【螢 03】源氏、螢を放って兵部卿宮に玉鬘の姿を見せる

原文

殿は、あいなく、おのれ心げさうして、宮を待ちきこえたまふも、知りたまはで、よろしき御返りのあるをめづらしがりて、いと忍びやかにおはしましたり。妻戸の間《ま》に御|褥《しとね》まゐらせて、御|几帳《きちやう》ばかりを隔てにて、近きほどなり。いといたう心して、そらだきもの心にくきほどに匂はして、つくろひおはするさま、親にはあらで、むつかしきさかしら人の、さすがにあはれに見えたまふ。宰相の君なども、人の御|答《いら》へ聞こえむ事もおぼえず、恥づかしくてゐたるを、埋《むも》れたりとひきつみたまへば、いとわりなし。夕闇過ぎて、おぼつかなき空のけしきの曇らはしきに、うちしめりたる宮の御けはひも、いと艶《えん》なり。内よりほのめく追風も、いとどしき御匂ひのたち添ひたれば、いと深くかをり満ちて、かねて思ししよりもをかしき御けはひを、心とどめたまひけり。うち出でて、思ふ心のほどをのたまひつづけたる言の葉おとなおとなしく、ひたぶるにすきずきしくはあらで、いとけはひことなり。大臣、いとをかしとほの聞きおはす。

姫君は、東面《ひむがしおもて》にひき入りて大殿籠《おほとのごも》りにけるを、宰相の君の御|消息《せうそこ》つたへにゐざり入りたるにつけて、「いとあまり暑かはしき御もてなしなり。よろづの事さまに従ひてこそめやすけれ。ひたぶるに若びたまふべきさまにもあらず。この宮たちをさへ、さし放ちたる人づてに聞こえたまふまじきことなりかし。御声こそ惜しみたまふとも、すこしけ近くだにこそ」など、諫《いさ》めきこえたまへど、いとわりなくて、ことつけても這ひ入りたまひぬべき御心ばへなれば、とさまかうざまにわびしければ、すべり出でて、母屋《もや》の際《きは》なる御|几帳《きちやう》のもとに、かたはら臥《ふ》したまへる。何くれと言《こと》長き御|答《いら》ヘ聞こえたまふこともなく、思しやすらふに、寄りたまひて、御几帳の帷子《かたびら》を一重《ひとへ》うちかけたまふにあはせて、さと光るもの、紙燭《しそく》をさし出でたるか、とあきれたり。螢《ほたる》を薄きかたに、この夕つ方いと多くつつみおきて、光をつつみ隠したまへりけるを、さりげなく、とかくひきつくろふやうにて。にはかにかく掲焉《けちえん》に光れるに、あさましくて、扇をさし隠したまへるかたはら目いとをかしげなり。「おどろかしき光見えば、宮ものぞきたまひなむ。わがむすめと思すばかりのおぼえに、かくまでのたまふなめり。人ざま容貌《かたち》など、いとかくしも具《ぐ》したらむとは、え推《お》しはかりたまはじ。いとよくすきたまひぬべき心まどはさむ」と構へ歩《あり》きたまふなりけり。まことのわが姫君をば、かくしももて騒ぎたまはじ、うたてある御心なりけり。他方《ことかた》より、やをらすべり出でて渡りたまひぬ。

宮は、人のおはするほど、さばかりと推しはかりたまふが、すこしけ近きけはひするに、御心ときめきせられたまひて、えならぬ羅《うすもの》の帷子《かたびら》の隙《ひま》より見入れたまへるに、一間《ひとま》ばかり隔てたる見わたしに、かくおぼえなき光のうちほのめくを、をかしと見たまふ。ほどもなく紛らはして隠しつ。されどほのかなる光、艶《えん》なる事のつまにもしつべく見ゆ。ほのかなれど、そびやかに臥したまへりつる様体《やうだい》のをかしかりつるを、飽かず思して、げにこの事御心にしみにけり。

