【少女 03】二条院東院で夕霧に字をつける儀式を行う

原文

字《あざな》つくることは、東《ひむがし》の院にてしたまふ。東の対《たい》をしつらはれたり。上達部《かむだちめ》殿上人《てんじやうびと》、めづらしくいぶかしきことにして、我も我もと集《つど》ひ参《まゐ》りたまへり。博士《はかせ》どももなかなか臆《おく》しぬべし。「憚《はばか》るところなく、例あらむにまかせて、なだむることなく、きびしう行へ」と仰せたまへば、しひてつれなく思ひなして、家より外《ほか》にもとめたる装束《さうぞく》どもの、うちあはずかたくなしき姿などをも恥なく、面《おも》もち、声《こわ》づかひ、むベむベしくもてなしつつ、座につき並びたる作法《さはふ》よりはじめ、見も知らぬさまどもなり。若き君達《きむだち》は、えたへずほほ笑まれぬ。さるはもの笑ひなどすまじく、過ぐしつつ、しづまれるかぎりをと選《え》り出だして、瓶子《へいじ》なども取らせたまへるに、筋異《すじこと》なりけるまじらひにて、右大将、民部卿《みんぶきやう》などの、おほなおほな土器《かはらけ》とりたまへるを、あさましく咎《とが》め出でつつおろす。「おほし垣下《かいもと》あるじ、はなはだ非常《ひざう》にはべりたうぶ。かくばかりの著《しるし》とあるなにがしを知らずしてや、朝廷《おほやけ》には仕うまつりたうぶ。はなはだをこなり」など言ふに、人々みなほころびて笑ひぬれば、また、「鳴《なり》高し。鳴やまむ。はなはだ非常《ひざう》なり。座を退《ひ》きて立ちたうびなん」など、おどし言ふもいとをかし。見ならひたまはぬ人々は、めづらしく興ありと思ひ、この道より出で立ちたまへる上達部などは、したり顔にうちほほ笑みなどしつつ、かかる方ざまを思し好みて、心ざしたまふがめでたきことと、いとど限りなく思ひきこえたまへり。いささかもの言ふをも制《せい》す。なめげなりとても咎《とが》む。かしがましうののしりをる顔どもも、夜に入りては、なかなか、いますこし掲焉《けちえん》なる灯影《ほかげ》に、猿楽《さるがう》がましくわびしげに人わるげなるなど、さまざまに、げにいとなべてならず、さま異《こと》なるわざなりけり。大臣《おとど》は、「いとあざれ、かたくななる身にて、けうさうしまどはかされなん」とのたまひて、御簾《みす》のうちに隠れてぞ御覧じける。数定まれる座に着きあまりて、帰りまかづる大学の衆どもあるを聞こしめして、釣殿《つりどの》の方《かた》に召しとどめて、ことに物など賜はせけり。

現代語訳

字《あざな》をつける儀式は、二条院の東院でお挙げになる。そこの東の対に、儀式のための設備をお調えになった。上達部や殿上人は、滅多に見られない興味深いことなので、我も我もと競い合って、集まって参られる。博士たちもこれではかえって気後れしてしまうにちがいない。しかし源氏の君は、(源氏)「遠慮なく、先例にまかせて、妥協せず、厳しく行うように」と仰せられるので、博士たちはあえて平静にふるまうようにして、よそから借りてきた装束が、身体に合わず、見苦しい姿なども恥じることなく、顔つき、声色など、もっともらしくふるまっては、座につき並ぶ時の作法からはじめて、すべてが見たこともないありさまである。若い貴人たちは、我慢できずに笑いがこぼれてしまった。しかし、そうはいっても、こうした席で笑ったりしないような、年長の、落ち着いた者だけをと選び出して、瓶子などもお取らせになってご相伴させなさったのだが、いつもとは作法の違う宴席なので右大将、民部卿などが、見境もなく盃をお取りになるのを、博士たちは呆れるほどあら捜しをして叱りつける。(博士)「およそ宴席の相伴役の方々は、はなはだ無作法でござらっしゃる。これほど著名であるそれがしを知らずに、朝廷にお仕え申してござらっしゃるのか。はなはだ愚かである」など言うので、人々がみな吹き出してしまうと、また、(博士)「騒がしい。お静かに。はなはだ無作法である。席をはずしていただきましょう」など、おどしつけるのも、まったく面白い。

