【少女 30】宴の後、帝と源氏、弘徽殿大妃に拝謁

夜更けぬれど、かかるついでに、皇太后宮《おほきさいのみや》おはします方を、避《よ》きて訪《とぶら》ひきこえさせたまはざらんも情《なさけ》なければ、かへさに渡らせたまふ。大臣もろともにさぶらひたまふ。后《きさき》待ちよろこびたまひて御|対面《たいめん》あり。いといたうさだ過ぎたまひにける御けはひにも、故宮を思ひ出できこえたまひて、かく長くおはしますたぐひもおはしけるものを、と口惜しう思ほす。「今はかくふりぬる齢《よはひ》に、よろづのこと忘られはべりにけるを、いとかたじけなく渡りおはしまいたるになん、さらに昔の御代のこと思ひ出でられはべる」と、うち泣きたまふ。「さるべき御|蔭《かげ》どもに後《おく》れはべりて後《のち》、春のけぢめも思ひたまヘ分れぬを、今日なむ慰めはべりぬる。またまたも」と聞こえたまふ。大臣もさるべきさまに聞こえて、「ことさらにさぶらひてなん」と聞こえたまふ。のどやかならで還《かへ》らせたまふ響きにも、后は、なは胸うち騒ぎて、いかに思し出づらむ、世をたもちたまふべき御|宿世《すくせ》は消《け》たれぬものにこそ、といにしへを悔い思す。

尚侍《ないしのかむ》の君も、のどやかに思し出づるに、あはれなること多かり。今もさるべきをり、風の伝《つて》にもほのめき聞こえたまふこと絶えざるべし。后は朝廷《おほやけ》に奏せさせたまふことある時時ぞ、御|賜《たう》ばりの年官年爵《つかさかうぶり》、何くれのことにふれつつ、御心にかなはぬ時ぞ、命長くてかかる世の末を見ること、と取りかへさまほしう、よろづ思しむつかりける。老いもておはするままに、さがなさもまさりて、院もくらべ苦しうたへがたくぞ、思ひきこえたまひける。

現代語訳

夜が更けてしまったが、このようなついでに、皇太后宮のいらっしゃる所を、避けてご訪問なさらないのも思いやりがないので、帝は帰り道にお渡りになる。源氏の大臣もご一緒にお仕えなさる。后は待ち受けてお喜びになってご対面になられる。

ひどくまあ年を取られたご様子を見るにつけても、源氏の大臣は、故藤壺宮をお思い出し申しあげて、こんなにも長くご存命のお方もいらっしゃるのにと、残念にお思いになる。

(大后)「今はこんなに年を取ってしまいまして、万事忘れてしまいましたのに、たいそうかたじけなくおいでくださいましたので、あらためて昔の院の御代のことが思い出されます」とお泣きになる。

(帝)「お頼りすべき方々に先立たれましてから、春の変わり目もわかりませんでしたのを、今日はお会いできて慰められました。またご訪問いたします」と申し上げになられる。

大臣もしかるべきさまにご挨拶申しあげて、(源氏)「いずれ改めてご参上いたしまして」と申し上げなさる。あわただしくお帰りなさる響きにつけても、大后は、やはり胸が騒いで、「あの方は昔をどのように思い出しておられようか。天下をお取りになるべき御宿運は、消すことができないものだったのだ」と、昔を後悔なさる。

尚侍の君(朧月夜内侍)も、静かに昔をお思い出されると、しみじみ感慨深いことが多いのである。今もしかるべき折、風の便りとしても源氏の君がひそかに尚侍の君にご連絡なさることは続いているようである。

大后は帝に奏上なさることのある時には、朝廷からいただいている年官・年爵など、いろいろのことにふれつつ、御心にかなわぬ時は、長生きしてこんな酷い世の末を見ること、と昔を取り返したいお気持で、万事、不機嫌でいらっしゃる。

歳を取るにつれて、偏屈さもひどくなってきて、院(朱雀院)も調子をあわせて付き合いづらく、我慢ができぬことにお思いになっておられる。

語句

■皇太后宮 弘徽殿大后。冷泉帝の母后。 ■避きて 素通りして。 ■かへさに 帰り道に。 ■さだ過ぎ 后この時五十七、八歳くらいか。 ■口惜しう こうして長生きしている人もいる一方、藤壺宮は若くしてお亡くなりになられた。それが残念だと源氏は嘆くのである。 ■さらに 帝と源氏の訪問は嬉しいのだが、それによってかえって昔が思い出されて、悲しくなるのである。 ■さるべき御蔭ども 冷泉帝が頼りとすべきだった方々。桐壷院と藤壺宮。両親。 ■春のけぢめ 春の変わり目。季節の移り変わりもわからずひたすら悲しみに暮れていたの意。 ■いかに思し出づらむ 弘徽殿大后はかつて源氏をさんざんいじめていたので、源氏が今それについてどう思っているか気にかかる。 ■世をたもちたまふべき 弘徽殿大后は現在の源氏の威勢と自分の落ちぶれぶりとを見て、敗北を認める。 ■尚侍の君 朧月夜。かつて源氏と密通し、源氏失脚の原因となった。弘徽殿大后の妹。 ■のどやかに 朧月夜は今は朱雀院のそばでのんびりした日々を過ごしている。 ■あはれなること 源氏との密通、それにより源氏が須磨・明石に流謫したこと、自分が尚侍になったことなど思い感無量なのである。 ■御賜ばり 天皇から下賜されたもの。 ■年官年爵 天皇・皇族・貴族などに与えられた俸禄。「年官」は毎年の除目で一定数の地方官や京官を任命することができ、その任料を収入とするもの。「年爵」は除目の際、一定数を叙爵させ、その叙位料を収入とするもの。 ■取りかへさまほしう 自分が権勢をふるった桐壷院・朱雀院の頃を取り戻したいという思い。 ■さがなさ ひがみっぽく偏屈なこと。 ■くらべ苦しう 相手の気持がわからず、取り扱いづらい。持て余している状態。

朗読・解説:左大臣光永

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