「なく声もきこえぬ虫の思ひだに人の消《け》つにはきゆるものかは

思ひ知りたまひぬや」と聞こえたまふ。かやうの御返しを、思ひまはさむもねぢけたれば、疾《と》きばかりをぞ、

こゑはせで身をのみこがす螢こそいふよりまさる思ひなるらめ

など、はかなく聞こえなして、御みづからはひき入りたまひにければ、いと遙《はる》かにもてなしたまふ愁《うれ》はしさを、いみじく恨みきこえたまふ。すきずきしきやうなれば、ゐたまひも明かさで、軒の雫《しづく》も苦しさに、濡れ濡れ夜深く出でたまひぬ。郭公《ほととぎす》など必ずうち鳴きけむかし。うるさければこそ聞きもとどめね。御けはひなどのなまめかしさは、いとよく大臣の君に似たてまつりたまへりと人々もめできこえけり。昨夜《よべ》いと「女親《めおや》だちて、つくろひたまひし御けはひを、内《うち》々は知らで、あはれにかたじけなしとみな言ふ。

現代語訳

殿(源氏)は、わけもなく、お一人でお心ときめかせて、兵部卿宮をお待ち申れるが、兵部卿宮はそのことをご存知なく、姫君からよいお返事があったのを珍しいことに思われて、ひどく忍んでいらした。妻戸の間に御褥をおすすめして、御几帳だけを隔てて、姫君の御座近くにお入れする。たいそう心配りして、空薫物を奥ゆかしいほどに匂わして、身の回りのお世話をしていらっしゃるさまは、親というより、うるさいおせっかい人といったところだが、そうは言ってもやはり、ここまでやるのは感心に思われる。

宰相の君なども、姫君のお返事を宮にお取次ぎ申し上げることも忘れて、恥ずかしくて座っているのを、源氏の君が、何をぐずぐずしているのかと、袖を引っ張ったりつねったりなさるので、まるでどうしてよいかわからず困り果てている。

夕闇の頃が過ぎて、おぼろな空のありさまも曇りがちで、しっとりした宮の御気配も、まことに色めかしい。部屋の内からただよってくる追風に、いっそうかぐわしい衣に焚き染めた薫物の匂いが加わるので、まことに部屋中に深く香りが満ちて、かねて思っていたよりも風情ある御様子に、宮はお心惹かれなさる。

お口に出して、思う心のさまを訴えつづけていらっしゃるその言葉は思慮深く、むやみに色めいたものではなく、その様子は格別である。大臣(源氏)は、まことに面白いとほのかに聞いていらっしゃる。

姫君は、東の廂の間に引き入ってお休みになっていたが、宰相の君が、ご連絡を伝えにいざり入ってきたのに源氏の君は伝言して、(源氏)「あまりといえばあまりな暑苦しいおもてなしです。万事、相手に応じて臨機応変にやるのが好ましいのですよ。ひたすら一途に幼いやり方をなさるようなご年齢でもございません。この宮たちまでも、遠ざけて人づてにお返事申し上げるようなことは、なりませんよ。御声を出して直接お返事することは惜しまれるとしても、せめてもう少し近くにお寄りなさい」など、お諌め申し上げるけれど、姫君はほんとうにどうしてよいかわからず、源氏の君は、このご注意にかこつけてでも部屋の中にお入りになりたいお心具合なので、どちらにしても困ったことなので、姫君は、ここをそっと抜け出て、母屋との境にある御几帳のそばで、臥せっていらっしゃる。何のかのと、兵部卿宮が長々と訴えなさるのに対してお答え申し上げなさることもなく、ぐずぐずしておられるところへ、源氏の君はお寄りになって、御几帳の帷子を一枚、横木におかけになるのと同時に、さっと光るものを、紙燭をさし出したのか、と思うほどに姫君はびっくりなさった。

螢を薄い帷子に、この夕方、とてもたくさんつつんでおいて、光が漏れないようにつつみ隠していらしたのを、さりげなく、何ということもなくとりつくろうようにお放ちになったのである。にわかにこうしてはっきりと照らし出されたので、呆れて、扇をさし隠しなさるその横顔がとても美しいのだ。