こういうことを見慣れていらっしゃらない人々は、めずらしく興味深いと思い、大学寮の出身でご出世なさった上達部などは、得意顔でほほ笑みなどしつつ、源氏の大臣がこうした学問の分野を好ましいことに思われて、おここざしになることは素晴らしいことと、どこまでも、たいそう満足に思い申しあげなさる。

その間も、博士たちは、ちょっとおしゃべりをするのも制す。無作法であるといって咎めもする。やかましく叱りつけるそれぞれの顔も、夜に入ると、かえって、昼よりもいささか光り輝いて見える火影のもと、道化がましく、わびしげに、不体裁であるなど、さまざまに、まことに、ひどく並々でなく、変わっていることである。

源氏の大臣は、(源氏)「私などはひどくだらしがなく、無調法な身であるから、叱りつけられてしまうだろう」と仰せになって、御簾のうちに隠れてご覧になる。

数が決まっている設けの席に着けないで、帰っていく大学の学生《がくしょう》たちもあるのを源氏の君はお聞きになって、彼らを釣殿のほうにお呼び止めになって、特別に引き出物などを下されたのだった。

語句

■字 大学の文章道に入学するにあたり、中国風に二字の字をつける儀式。文屋康秀が文琳、菅原道真が菅三とつけたように。 ■博士 文章博士とその他の儒者たち。文章博士は大学寮で文章道の指導に当たる。定員一名で従五位下相当。 ■なかなか臆しぬべし 身分高い貴族が集まる席であるから。 ■つれなく思ひなして 何でもないように、平静にふるまって。 ■家より外に求めたる 儒者は貧乏なので衣装をよそから借りてきたのである。 ■見も知らぬさまどもなり 優美を極めた二条院では儒者たちの姿はいかにも貧相で似合わない。 ■瓶子 酒を入れて盃に注ぐ器具。 ■民部卿 民部省の長官。ここにのみ登場。 ■おほなおほな ひたすら。見境なく。「おほなおほな思しいたつく」(【桐壺 16】)。 ■おろす 叱りつける。 ■おほし およそ(汎)の転。 ■垣下あるじ 「垣下《ゑが》」を和風に言ったもの。宴会の相伴役。 ■非常 無作法。博士の言葉は漢文調で滑稽なまでに時代がかっている。 ■はべりたうぶ 「はべりたまふ」の転か。古風で堅苦しい言い方。 ■著 著名な。漢文調の堅苦しい語。 ■鳴高し 「鳴高しや、鳴高し、大宮近くて、鳴高し、あはれの、鳴高し」(風俗歌・鳴高し)。儒者が学生を静めるときの言葉。 ■この道より出て立ちたまへる上達部 大学寮出身で出世した上達部。ふだんは肩身の狭い思いをしていたのが、ここぞと喜んでいる。 ■掲焉 はっきり見えるさま。 ■猿楽がましう 「猿楽」は物まねを中心とした当時の庶民的な遊芸。源氏の威信を傘に来て威張り散らす儒者たちのことを戯画的にいう。 ■人わるげ 不体裁なさま。 ■あざれ 「狂・戯《あざ》る」はくつろぐこと。ここではだらしないこと。 ■かたくななる 「かたくな」は無調法であること。 ■けうさうしまどはかされなん 「けうさう」は「喧噪」の字音か。やかましく叱られること。儒者たちの時代がかった言葉遣いをまねて、源氏も戯れにふだん言わない言い方をしているのであろう。 ■釣殿 寝殿の前の池に面した建物。金閣寺の釣殿が有名。

朗読・解説:左大臣光永

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