【玉鬘 08】右近と三条ら、長谷寺で玉鬘の将来を祈願

原文

すこし足|馴《な》れたる人は、疾《と》く御堂《みだう》に着きにけり。この君をもてわづらひきこえつつ、初夜行《そやおこな》ふほどにぞ上《のぼ》りたまへる。いと騒がしく、人|詣《まう》でこみてののしる。右近が局《つぼね》は、仏の右の方に近き間《ま》にしたり。この御師《おし》は、まだ深からねばにや、西の間《ま》に遠かりけるを、「なほここにおはしませ」と、尋ねかはし言ひたれば、男《をとこ》どもをばとどめて、介《すけ》にかうかうと言ひあはせて、こなたに移したてまつる。「かくあやしき身なれど、ただ今の大殿《おほとの》になむさぶらひはべれば、かくかすかなる道にても、らうがはしきことははべらじ、と頼みはべる。田舎《ゐなか》びたる人をば、かやうの所には、よからぬ生者《なまもの》どもの、侮《あなづ》らはしうするも、かたじけなきことなり」とて、物語いとせまほしけれど、おどろおどろしき行ひの紛れ、騒がしきにもよほされて、仏拝みたてまつる。右近は心の中《うち》に、「この人をいかで尋ねきこえむと申しわたりつるに、かつがつかくて見たてまつれば、今は思ひのごと。大臣《おとど》の君の、尋ねたてまつらむの御心ざし深かめるに、知らせたてまつりて、幸ひあらせたてまつりたまへ」など申しけり。

国々より、田舎人多く詣でたりけり。この国守《くにのかみ》の北の方も詣でたりけり。いかめしく勢ひたるをうらやみて、この三条が言ふやう、「大悲者《だいひざ》には、他事《ことごと》も申さじ。あが姫君、大弐《だいに》の北の方ならずは、当国《たうごく》の受領《ずりやう》の北の方になしたてまつらむ。三条らも、随分《ずいぶん》にさかえて返申《かへりまうし》は仕《つか》うまつらむ」と、額に《ひたひ》手を当てて念じ入りてをり。右近、いとゆゆしくも言ふかな、と聞きて、「いと、いたくこそ田舎びにけれな。中将殿は、昔の御おぼえだにいかがおはしましし。まして、今は天の下を御心にかけたまへる大臣にて、いかばかりいつかしき御仲に、御方しも、受領の妻《め》にて品定まりておはしまさむよ」と言へば、「あなかま、たまへ。大臣たちもしばし待て。大弐の御館《みたち》の上《うへ》の、清水《しみず》の御寺観世音寺《みてらくわんぜおんじ》に参りたまひし勢《いきほひ》は、帝の行幸《みゆき》にやは劣れる。あなむくつけ」とて、なほさらに手をひき放たず拝み入りてをり。

筑紫人《つきしひせと》は、三日籠らむと心ざしたまへり。右近は、さしも思はざりけれど、かかるついで、のどかに聞こえむとて、籠るべきよし、大徳《大とこ》呼びて言ふ。御あかし文など書きたる心ばヘなど、さやうの人はくだくだしうわきまへければ、常のことにて、「例の藤原《ふぢはら》の瑠璃君《るりぎみ》といふが御ために奉る。よく祈り申したまへ。その人、このごろなむ見たてまつり出でたる。その願《ぐわん》も果たしたてまつるべし」と言ふを、聞くもあはれなり。法師、「いとかしこきことかな。たゆみなく祈り申しはべる験《しるし》にこそはべれ」と言ふ。いと騒がしう夜一夜行《よひとよおこな》ふなり。

現代語訳

少し歩き馴れている人(右近)は、早く御堂に着いた。豊後介の一行は、この君(玉鬘)に手をやきながら、初夜《そや》を行う頃に上ってこられた。たいそうにぎやかで、参詣人がごった返して騒いでいる。右近の局は、御本尊の右の方に近い間にしつらえてある。豊後介一行の御師は、まだ修行が浅いからだろうか、西の間に、ご本尊の遠くに局をしつらえてあったのを、(右近)「やはりこちらにいらっしゃい」と、豊後介一行を探し当てて言ったので、お供の男たちはそのままそこにとどめて、豊後介にこれこれと相談して、こちらにお移し申し上げる。(右近)「私はこんなつまらない身ですけれど、今の大殿(源氏の大殿)にお仕えしてございますので、こうした心細い道中でも、ひどいことにはならないでしょうと、頼もしく思っております。田舎めいた人を、こうした所では、たちのよくない生意気な連中が、ばかにしたりするのも、畏れ多いことです」といって、もっとお話ししたいと思ったが、大音量の勤行にまきこまれ、その騒がしさに追い立てられて、仏を拝み申し上げる。

右近は心の中で、「この人(玉鬘)をどうにかして尋ね出し申し上げようとずっと思っておりましたが、どうにかこうにか、こうして拝見できましたので、今は思いがかないました。大臣の君(源氏)は、姫君(玉鬘)をお探し出し申し上げたいというお気持が深いでしょうから、お知らせ申しあげて、姫君が幸せになれるよう、おはからいください」などとお祈り申しあげた。