(源氏)「はっとするような光が見えれば、宮もお覗きになるだろう。私の娘だから、という理由だけでここまで言い寄り思いを寄せておいでなのだろう。気立てや顔立ちなどが、こんなに素晴らしく備わっているだろうとは、想像することもおできにならないだろう。けっこうな好き心だというから、その心を惑わしてやろう」とよくよく趣向を凝らしていらしたのだった。

本当のご自分の娘なら、こんなふうにお騒ぎにはならないだろう、困ったお心であった。源氏の君は、別の戸口から、そっとすべるように外に出て、お帰りになった。

兵部卿宮は、姫君がいらっしゃるあたりは、このへんかとご推測なさるが、思ったよりすこし近いようなので、御心をときめかしなさって、いいようもなく美しい薄物の帷子の隙間から中をお覗きになると、一間ほど隔てて見通しのきく所に、このような思いもかけない光がほのめくのを、美しいと御覧になる。ほどなく女房たちがその光を見えないように隠してしまった。しかしほのかに見えた光は、男女の秘め事のきっかけともなりそうに見えた。ほんの少ししか見えなかったが、すらりと横になっていらした体つきが美しかったのを、宮はもっと見ていたいとお思いになって、なるほどたしかにこの趣向は宮のお心にしみたのだった。

(兵部卿宮)「なく声も…

(鳴く声も聞こえない虫の思いさえ、人が消そうとして消えるものでしょうか。まして私の思いは消えないのですよ)

おわかりいただけましたでしょうか」と申し上げなさる。このような折のご返歌に、長々と思案するのは素直でないので、早くお返事することだけを取り柄として、

(玉鬘)こゑはせで…

(声はしないでその身だけを焦がす螢のほうが、口に出して言う者よりも、その思いは強いのでしょうね)

など、わざとそっけなく言って、姫君ご自身は奥に引き入ってしまわれたので、ひどくよそよそしくおあしらいになる恨めしさを訴え申し上げなさる。だが色めいているようなので、ここに座ったまま夜を明かすことはしないで、軒の雫の苦しさに、雨に濡れながら、夜深くにご退出になった。ほととぎすなども、きっと鳴いたことだろう。また歌も詠まれただろうが、面倒なので聞き取ることもしなかった。宮のご容姿などの優艶な美しさは、まことによく大臣の君(源氏)に似ていらっしゃったと、女房たちもおほめ申し上げるのだった。昨夜はまことに母親めいて、お世話なさっていたご様子を、内々の事情を知らないで、あんなに熱心にお世話していただいて畏れ多いと、皆で言っている。

