【少女 02】夕霧元服 源氏、夕霧を六位にとどめ大学に学ばせる方針を語る

原文

大殿腹の若君の御元服のこと思しいそぐを、二条院にてと思せど、大宮《おほみや》のいとゆかしげに思したるもことわりに心苦しければ、なほやがてかの殿にてせさせたてまつりたまふ。右大将《うだいしやう》をはじめきこえて、御|伯父《をぢ》の殿ばら、みな上達部《かむだちめ》のやむごとなき御おぼえことにてのみものしたまへば、主人《あるじ》方にも、我も我もと、さるべき事どもはとりどりに仕うまつりたまふ。おほかた世|揺《ゆす》りて、ところせき御いそぎの勢《いきほひ》なり。

四位《しゐ》になしてんと思し、世人《よひと》もさぞあらんと思へるを、まだいときびはなるほどを、わが心にまかせたる世にて、しかゆくりなからんもなかなか目馴れたることなり、と思しとどめつ。浅葱《あさぎ》にて殿上《てんじやう》に還《かへ》りたまふを、大宮は飽かずあさましきことと思したるぞ、ことわりにいとほしかりける。御|対面《たいめん》ありて、このこと聞こえたまふに、「ただいま、かうあながちにしも、まだきにおひつかすまじうはべれど、思ふやうはべりて、大学《だいがく》の道にしばし習はさむの本意《ほい》はべるにより、いま二三年《ふたとせみとせ》をいたづらの年に思ひなして、おのづから朝廷《おほやけ》にも仕うまつりぬべきほどにならば、いま人となりはべりなむ。みづからは、九重《ここのへ》の中《うち》に生ひ出ではべりて、世の中のありさまも知りはべらず。夜昼御前《よるひるごぜん》にさぶらひて、わづかになむ、はかなき書《ふみ》なども習ひはべりし。ただ、かしこき御手より伝へはべりしだに、何ごとも広き心を知らぬほどは、文《ふみ》の才《ざえ》をまねぶにも、琴笛の調べにも、音《ね》たヘず及ばぬところの多くなむはべりける。はかなき親に、かしこき子のまさるためしは、いと難《かた》きことになむはベれば、まして次々伝はりつつ、隔《へだ》たりゆかむほどの行く先《さき》、いとうしろめたなきによりなむ、思ひたまへおきてはべる。高き家の子として、官爵《つかさかうぶり》心にかなひ、世の中さかりにおごりならひぬれば、学問《がくもん》などに身を苦しめむことは、いと遠くなむおぼゆべかめる。戯《たはぶ》れ遊びを好みて、心のままなる官爵《くわんさく》にのぼりぬれば、時に従ふ世人《よひと》の、下には鼻まじろきをしつつ、追従《ついしよう》し、気色とりつつ従ふほどは、おのづから人とおぼえてやむごとなきやうなれど、時移り、さるべき人に立ちおくれて、世おとろふる末には、人に軽《かる》め侮《あなづ》らるるに、かかりどころなきことになむはべる。なほ、才《ざえ》をもととしてこそ、大和魂《やまとだましひ》の世に用ゐらるる方も強うはべらめ。さし当りては心もとなきやうにはべれども、つひの世のおもしとなるべき心おきてをならひなば、はべらずなりなむ後《のち》もうしろやすかるべきによりなむ。ただ今ははかばかしからずながらも、かくてはぐくみはべらば、せまりたる大学の衆《しゆう》とて、笑ひ侮《あなづ》る人もよもはべらじと思うたまふる」など聞こえ知らせたまへば、うち嘆きたまひて、「げにかくも思し寄るべかりけることを。この大将なども、あまりひき違《たが》へたる御ことなりと、かたぶけはべるめるを、この幼心地《をさなごこち》にもいと口惜しく、大将、左衛門督《さゑもんのかみ》の子どもなどを、我よりは下臈《げらふ》と思ひおとしたりしだに、みなおのおの加階《かかい》しのぼりつつ、およすけあへるに、浅葱《あさぎ》をいとからしと思はれたるが、心苦しうはべるなり」と聞こえたまへば、うち笑ひたまひて、「いとおよすけても恨みはべるななりな。いとはかなしや。この人のほどよ」とて、いとうつくしと思したり。「学問などして、すこしものの心得はべらば、その恨みはおのづからとけはべりなん」と聞こえたまふ。

