【明石 04】入道、須磨に来訪し源氏を明石に招く

渚に小さやかなる舟寄せて、人二三人ばかり、この旅の御宿をさして来《く》。何人《なにびと》ならむと問へば、「明石の浦より、前《さき》の守《かみ》新発意《しぼち》の、御舟よそひて参れるなり。源少納言さぶらひたまはば、対面《たいめ》して事の心とり申さん」と言ふ。良清驚きて、「入道はかの国の得意にて、年ごろあひ語らひはベれど、私《わたくし》にいささかあひ恨むる事はべりて、ことなる消息をだに通はさで、久しうなりはべりぬるを、浪のまぎれに、いかなることかあらむ」とおぼめく。君の、御夢なども思しあはすることもありて、「はや会へ」とのたまへば、舟に行きて会ひたり。さばかりはげしかりつる浪風に、いつの間にか舟出しつらむと、心えがたく思へり。

「去《い》ぬる朔日《ついたちのひ》の夢に、さまことなる物の告げ知らすることはべりしかば、信じがたきことと思うたまへしかど、『十三日にあらたなるしるし見せむ。舟よそひ設《まう》けて、必ず、雨風止まばこの浦にを寄せよ』と、かねて示すことのはべりしかば、こころみに舟のよそひを設けて待ちはべりしに、いかめしき雨風、雷《いかづち》のおどろかしはべりつれば、他《ひと》の朝廷《みかど》にも、夢を信じて国を助くるたぐひ多うはべりけるを、用ゐさせたまはぬまでも、このいましめの日を過ぐさず、このよしを告げ申しはべらんとて、舟出だしはべりつるに、あやしき風細う吹きて、この浦に着きはべること、まことに神のしるべ違《たが》はずなん。ここにも、もし知ろしめすことやはべりつらんとてなむ。いと憚《はばか》り多くはべれど、このよし申したまへ」と言ふ。

良清しのびやかに伝へ申す。君思しまはすに、夢現《ゆめうつつ》さまざま静かならず、さとしのやうなる事どもを、来《き》し方行く末思しあはせて、「世の人の聞き伝へん後のそしりも安からざるべきを憚りて、まことの神の助けにもあらむを、背くものならば、またこれよりまさりて、人笑はれなる目をや見む。現《うつつ》の人の心だになほ苦し。はかなき事をもつつみて、我より齢《よはひ》まさり、もしは位高く、時世《ときよ》の寄せいま一きはまさる人には、靡《なび》き従ひて、その心むけをたどるべきものなりけり。退《しりぞ》きて咎《とが》なしとこそ、昔のさかしき人も言ひおきけれ、げにかく命をきはめ、世にまたなき目の限りを見尽くしつ。さらに後のあとの名をはぶくとても、たけきこともあらじ。夢の中《うち》にも父帝《ちちみかど》の御教へありつれば、また何ごとか疑はむ」と思して、御返りのたまふ。

「知らぬ世界に、めづらしき愁への限り見つれど、都の方よりとて、言問《ことと》ひおこする人もなし。ただ行く方なき空の月日の光ばかりを、古里《ふるさと》の友とながめはべるに、うれしき釣舟《つりぶね》をなむ。かの浦に静やかに隠ろふべき隈《くま》はべりなんや」とのたまふ。限りなくよろこび、かしこまり申す。「ともあれかくもあれ、夜の明けはてぬさきに御舟に奉れ」とて、例の親しきかぎり四五人ばかりして奉りぬ。例の風出で来て、飛ぶやうに明石に着きたまひぬ。ただ這ひ渡るほどに、片時の間《ま》と言へど、なほあやしきまで見ゆる風の心なり。

現代語訳

渚に小さい舟を寄せて、人がニ三人ほど、この源氏の君の旅の宿をさしてやって来る。誰だろうと質問すると、(舟人)「明石の浦から、元の国守で最近仏道に入られた方が、御舟をととのえて参ったのです。源少納言がお仕えしていらしゃいましたら、会って詳しい事情をお話しましょう」と言う。

良清は驚いて、「入道はあの国で懇意にしている方で、長年交際がございましたが、私事として少しいさかい事がございまして、特別の手紙さえもやり取りしないで長いこと経っておりますのに、この荒浪にまぎれていらっしゃるとは、どんなことがあったのでしょう」と、とぼける。

源氏の君が、御夢なども思い合わせなさることもあって、(源氏)「早く会え」とおっしゃるので、良清は舟に行って入道に会った。

あれほど激しかった波風なのに、いつの間に舟出したのだろうと、理解しがたく思う。

(入道)「去る朔日の夢に、異形の物が告げ知らせることがございましたので、信じがたいことと存じましたが、『十三日に霊前あらたかなるしるしを見せよう。舟の準備をととのえて、必ず、雨風がやんだらこの浦に漕ぎよせよ」と、かねて示すことのございましたので、ためしに舟の準備をととのえて待ってございましたところ、激しい雨風、雷にはっといたしましたので、外国の朝廷にも、夢を信じて国を助ける例が多くございましたのを、たとえお取り上げくださらぬまでも、この夢のお告げにあった日を見送らず、このことをお告げ申し上げようということで、舟を出しましたところ、不思議な風が細く吹いて、この浦に着きましたことは、まことに神の導きが間違いでなかったのでしょう。こちらにも、もしお心当たりの事がございましたらと、参ったのです。まことに恐縮でございますが、このことを君に申し上げてください」と言う。