国々から田舎の人たちが多く参詣しているのだった。ここ(大和国)の国守の北の方も参詣していたのである。たいそう権勢さかんにふるまっているのをうらやんで、この三条が言うことに、「御仏には、他のことは何もお祈り申しあげません。われらが姫君(玉鬘)を、大宰の大弐の北の方に、それがかなわぬなら、当国(大和国)の受領の北の方にしてさしあげたく存じます。三条たちも、身分相応に栄えて、お礼参りはちゃんといたしましょう」と、額に手を当ててひたすら祈ることに没頭して座りこんでいる。

右近は、「ひどく忌々しいことを言うものだ」と思って、(右近)「まことに、ひどく田舎じみてしまったのですね。中将殿(内大臣)は、昔の帝からのおぼえもどれほどでいらっしゃったことでしょう。まして今は、天下を御心のままになさる内大臣となられて、どれほどご立派な親子の御関係でしょうに、よりによってその御方(玉鬘)が、受領の妻として身分が定まってしまわれるなんて」と言えば、(三条)「まあお静かに。大臣がどうという話も、しばらくお待ちください。大宰大弐の北の方が、清水の御寺観世音寺(大宰府 の観世音寺)にお参りなされた時の豪勢さは、帝の行幸にも劣りませんでした。なのに、なんと嫌なことをおっしゃるのですか」といって、いっそう手を額から離さず拝み入っている。

筑紫の一行は、三日間、寺籠もりしようと決めていらした。右近は、そこまでのつもりではなかったが、こういう機会に、姫君(玉鬘)にゆっくりお話申し上げようということで、自分も寺籠もりすることを、寺の僧を呼んで言う。御願文などに書いてある趣旨などは、こうした僧は細かいことまでよく心得ているので、いつものように、(右近)「例によって藤原の瑠璃君(玉鬘)という人の御ためにお布施を奉納いたします。よく祈り申し上げてください。その人を、最近見つけ出し申し上げました。そのお礼参りも、近々お果たし申しあげるでしょう」と言うを聞くにつけても、玉鬘一行は心打たれる思いである。願文を書く法師は、「まことに畏れ多いことですな。まさに我々がいつも祈り申し上げてございました効験でございます」と言う。まことに騒がしく一晩中、勤行をするらしい。

語句

■御堂 長谷寺の観音をまつる御堂。 ■この君をもてわづらひ 椿市から長谷寺まで約4キロ。さらに山門から御堂までは坂道なので、旅慣れしない玉鬘にとっては困難である。 ■初夜 一日を六つに分けた区分(晨朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜)の一つ。ここでは初夜に行う勤行。参考「春の夜や籠リ人ゆかし堂の隅」(笈の小文 松尾芭蕉)。 ■仏の右の方 「仏」は長谷寺観音。現在は南面するが当時は東面していたらしい。本尊から見て右側。向かって左側。 ■近き間に 「間」は柱と柱の間。 ■この御師 玉鬘の祈祷僧。 ■深からねば 修行が浅い。玉鬘一行との関係が浅いととる説も。 ■西の間 本尊の背後に当たり礼拝するのに不便。 ■介にかうかうと言ひあはせて ここではじめて右近から豊後介に事情が伝えられる。 ■ただ今の大殿 源氏。右近は六条院で源氏のもと、紫の上にお仕えしている。 ■らうがはしき 「乱がはし」は無礼な。乱暴な。山賊に襲われることなどをさす。 ■よからぬ生者 玉鬘一行ににしの間を割り当てた長谷寺の僧たちを暗に言う。「生」は中途半端、未熟の意。 ■かつがつ 不十分ではあるが、とにもかくにも。 ■国守 大和守。従五位上相当。 ■勢ひたる 「勢ふ」は権勢さかんにふるまう。 ■大悲者 大慈悲者。諸仏・菩薩。とくに観世音菩薩。 ■額に手を当てて 深く信心をおこすさま。また田舎じみた所作でもある。 ■ゆゆしくも 三条が玉鬘を受領ふぜいの妻にしたいと祈っているのを縁起でもないと思う。三条には玉鬘がどれほど高貴な素性か、想像もつかないのである。 ■中将殿 今の内大臣。昔の頭中将。玉鬘の父。 ■いつかしき御仲 「厳《いつか》し」はおごそかだ。立派だ。内大臣と玉鬘が実の父娘の関係であることをいう。 ■おはしまさむよ 下に「そんな馬鹿な」の意を補って読む。 ■あなかま 「あな」は感動。「かま」は「かまし」(やかましい)の語幹。 ■たまへ 上に「黙り」などを補って読む。 ■大臣たちも 急に大臣といった話をされても田舎者の三条には実感がわかない。 ■清水の御寺観世音寺 福岡県筑紫郡大宰府町、清水山普賢院観世音寺。天智天皇が亡き母斉明天皇の菩提を弔うため創建。 ■帝の行幸にやは劣れる 三条にとっては帝の行幸など想像もつかない。想像つく限りのもっとも華やかなのが大宰大弐の北の方の観世音寺参詣であるのだ。 ■むくつけ 右近が筑紫のことを知りもしないくせに威張っているという反発。 ■筑紫人 玉鬘一行。 ■大徳 高僧。 ■御あかし文 願文。願い事の趣旨を書いた書状。 ■心ばへ 趣旨。 ■くだくだしう 「くだくだし」は細かい。ごたごたしている。 ■瑠璃君 玉鬘の幼名か。 ■なり 物を隔てて推察している意。

朗読・解説:左大臣光永

■【古典・歴史】メールマガジン
■【古典・歴史】YOUTUBEチャンネル