語句

■あいなく 「あいなし」はわけもなく。むやみやたらに。 ■心げさうして 「心化粧して」。心ときめかせる。期待を持つ。 ■妻戸の間 寝殿造で妻戸のある柱間。妻戸のある廂の間。妻戸は母屋の四隅にある両開きの戸。 ■御褥 今の座布団。 ■御几帳 男性は女性と几帳や襖を隔てて、簀子(縁側)から面会するのがふつう。兵部卿宮は妻戸の間にまで招き入れられているのは破格。 ■近きほどなり ここまでの一文、主語は源氏の命を受けた玉鬘つきの女房だろう。 ■そらだきもの どこから薫ってくるかわからないように炊く薫物。 ■むつかしきさかしら人 源氏は玉鬘と兵部卿宮の結婚を望みながら、一方自分自身も玉鬘に懸想している。その矛盾した心理を揶揄していう。 ■宰相の君 玉鬘つきの女房。玉鬘と兵部卿宮の間にあって連絡係をつとめる。宰相の君の背後から源氏が指示を出している。 ■夕闇 月の下旬に宵の時間に月がなくて暗いことを言うが、ここでは後に「五日」とあるのであわない。夕暮の間違いか。 ■追風 人が動くことなどによって生じる風のそよめき。 ■のたまひつづけたる 敬語「聞こゆ」を使わないことから、玉鬘に直接言うのではなく宰相の君に言っているとわかる。 ■東面 東廂の妻戸の間(最北の一角)。 ■ゐざり入りたる 女性は室内では歩かず、膝で進む。 ■つけて 源氏は宰相の君を介して玉鬘に注意を伝える。 ■暑かはしき 玉鬘が兵部卿宮に返事しないで奥に入ってしまったこと。 ■け近くだにこそ 下に「もてなしたまふべけれ」などを補って読む。 ■とざまかうざまに 部屋に引っ込めば源氏が入り込んでくるだろうし、部屋から出ていけば兵部卿宮に応対しなくてはならない。どちらにしても玉鬘にとって嫌なことである。 ■帷子を一重うちかけたまふ 几帳の帷子を一枚はねあげて横木にひっかける。帷子一枚ぶん、細い間が空くわけである。 ■螢を 螢で女の姿が照らし出される趣向は『伊勢物語』三十九段、『宇津保物語』初秋巻などにみえる。なおこの場面により兵部卿宮を螢兵部卿宮と称す。 ■薄きかたに 「かた」は「かたびら」の誤写か。 ■光をつつみ隠したへりける 布などをかぶせておいたのだろう。 ■ひきつくろふやうにて 下に「螢を放ちたひぬ」などを補って読む。 ■掲焉 はっきりとして目立つこと。 ■おどろかしき光 「おどろおどろしき光」とする本も。 ■わがむすめと思すばかりのおぼえに 兵部卿宮は玉鬘のことを「天下の光源氏の娘である」という一点だけで、興味をそそられている。気立てや容貌などどうでもいいと思っている。まさか玉鬘が光源氏の娘ということを抜きにしても、ここまで素晴らしいとは知るまいの意。 ■わが姫君 明石の姫君。 ■すこしけ近きけはいするに ここでは兵部卿宮も玉鬘も「けはひ」の語で表現されている。暗闇の中、手探りな感じ。 ■羅の帷子 兵部卿宮の前に立ててある几帳の帷子。源氏が螢を差し入れた几帳とは別。 ■一間 柱と柱の間。3メートルほど。 ■見わたし 見通しがきく場所。 ■ほどもなく紛らはして隠しつ 一瞬見えただけのなので、かえって強烈な印象となる。これも源氏の指示だろう。 ■げに 前述の「いとよくすきたまひぬべき心まどはさむと構へ歩きたまふ」を受ける。 ■なく声も… 「なく声もきこえぬ虫」は螢。「思ひ」に「火」をかける。「人の消つ」は前述の「ほどもなく紛らはして隠しつ」を受ける。 ■疾きばかりをぞ 下に「とりえにて」などを補って読む。 ■こゑはせで 「音もせで思ひに燃ゆる螢こそなく虫よりもあはれなりけれ」(重之集)を引く。 ■はかなく聞こえなして 宮からの求婚の歌をわざとそらして、螢だけの歌として返した。 ■奥の方へ 「奥」は東廂。玉鬘は東廂北端の「妻戸の間」から東廂の南のほうに移動した。 ■ゐたまひも明かさで 妻戸の間に。 ■軒の雫も苦しさに 「ながめつつわが思ふことは日暮らしに軒の雫の絶ゆるよもなし」(新古今・雑下 具平親王)。軒から垂れる雫を涙と見立てる。 ■郭公など 参考「五月雨に物思ひをれば郭公夜ぶかく鳴きていづちゆくらむ」(古今・夏 紀友則)。以下「とどめね」まで草子文。 ■聞きもとがめね ほととぎすの声も、それについて詠まれた歌も聞き取ってはいないと。物語全体を、筆者がそばで見聞きして書き記した体で記述している。 ■大臣の君に似たてまつりたまへり 兵部卿宮は源氏の異母弟。 ■つくろひたまひし 前述の「いといたう心して…」を受ける。 ■内々 源氏が玉鬘に懸想しているという事情。

朗読・解説:左大臣光永