【須磨 17】大弐、須磨に立ち寄る

そのころ大弐《だいに》は上《のぼ》りける。いかめしく類《るい》ひろく、むすめがちにてところせかりければ、北の方は舟にて上る。浦づたひに逍遙《せうえう》しつつ来るに、外《ほか》よりもおもしろきわたりなれば、心とまるに、大将かくておはすと聞けば、あいなう、すいたる若きむすめたちは、舟の中さへ恥づかしう、心げさうせらる。まして五節《ごせち》の君は、綱手《つなで》ひき過ぐるも口惜しきに、琴《きん》の声風につきて遥かに聞こゆるに、所のさま、人の御ほど、物の音《ね》の心細さとり集め、心あるかぎりみな泣きにけり。帥《そち》、御消息聞こえたり。「いと遙かなるほどよりまかり上《のぼ》りては、まづいつしかさぶらひて、都の御物語もとこそ思ひたまへはべりつれ、思ひの外にかくておはしましける御宿を、まかり過ぎはべる、かたじけなう悲しうもはべるかな。あひ知りてはべる人々、さるべきこれかれまで、来向ひてあまたはべれば、ところせさを思ひたまへ憚《はばか》りはべる事どもはべりて、えさぶらはぬこと。ことさらに参りはべらむ」など聞こえたり。子の筑前守ぞ参れる。この殿の蔵人《くらうど》になしかへりみたまひし人なれば、いとも悲し、いみじと思へども、また見る人々のあれば、聞こえを思ひて、しばしもえ立ちとまらず。「都離れて後、昔親しかりし人々あひ見ること難《かた》うのみなりにたるに、かくわざと立ち寄りものしたること」とのたまふ。御返りもさやうになむ。守《かみ》泣く泣く帰りて、おはする御ありさま語る。帥《そち》よりはじめ、迎への人々、まがまがしう泣き満ちたり。五節《ごせち》は、とかくして聞こえたり。

「琴の音《ね》にひきとめらるる綱手縄《つなでなわ》たゆたふ心君しるらめや

すきずきしさも、人な咎めそ」と聞こえたり。ほほ笑みて見たまふ。いと恥づかしげなり。

「心ありてひきての綱のたゆたはばうち過ぎましや須磨の浦波

いさりせむとは思はざりしはや」とあり。駅《むまや》の長《をさ》にくしとらする人もありけるを、ましておちとまりぬべくなむおぼえける。

現代語訳

そのころ大弐は都に上ってきたのだった。仰々しく一族同類が多く、娘が多いので窮屈なので、北の方は舟で上る。

浦づたいにぶらぶら見物しながら来たところ、よそよりも風情あるところなので、心惹かれたが、源氏の大将がこうしてここにいらっしゃると聞けば、身分不相応にも、好き心のある若い娘たちは、舟の中にいてさえ恥ずかしく、自然と改まった気持になる。

まして五節の君は、このまま綱手を引いて通り過ぎるのも口惜しいと思っていると、琴の音が風に乗って遥かに聞こえるので、この地の風情、源氏の君の高貴なご身分、楽器の音色の心細さがいっしょになって、心ある人々はみな泣いてしまった。

大弐が、源氏の君にお手紙を差し上げる。「たいそう遠い所から上京してまいりまして、まずはいつか早いうちにおうかがいして、都のお話もお聞きしたいと思ってございましたが、思いの外にこうしていらっしゃるお住まいを、まかり過ぎますのは、畏れ多く、悲しくもございますよ。知り合いの人々が、しかるべき誰彼まで、私を迎えに来て多くございますので、窮屈さを思ってて憚られます多くの事がございますので、
お伺いいたしかねますことでして。そのうち改めて参上いたしましょう」など申し上げた。

大弐の子の筑前守が参ったのである。筑前守は、源氏の君が蔵人に取り立ててお目をかけられた人であるので、源氏の君の今のご境遇を、ひどく悲しい、ひどいと思ったが、他に見る人々があれば、世間の口がわずらわしいと思って、ほんの短い間すら立ち寄ることはできない。

(源氏)「都を離れてからというもの、昔親しかった人々と会うことは難しくなる一方なのに、こしてわざわざ立ち寄ってくれたことだ」とおっしゃる。

大弐への返事も、筑前守へのそれと同じ趣旨であった。筑前守は泣く泣く帰って、源氏の君のご様子を語る。

大弐をはじめ、迎えの人々は、不吉なまでに皆、泣いている。五節は、なんとか言葉をひねり出して源氏の君にお手紙を差し上げた。

(五節)「琴の音に…

(琴の音にひととめられて、綱手縄のようにたゆたっております私の心を、貴方はご存知でしょうか)

出過ぎた言いようですが、『人な咎めそ』です」と申し上げた。源氏の君は微笑なさってご覧になる。そのさまは、拝見しているほうが恥ずかしくなるほど素晴らしい。

(源氏)「心ありて…

(私のことを思って引き手の綱がたゆたっているというなら、このまま須磨の浦を通り過ぎてしまうなんてことがありますか=ここ須磨の浦におとどまりください)

『いさりせむとは』思いもしませんでしたよ」とある。昔、駅長に口伝の歌を伝えた人もあったのを、まして五節はこんな見事な歌をいただいたので、舟から下りてこの場に留まりたいように思うのだった。

語句

■大弐 大宰大弐。大宰府の次官。五節の父。 ■五節の君 源氏と五節の逢瀬について詳しい記述はないが、花散里巻に伝聞の形で語られている。「かやうの際に、筑紫の五節がらうたげなりしはや」(【花散里 02】)。 ■綱手 船の引き綱。「船」の縁語。「引く」の序。「世の中は常にもがもな渚漕ぐあまの小舟の綱手かなしも」(小倉百人一首93番)。 ■都の御物語も 下に「うけたまはりはべらむ」が省略。 ■御宿 須磨の侘び住まい。 ■さるべきこれかれ 都から大弐を迎えに来る親族たち。 ■ところせさ 迎えの人たちの中には右大臣家につながる者もあり源氏に反感を持つ者もいる。ここで大弐が源氏と接触すれば、後々面倒なことになる。大弐が心配するのは自分の身のことでなく、源氏の君の罪が重くなったり余計な罪をかぶせられたりすることを心配するのである。 ■蔵人 天皇のおそばにあって天皇の御言葉を臣下に伝えたり、臣下からの奏上を天皇に伝えたり、また天皇の身辺事務を行う。 ■とかくして あれこれ手間取ってやっと文面を考え出して。 ■琴の音に… 「綱手縄」は舟をひっぱる縄。「ひき」は琴を「弾き」と綱を「引き」をかける。 ■すきずきしさ 通常、文は男から女に送るものなのに、ここでは女から男に送っている。それが出すぎたまねというのである。「いで我を人なとがめそ大舟のゆたのたゆたに物思ふころぞ」(古今・恋一 読人しらず)。 ■いさりせむとは 隠岐国に流されて侍りける時によめる/思ひきや鄙の別れに衰へて海人の縄たき漁りせむとは」(古今・雑下 小野篁)。歌意は、かつては思わなかったよ。都の人々と離れてこんな田舎に年取って、海人の縄をたいて魚を穫るはめになるなんて。 ■駅の長に 菅原道真の故事。「又、播磨の国におはしましつきて、明石の駅といふ所に御宿りせしめ給ひて、駅の長のいみじう思へる気色を御覧じて作らしめ給へる詩、いと悲し 駅長驚クナカレ時ノ変改ヲ 一栄一落是春秋」(大鏡・時平伝)。 ■くし 口伝の詩という意味の口詩か?

朗読・解説:左大臣光永

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