【螢 06】端午の節句に兵部卿宮、玉鬘と「あやめ」の歌を贈答

原文

宮より御文あり。白き薄様《うすやう》にて、御手はいとよしありて書きなしたまへり。見るほどこそをかしかりけれ、まねび出づれば、ことなることなしや。

今日さへやひく人もなき水隠《みがく》れに生ふるあやめのねのみなかれん

例《ためし》にも引き出でつべき根に、結びつけたまへれば、「今日の御返り」などそそのかしおきて出でたまひぬ。これかれも、「なほ」と聞こゆれば、御心にもいかが思しけむ、

「あらはれていとど浅くも見ゆるかなあやめもわかずなかれけるねの

若々しく」とばかり、ほのかにぞあめる。手をいますこしゆゑづけたらばと、宮は好ましき御心に、いささか飽かぬことと見たまひけむかし。薬玉《くすだま》など、えならぬさまにて、所どころより多かり。思し沈みつる年ごろのなごりなき御ありさまにて、心ゆるびたまふことも多かるに、同じくは人の傷つくばかりの事なくてもやみにしがな、といかが思さざらむ。

現代語訳

兵部卿宮よりお手紙がある。白い薄様の紙に、ご手跡はたいそう素養ありげに立派に書いていらっしゃる。しかし、見ている間は面白かったが、それをそのままここで繰り返すと、とくに変わったものではないのだ。

(兵部卿宮)今日さへや…

(ふだんはもちろん端午の節句の今日ですら、私は引く人もなく水の底に隠れている菖蒲の根であり、水に流れるのです。あなたに冷たくあしらわれて、声を出して泣いてしまうでしょうよ)

人の語り草にもなりそうな立派な菖蒲の根に、結びつけていらっしゃったので、(源氏)「今日こそはお返事をなさい」などとおすすめしておいて、お立ち出でになった。誰それといった女房も、「やはりお返事をなさい」と申し上げるので、姫君はそのお心に何を思われたのだろうか、

(玉鬘)「あらはれて…

(水の下で流れていたあやめが水面から現れると、水はいっそう浅く見えることです。そんなふうに、声に出して泣いているのは、所詮その程度の浅い気持だと見えますよ)

大人げないこと」とだけ、ほのかに書いてある。手跡にもう少し風情があればと、兵部卿宮は風流好みのお心から、少し物足りないこととして拝見なさっただろう。薬玉など、言いようもなく風情あるようすに作って、あちこちからたくさん贈られてくる。

姫君(玉鬘)は、長年苦しい思いを重ねてきた名残もない豊かな日々のお暮らしに、心に余裕が出ていらっしゃることも多いことにつけても、同じことなら人の傷けるようなこともなくてすませたい、とどうしてお思いにならないはずがあろうか。

語句

■白き薄様 「薄様」は鳥の子紙の薄いもの。白い菖蒲の根に文を結びつけるので白い紙を用いた。 ■見るほどこそ… 以下「ことなしや」まで草子文。物語全体は作者がそばで見ていて後に書き記したという設定で書かれている。 ■今日さへや… 五月五日は菖蒲の根を引き合って、その根の長さ立派さを競う。「あやめ」は兵部卿宮。「ね」は「根」と「音」を、「なかれ」は「流れ」と「泣かれ」をかける。 ■根 菖蒲の根。 ■今日の御返り 下に「かならずせさせ給へ」などを補って読む。 ■なほ 気が進まなくてもやはり。 ■いかが思しけむ 返事を出すことを嫌がっていたのに、どうした心境の変化であろうかの意。源氏に言い寄られたことも影響していよう。 ■あらはれて… 「あやめ」に「分別」と「菖蒲」の意を、「なかれ」は「流れ」と「泣かれ」を、「ね」は「根」と「音」をかける。 ■手をいますこしゆゑづけたらば 前述の「御手はいとよしありて」に対応。 ■薬玉 麝香・沈香などの香料を入れた袋を菖蒲の花で飾り、五色の糸を垂らしたもの。端午の節句に柱にかけたり身につけたりする。邪気払いの意味がある。 ■思し沈みつる年ごろ 玉鬘が九州で成長し、夜逃げ同然で出てきて、流浪の日々を重ねてきたこと。 ■心ゆるびたまふこと 玉鬘は今の豊かな生活によって心に余裕が出てきた。だから源氏からの求婚も、兵部卿宮からのそれも、無下に断るのではなく相手を傷つけない形ですませたいと思うようになった。 ■

朗読・解説:左大臣光永