【野分 06】源氏、明石の御方を見舞う

こなたより、やがて北に通りて、明石の御方を見やりたまへば、はかばかしき家司《けいし》だつ人なども見えず、馴れたる下仕《しもづかひ》どもぞ、草の中にまじりて歩《あり》く。童《わらは》べなど、をかしき衵姿《あこめすがた》うちとけて、心とどめとりわき植ゑたまふ龍胆《りんたでう》朝顔《あさがほ》の這《は》ひまじれる籬《ませ》も、みな散り乱れたるを、とかくひき出で尋ぬるなるべし。もののあはれにおぼえけるままに、箏《しやう》の琴《こと》をかきまさぐりつつ、端《はし》近うみたまへるに、御|前駆《さき》追ふ声のしければ、うちとけなえばめる姿に、小袿《こうちき》ひきおとして、けぢめ見せたる、いといたし。端の方に突《つ》いゐたまひて、風の騒ぎばかりをとぶらひたまひて、つれなく立ち帰りたまふ。心やましげなり。

おほかたに荻《をぎ》の葉すぐる風の音《おと》もうき身ひとつにしむ心ちして

と独りごちけり。

現代語訳

大臣(源氏)は、中宮の御殿から、そのまま北に抜けて、明石の御方のおすまいをお見やりになると、しっかりした家司めいた人なども見えず、物なれた下仕えの女房たちが、草の中に入って動き回っている。

女童などは、美しい衵姿でくつろいで、明石の御方が心をこめて特別にお植えになった龍胆、朝顔がからみついている籬垣も、みな散り乱れているのを、あれこれ引き起こしたり、探したりしているようだ。明石の御方はなんとなく胸ふさがる思いがするのにまかせて、箏の琴を手すさびに弾きながら、部屋の端近くに座っていらっしゃったるが、御先払いの声がしたので、着慣れて柔らかくなった普段着の上に、井桁から小袿をひきおとして、それを羽織って、けじめを示すのは、まこと気配りが行き届いている。大臣は、部屋の端の方にちょっとお座りになって、風が激しかったことについての話だけをお見舞いに申し上げなさって、そっけなくお立ち帰りになる。明石の御方は気が晴れない。

(明石)おほかたに…

(野分でなくても並大抵の風が荻の葉をすぎる音でさえ、私の悲しい身にはひたすら胸にしみる心地がします。そのように、お泊りでない通りいっぺんのお見舞いでさえ、私には心かきたてられるのです)

と独り言を漏らすのだった。

語句

■こなた 中宮の御殿。 ■明石の御方 明石の君は、六条院西北の町(冬の町)にすむ。 ■家司 皇族や貴族の家の庶務を行う役人。 ■下仕 雑用をする女房。 ■草の中にまじりて歩く 昨夜の野分で前栽が倒れたので、修繕している。 ■箏 中国伝来来の十三弦の琴。 ■御前駆 御殿の内でも貴人がおいでになる時は先払いをする。 ■うちとけなえばめる姿 「萎えばむ」は着慣れて柔らかくなる。着慣れてよれよれになる。 ■小袿 上流の女性の日常服。裳や唐衣を着ないときはに着る上着。下に着る袿より少し短く仕立ててある。 ■けぢめ見せたる 明石の御方は出自が卑しいことを自覚しているので源氏の前で謙遜にふるまう。 ■おほかたに… 「荻の葉」は明石の御方自身。「風」は源氏。

朗読・解説:左大臣光永

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