良清はこの旨をこっそりと源氏の君にお伝え申し上げる。源氏の君はあれこれお考えをめぐらしなさると、夢のことも、現実に起こったことも、さまざまにただごとでなく、神仏の啓示のような多くのことを、過去未来を照らしあわせてご覧になると、「世間の人がこのことを聞き伝えて後でひどく非難するだろうが、そのことに憚って、ほんとうの神の助けかもしれないのに、それに背くとしたら、またそれ以上に人の笑われ草になろう。現世の人の心さえやはり無視するのは心苦しい。まして神意ならなおさらである。少しのことでも慎んで、自分より年長であったり、もしくは位が高かったり、世間のおぼえが一段とまさっている人に対しては、素直に従って、その人の意向をよく考えて理解すべきでものであるよ。『自分を引っ込めれば非難されない』と、昔の賢い人も言い残したという。実際こうして私は命の瀬戸際に追い詰められ、世に他に例のないさんざんな目にあいつくしている。もうこの上は後の世の悪評を防いだところで、たいしたことにはなるまい。夢の中にも父帝の御教があったので、これ以上何を疑うというのか」とお思いになって、御返事をなされる。

(源氏)「知らない土地に、滅多に無い苦しさの限りをなめつきくましたが、都の方からといって、見舞いの言葉をよこしてくれる人もありません。ただどこへ行くとも知れぬ空の月日の光ばかりを、故郷の友として眺めてございましたところ、うれしい釣舟を寄越してくださいましたことですよ。そちらの浦に静かに隠れられるような場所はございましょうか」と仰せになる。

入道は限りなくよろこび、お礼を申し上げる。(供人)「とにかく、夜が明けてしまう前に御舟にお乗りください」といって、いつものように親しくお仕えしている者四五人だけを連れて舟にお乗りになった。

例の不思議な風が吹いてきて、飛ぶように明石にお着きになった。ちょっと這っていくぐらいの距離で、片時の間といっても、やはり不思議なまでに見える風具合であるよ。

語句

■問へば 源氏の従者が。 ■前の守新発意 前の播磨守で、最近仏門に入った人。明石入道。 ■源少納言 源氏の従者、源良清。若紫巻で、源氏に明石入道のことを語った(【若紫 03】)。播磨守(明石入道とは別人)の子。 ■私にいささかあひ恨むる事 良清は入道に娘との結婚を申し入れて断られた(【須磨 20】)。 ■ことなる消息をだに 特別の手紙さえも。しかるべき用事があってしたためる手紙さえも。 ■おぼめく とぼける。良清は入道から「一度会って話したい」と言われていたが、娘との縁談を認めてもらえるはずもないので、訪ねていかなかった(【須磨 20】)。今回、入道のほうから訪ねてきたのは、もしかしたら娘との縁談を認めてくれるのかという期待が良清にはある。 ■朔 月のはじめのほう。七日あたりまで。もしくは第一日。 ■あらたなる あらたかなる。神仏の霊験あらたかなこと。 ■浦にを 「を」は強意の助詞。 ■おどろかしはべりつれば 「おどろかす」ははっとさせる。思い当たらせる。入道は予言の内容と現実が一致したのでもしやと思い当たったのである。 ■他の朝廷 『史記』殷本紀に、殷王武丁《ぶてい》が夢に説《えつ》という聖人を見た。夢さめて後、その者をさがしたが配下にはいない。そこで各地でさがさせると道を作る労役舎の中に説はいた。そこで説を採用し、傅《ふ》という姓を与え、傅説と呼んだ。すると国は栄えた、という記事など。 ■このいましめ 「いましめ」は神仏の啓示。 ■細う吹きて 舟一艘ぶんの細さで風が吹いて、他の海面は凪いでいた。 ■とてなむ 下に「参りたる」などを省略。 ■夢現さまざま 夢では龍王に召され桐壺院にさとされ、現実では暴風雨にあい、明石入道の来訪があった。 ■後のそしり 入道の言うままに須磨を出て明石に移ること。 ■これよりまさりて 入道に従って明石に移ることによって人に笑われる、それ以上に笑われることになると。 ■たどる 手探りするから転じてよく考えて意をくむ。 ■退きて咎なし 出典不明。 ■あとの名をはぶく 入道の申し出を断って悪名が立たないようにすること。 ■うれしき釣舟 「波にのみぬれつるものを吹く風のたよりうれしき海人のつり舟」(後撰・雑三 貫之)。 ■かしこまり申す 「かしこまり」はお礼。 ■御舟に奉れ 「奉る」は「乗る」の尊敬語。 ■例の風 「あやしき風細く吹きて」という、その風。 ■ただ這ひ渡るほどに 「明石の浦は、ただ這ひ渡るほどなれば」(【須磨 20】)。

朗読・解説:左大臣光永

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