現代語訳

大殿の姫君腹の若君のご元服のことを、源氏の君はご準備をおすすめになるが、最初は二条院でとお考えになっていらしたが、大宮がその晴れ姿を御覧になりたく思っていらっしゃるのももっともなことで、おいたわしいので、やはりそのまま三条の御邸で行わせなさる。右大将をはじめ申しあげて、御叔父にあたるお方々は、みな上達部で高貴なご身分で帝のご信望も格別でいらっしゃるので、主催する三条邸でも、その方々が我も我もと競い合って、ご元服に必要な準備をさまざまに調えてさしあげなさる。世間一般も大騒ぎして、盛大なご準備の勢いである。

源氏の君は若君を四位につけようとお思いになり、世間の人もそうなるだろうと思っていたが、まだごく年端もゆかぬ頃から、わが心のままになる世の中だからといって、そのような高い位をだしぬけに与えるのもかえって世間にありがちなことである、と思いとどまられた。若君が六位の浅葱色の衣を着て殿上にお還りになるのを、祖母である大宮は不満で、心外なこととお思いになっているのも、もっともで、おいたわしいことであった。

大宮が源氏の君にご対面なさって、このことをお尋ねになられると、(源氏)「今から、こう無理なことをして、幼いのに大人の扱いをしなくてもよいのですが、考えていることがございまして、大学の道に進ませてしばらく学問させようという希望がございますので、もう二三年をむだな遠回りの年と思うようにして、朝廷にもお仕えするような年になれば、自然と、人並の官位も得られるでしょうから。私自身は、宮中の奥深くで生まれ育ちまして、世の中のありさまも存じません。夜昼帝の御前にお仕えして、わずかに、ちょっとした学問などを習っただけでございます。ただ、畏れ多い帝の御手から伝えられました場合でさえ、何ごとも広い心を知らないうちは、漢学を学ぶにも、琴や笛の調べを習うにも、音がつたなく及ばないところが多くございました。つまらぬ親に、立派な子がまさるという例は、たいそう滅多にないものでございますので、まして次々と伝授して劣っていく子孫の教育の程度が、ひどく気がかりですから、この大学入学のことを思い定めたのでございます。高貴な家柄の子として生まれ、官位も思うままにかない、世の栄華をほしいままにしていい気になっておりますと、学問などで苦労することは一切ごめんこうむるというふうに思われてくるようです。遊びごとや音楽ばかりを好んで、それでいて思うままに官位も昇進するとなれば、権勢家に従う世間の人々が、内心ではせせら笑いつつ、追従し、ご機嫌をとりつつ従っているうちは、自然とひとかどの人物のように思われ、貴人らしき威厳もそなわって見えるようですが、時勢が移り、後ろ盾になっていた人々にも先立たれて、落ちぶれた末には、世間の人に軽く見られ侮られるが、もう頼る先もない、ということになってしまうのでごさいます。そういうわけでやはり、漢学の原理原則を基としてこそ、わが国における実際上の才覚も世に用いられることになるのは確実でございましょう。さし当たっては心もとないような地位ではございますが、ゆくゆくは国家の重鎮となるべき心構えを身に着けておけば、私がいなくなった後も安心ですから、大学に入れることを決めたのでございます。当座はぱっとしなくても、私がこうして保護者になっておりますれば、貧乏な大学生《だいがくしょう》よと、笑い侮る人もまさかあるまいと存じます」などよくご説明なさると、大宮はご嘆息なさって、(大宮)「本当に、父親としてここまでお考えになるべきことだったのですね。こちらの右大将なども、あまりに慣習とかけ離れたなされようだと、首を傾けているようでございますし、当人も幼な心にひどく残念がって、右大将や左衛門督の子らなどを、それまで自分よりは官位の低い者と思って見下していたのさえ、みなそれぞれ位を得て昇進して、一人前になっているのに、自分だけが六位の浅葱色の衣を着ていることを、ひどく辛いとお思いになっていらっしゃるのが、気の毒にございます」と申しあげなさると、源氏の君はお笑いになって、(源氏)「まったくどうも、一人前になったつもりで、不平を言うものでございますよ。ほんとうにたわいもないことですよ。あの子の年頃のことですから」といって、心から可愛らしく思っていらっしゃる。

