【行幸 02】大原野行幸 玉鬘、帝の御姿に感激 源氏は物忌のため参加せず

原文

その十二月《しはす》に、大原野《おほはらの》の行幸《ぎやうがう》とて、世に残る人なく見騒ぐを、六条院よりも御|方々《かたがた》引き出でつつ見たまふ。卯《う》の刻《とき》に出でたまうて、朱雀より五条の大路《おほぢ》を西ざまに折れたまふ。桂川《かつらがは》のもとまで、物見車隙《ものみぐるまくま》なし。行幸といへど、必ずかうしもあらぬを、今日は親王《みこ》たち上達部《かむだちめ》も、みな心ことに、御|馬鞍《むまくら》をととのへ、随身《ずいじん》馬副《うまぞひ》の容貌《かたち》丈《たけ》だち、装束《さうぞく》を飾りたまうつつ、めづらかにをかし。左右大臣内大臣納言《なふごん》より下《しも》、はた、まして残らず仕うまつりたまへり。青色《あをいろ》の袍衣《うへのきぬ》、葡萄染《えびぞめ》の下襲《したがさね》を、殿上人《てんじやうびと》、五位六位まで着たり。雪ただいささかづつうち散りて、道の空さへ艶《えん》なり。親王《みこ》たち上達部なども、鷹にかかづらひたまへるは、めづらしき狩の御|装《よそ》ひどもを設《まう》けたまふ。近衛《このゑ》の鷹飼《たかがひ》どもは、まして世に目|馴《な》れぬ摺衣《すりごろも》を乱れ着つつ、気色《けしき》ことなり。

めづらしうをかしきことに、競ひ出でつつ、その人ともなく、かすかなる脚《あし》弱き車など輪を押しひしがれ、あはれげなるもあり。浮橋《うきはし》のもとなどにも、好ましう立ちさまよふよき車多かり。

西の対の姫君も立ち出でたまへり。そこばくいどみ尽くしたまへる人の御|容貌《かたち》ありさまを見たまふに、帝の、赤色《あかいろ》の御|衣《ぞ》奉りてうるはしう動きなき御かたはら目に、なずらひきこゆべき人なし。わが父|大臣《おとど》を、人知れず目をつけたてまつりたまへど、きらきらしうものきよげに、さかりにはものしたまへど、限りありかし。いと人にすぐれたるただ人《うど》と見えて、御|輿《こし》の中《うち》よりほかに、目移るべくもあらず。まして、容貌《かたち》ありや、をかしやなど、若き御達《ごたち》の消えかへり心移す中少将、何くれの殿上人やうの人は、何にもあらず消えわたれるは、さらにたぐひなうおはしますなりけり。源氏の大臣の御顔ざまは、別物《こともの》とも見えたまはぬを、思ひなしのいますこしいつかしう、かたじけなくめでたきなり。さは、かかるたぐひはおはしがたかりけり。あてなる人は、みなものきよげにけはひことなべいものとのみ、大臣中将などの御にほひに目|馴《な》れたまへるを、出で消えどものかたはなるにやあらむ、同じ目鼻とも見えず、口惜《くちょ》しうぞ圧《お》されたるや。兵部卿宮《ひやうぶきやうのみや》もおはす。右大将《うだいしやう》の、さばかり重りかによしめくも、今日《けふ》の装《よそ》ひいとなまめきて、胡籙《やなぐひ》など負ひて仕うまつりたまへり。色黒く鬚《ひげ》がちに見えて、いと心づきなし。いかでかは女のつくろひたてたる顔の色あひには似たらむ。いとわりなきことを、若き御心地には見おとしたまうてけり。大臣の君の思し寄りてのたまふことを、いかがはあらむ、宮仕《みやづかへ》は心にもあらで見苦しきありさまにや、と思ひつつみたまふを、馴れ馴れしき筋などをばもて離れて、おほかたに仕うまつり御覧ぜられんは、をかしうもありなむかし、とぞ思ひ寄りたまうける。

かうて野におはしまし着きて、御|輿《こし》とどめ、上達部の平張《ひらばり》に物まゐり、御装束ども、直衣《なほし》、狩の装ひなどにあらためたまふほどに、六条院より、御酒《おほむみき》、御くだものなど奉らせたまへり。今日仕うまつりたまふべく、かねて御気色ありけれど、御|物忌《ものいみ》のよしを奏せさせたまへりけるなりけり。蔵人《くらうど》の左衛門尉《さゑもんのじやう》を御使にて、雉一枝《きじひとえだ》奉らせたまふ。仰せ言には何とかや、さやうのをりの事まねぶにわづらはしくなむ。

雪ふかきをしほの山にたつ雉のふるき跡をも今日はたづねよ

太政大臣《おほきおとど》の、かかる野の行幸に仕うまつりたまへる例《ためし》などやありけむ。大臣、御使をかしこまり、もてなさせたまふ。

をしほ山みゆきつもれる松原に今日ばかりなる跡やなからむ

と、そのころほひ聞きしことの、そばそば思ひ出でらるるは、ひがことにやあらむ。

現代語訳

その年の十ニ月に、大原野の行幸ということで、世間に残る人もないほど見物に出かけて、大騒ぎであるが、六条院からも御方々が次々と牛車を引き出しては、見物におでかけになる。卯の刻に宮中をご出発なさって、朱雀から五条の大路を西の方角にお曲がりになる。桂川のたもとまで、物見の車がびっしりと立っていて隙間もない。

