみきらきらとして、夢の心地もせず、御けはひとまれる心地して、空の雲あはれにたなびけり。年ごろ夢の中《うち》にも見たてまつらで、恋しうおぼつかなき御さまを、ほのかなれど、さだかに見たてまつりつるのみ面影におぼえたまひて、我かく悲しびをきはめ、命尽きなんとしつるを、助けに翔《かけ》りたまへるとあはれに思すに、よくぞかかる騒ぎもありけると、なごり頼もしう、うれしうおぼえたまふこと限りなし。胸つと塞《ふた》がりて、なかなかなる御心まどひに、現《うつつ》の悲しき事もうち忘れ、夢にも御答《いら》へをいますこし聞こえずなりぬることと、いぶせさに、またや見えたまふと、ことさらに寝入りたまへど、さらに御目もあはで、暁方になりにけり。

現代語訳

しだいに風がやんで、雨脚が弱まって、星の光も見えてきたので、こちらの御座所が妙ちきりんなのもひどく申し訳ないので、供人たちは源氏の君を寝殿に返し移し申し上げようとするが、(供人)「焼け残ったところも不気味な感じだし、大勢の人が踏み騒いでうろうろしていて、御簾などもみな吹き散らされてしまったそうだ」(供人)「ここで夜を明かしてからにしよう」と、あれこれ推量しあっていると、君はお念仏をお唱えになりながら、あれこれご思案されていると、たいそう心がさわがしい。

月が出てきて、潮が御座所近くまで満ちて来ていた跡もはっきり見えて、嵐の余波でいまだに寄せては返す浪の荒立っているのを、源氏の君は、柴の戸をおし開けて眺めていらっしゃる。

近い界隈に、ものの道理を知り、過去のこと未来のことをわきまえ、あれはこう、それはこうとしっかりと分かった人もいない。

身分卑しき海人たちなどが、貴人がいらっしゃる所だといって、集まり参って、源氏の君がお聞きになったこともないさまざまな事をあれこれ言い合っているのも、ひどく異様な感じだが、追い払うこともできない。

(海人)「この風がもう少し止まなかったら、高潮が上ってきて残る所はなかっただろう。神の助けは並々ではなかったのだ」と言うのをお聞きになるにつけても、ひどく心細いなどと言う言葉では足りないほど心細い。

(源氏)海にます…

(海にいらっしゃる神のたすけにすがらなかったら、八方から攻め寄せる浪のはざまに漂っていただろう)

一日中吹き荒れた雷の騒ぎに、ああして気強く構えていらしたとはいっても、ひどくお疲れになったので、眠るつもりではなくてもちょっとお眠りになる。

畏れ多くも見すぼらしい御座所なので、ただ物に寄りかかってお休みになっておられると、故院が、まさしくご生前のお姿そのままでお立ちになって、(院)「どうしてこんな見すぼらしい所にいるのだ」といって、源氏の君の御手を取って引き立てなさる。

(院)「住吉の神のお導きあそばすままに、はやく舟出してこの浦を去りなさい」と仰せになる。

源氏の君はたいそううれしくて、「畏れ多いお姿にお別れ申し上げてからというもの、さまざまに悲しい事ばかり多くございますので、今はこの渚に身を捨てようと存じます」と申し上げなさると、(院)「とんでもないことだ。これはただちょっとした物事の報いなのだ。我は位にあった時、過ちはなかったが、我知れず犯した罪があったので、死後はその罪を終える間、暇がなくて、この世をかえりみなかった。だが前がたいそう悲しみに沈んでいるのを見るに、たえがたくて、海に入り、渚に上がり、ひどく疲れたが、この機会に、帝に奏上しなくてはならないことがあるので大いに急いで都へ上るのだ」といって、立ち去られた。

源氏の君は、もっとお話したいのにお別れすることが悲しく、「御供に参りましょう」と泣き出しなさって、お見上げになると、人もなく、月の顔だけがきらきらとして、夢の感じもせず、故院の御気配がまだ残っている気がして、空の雲がしみじみとした風情でたなびいていた。

何年も夢の中にさえ故院の御姿を拝見せず、恋しく、気がかりだった御姿を、ほんの少しであるが、はっきりと拝見したことだけが、目の前に幻となって感じられ、「自分がこうして悲しみを極め、命尽きようとしているのを助けに翔っていらっしゃったのだと、しみじみありがたくお思いになって、「よくもこんな騒ぎもあったものだ」と、夢の名残も頼もしく感じられ、どこまでもうれしくお思いになる。

お胸がいっぱいになり、故院を夢に拝見したがゆえにかえって困惑なさるが、現世の悲しさも忘れ、夢の中にをもう少し御答え申し上げなかったことが心残りで、またお逢いできのではないかと、わざわざもう一度お寝入りなさろうとなさるが、まったくお眠りになれず、暁方になってしまうのだった。

語句

■雨の脚しめり 雨脚が弱まったこと。 ■この御座所のいとめずらかなるも 大炊殿は見すぼらしい殿舎であり、源氏の君がお住まいになるような所ではない。 ■うとましげ 人が見て疎ましく思いがち=不気味。 ■そこらの 多くの。たくさんの。 ■踏みとどろかし 雷鳴の縁語。 ■まどへる 「まどふ」はうろうろする。 ■吹きちらしてけり 「けり」は伝聞。従者は御座所の御簾などが吹き散らされたのを直接見たわけではない。海人たちなどの噂話で知ったのだろう。 ■夜を明かしてこそは 下に「返し送りたてまつらめ」などが省略。 ■たどりあへる 「たどる」は推量する。 ■念誦 心に仏を思い描き、経文や陀羅尼を唱えること。 ■悟る人 天変地異の啓示を読み解くことのできる宿曜道・陰陽道の人。 ■さへづりあへる たくさんのことを早口でしゃべる。 ■言へばおろかなり …などという言葉ではとても言い表せない。慣用句。 ■海にます… 「海にます神」は住吉明神や海龍王。「潮の八百合ひ」は八方から浪が集まって深くなったところ。 ■いりもみつる 煎ったり揉んだりするように、嵐が吹き荒れること。 ■さこそいへ 源氏は嵐の中平成を保ち気丈にふるまっていたが、そうはいっても。 ■困じたまひ 「困ず」は疲れる。 ■かたじけなき御座所 ここは調理場。源氏の君のお住まいとしては勿体ない場所である。 ■物の報い 「物」は漠然とした物事。源氏と藤壺宮の密通のこととする件もあるが、桐壺院は密通の事実を知らないので成立しないか。 ■その罪 桐壺帝のモデルは醍醐天皇とされる。醍醐天皇の生前に五つの罪があったため地獄に落ちたという説(北野天神縁起)があるのに拠ったか。 ■なむ急ぎ上りぬる 「なむ…ぬる」は強意。 ■月の顔のみきらきらとして 「落月満屋梁 猶疑照顔色」(杜甫「夢李白」)。源氏は都を後にする直前、桐壺院の山陵を拝し故院を月になぞらえた歌をよんだ。「なきかげやいかが見るらむよそへつつながむる月も雲がくれぬる」(【須磨 08】)。 ■かかる騒ぎ 暴風雨・落雷といった天変地異のこと。 ■なごり 夢から覚めた後も残っている感慨。 ■頼もしう 助かるかもしれないと希望が出てきた。 ■なかなかなる なまじ院の御姿を夢に拝見したばかりに。 ■いぶせさに 「いぶせし」は思うようにいかず気が滅入る。 ■目もあはで 目が覚めて眠れない。

朗読・解説:左大臣光永