(源氏)「学問などして、すこしものの道理を心得るようになれば、その恨みは自然と解けましょう」と申しあげなさる。

語句

■大殿腹の若君 太政大臣の娘、葵の上が産んだ若君、夕霧。この時十二歳。 ■大宮 夕霧の祖母。女三の宮。 ■かの殿 三条邸。 ■右大将 葵の上の兄。もとの頭中将。 ■御伯父の殿ばら 葵の上の兄弟で夕霧の叔父に当たる方々。 ■主人方 主催する三条邸側。 ■四位 親王の子や一世の源氏は元服後、従四位下になるのがふつう。夕霧は二世の源氏だが父の権勢によって四位にしてもよいところ。 ■きびは 年はもゆかぬさま。 ■ゆくりなからん 「ゆくりなし」はだしぬけであること。いきなり四位という高い位を与えること。 ■なかなか目馴れたること 親の七光で本人に実力もないのに高い位につくことは、かえって世間にありがちだと。 ■浅葱 六位の官人の着る袍衣の浅緑色のこと。 ■殿上に還りたまふ 夕霧は童殿上(【澪標 04】)していたため殿上に「還る」とする。 ■おひつかす 大人扱いする。 ■大学 式部省大学寮。文章《もんじょう》・明経・明法・算の四道があった。京都市中京区西ノ京北聖町に案内板。大学寮近くには和気氏の私塾「弘文院」、藤原氏の私塾「勧学院」、在原氏の私塾「奨学院」などがあり、平安京の文教地区の感があった。 ■いたづらの年 大学の学生《がくしょう》である間は昇進が止まる。 ■御前にさぶらひて 「七つになりたまひしこのかた、帝の御前に夜昼さぶらひたまひて」(【須磨 09】)。 ■かしこき御手より 源氏が桐壺帝から直接学問や音楽の指導を受けていた描写は物語中にない。 ■文の才 漢学。 ■音たへず 音がつたなく。 ■まして次々伝はりつつ 自分が桐壺院から習った段階ですでに一段劣っているのに、これから子々孫々伝えられているうちにずいぶん劣るだろうの意。 ■行く先 夕霧とその子孫の教育水準。 ■うしろめたなき 「うしろめたき」と同意。 ■思ひたまへおきて 「思ひ掟《おき》つ」は、あらかじめ思い定めること。 ■爵 位階のこと。もと冠の色で位階をあらわしたため「かうぶり」という。 ■鼻まじろき 「鼻まじろく」は鼻の下でせせら笑う。 ■さるべき人 親・叔父・兄などといった後見人。 ■かかりどころ 頼る先。 ■才 漢学を基盤とした基本原理。 ■大和魂 「才」をもとにわが国の実情にあうようにアレンジした実用的な才覚。この「大和魂」の語は文献上、『源氏物語』が初出。 ■世のおもし 国家の重鎮。「世のかため」(【箒木 03】)と同意。 ■心おきて 政治上の決定についての基本的な心構え。 ■やすかるべきによりなむ 下に「大学に入れることを決めたのです」の意を省略。 ■せまりたる 「せまる」は貧しくて生活に困る。「せまりしれたる大学の衆《す》」(宇津保物語・藤原の君巻)。 ■うち嘆きたまひて 大宮は、源氏の教育方針も、夕霧の残念な気持ちもわかるので「嘆く」しかない。 ■この大将 右大将。もとの頭中将。大宮の子で夕霧の伯父。 ■左衛門督 右大将の兄弟か。 ■下臈 官位が低い者。 ■はかなし 思慮が浅く考えが至らないこと。

朗読・解説:左大臣光永

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