行幸といっても、必ずここまで大騒ぎするわけではないのだが、今日は親王たちや上達部も、みな格別な気持ちで、御馬、蔵をととのえ、随身や馬副には容姿がすぐれ背の高い者をえらび、それぞれ装束を飾り立てて、ふだんとちがう風情がある。

左右の大臣、内大臣、納言より下の人々もまた、なおさら残らずお仕え申し上げていらっしゃる。青色の袍衣、葡萄染の下襲を、殿上人、五位六位まで着ている。雪はときおり少しずつ降り散って、道中の空までもほのぼのした風情がある。親王たち上達部なども、鷹狩に参加される方々は、めずらしい狩の御装束をご用意していらっしゃる。近衛府の鷹飼たちは、まして世に見たこともないような摺衣をあれこれ着ては、普段とはことなるようすである。

滅多にない素晴らしい見物だから、皆競うように出てきて、誰それというわけではなく、みすぼらしい足の弱い車などは車輪を押しつぶされて、気の毒なことになっているのもある。浮橋のもとなどにも風流めかして右往左往している見事な車が多いのだ。

西の対の姫君(玉鬘)もお立ち出でになられた。大勢の、綺羅を尽くして競い合っていらっしゃる方々のお顔立ちやお姿を御覧になるにつけても、帝の、赤色の御衣をお召しになって、美しくじっとしておられる御ようすを傍から拝見するのに、お比べ申し上げられよう人もない。わが父大臣を、ひそかにご注目申されるが、きらびやかでさっぱりとして、男盛りではいらっしゃるが、おのづと限界があることだ。まことに人よりすぐれた人臣と見受けられるだけで、御輿の中にいらっしゃる御方のほかに、目が移りようもない。

まして「よいご器量ですこと」「すばらしい御方ですこと」など、若い女房たちが魂も消え入るほどに入れ込んでいる中将、少将、何とかの殿上人といったような人は、物の数にも入らず見渡すかぎり目にも入らないのは、帝がまことに類なくいらっしゃるせいなのであった。源氏の大臣のお顔立ちは、帝と別物ともお見受けされずそっくりだが、それでも気のせいか、帝のほうが、もうすこし威厳があり、畏れ多く、ご立派にお見受けされるのだった。

してみると、こんなに素晴らしい御方は世に二人とおいであそばすものではなかったのだ。これまで姫君(玉鬘)は、高貴な人は、みな何となく美しく気配が他と違っていて当然とばかり、大臣(源氏)や中将(夕霧)などの美しいご容姿を見馴れていらっしゃるのだが、出てきても見映えしない人々が、見劣りして体をなさなくなってしまうからだろうか、同じ目鼻とも見えず、情けなくも気圧されてしまうことだ。兵部卿宮もお出ましである。

右大将は、普段はたいそう重々しく、気取っていらっしゃるが、今日の装いはたいそう優美で、胡籙《やなぐひ》など背負ってお仕え申し上げていらっしゃる。色が黒く、鬚が多く見えて、ひどく気に入らない。どうして女の化粧をこらした顔の色あいと同じようにいくだろうか。ひどく理不尽なことだが、若い姫君のお気持としては、お見下しになるのだった。

姫君(玉鬘)は、大臣の君(源氏)が、宮仕えをさせようという心づもりでおっしゃることを、どうしたものか、宮仕えは思うようにいかず、見苦しいありさまになるのではないか、と思って尻込みしていらしたが、帝のご寵愛を得るといった色めいたことはさておき、ただ普通にお仕え申して帝にお目通りいただくぶんには、おもしろいこともあるだろう、というお気持ちになられたのだった。

こうして大原野にご到着あそばして、御輿をとめて、上達部たちが平張の中でお食事をおとりになり、それぞれのお召し物を、直衣、狩の装いなどに着替えていらっしゃる時、六条院から、お酒やお菓子などをご献上になる。

今日は大臣もお供なさるようにと、前々からの帝からのご沙汰があったが、御物忌にあたっている旨を奏上おさせなさったのだった。帝は、蔵人の左衛門尉を御使として、雉をくくりつけた枝を一枝、大臣にお差し上げあそばす。仰せ言としては何だったろうか、そのような折のことをそっくり詳しく伝えるのもわずらわしいことで。

(帝)雪ふかき…

(雪ふかい小塩山に雉が飛び立っているが、昔の先例を調べて今日は貴方に同行してきてほしかった)

太政大臣がこうした大原野の行幸にお仕え申し上げた先例などがあるのだろうか。大臣は、御使をかしこまって、おもてなしさせなさる。

(源氏)をしほ山…

(小塩山の松原に雪が積もるように、大原野行幸の例は過去にいくらもありますが、今日の行幸ほど盛大な例はございますまい)

と、その頃耳にしたことが、ぽつりぽつり思い出されてくることだから、記憶違いもあるかもしれない。

語句

■大原野 京都の西郊、右京区にある大原野への行幸。大原野には藤原氏の氏神大原野神社があり、小塩山がある。醍醐天皇延長六年(928)十二月五日の大原野行幸を準拠とする。『伊勢物語』七十六段に、藤原高子一行の大原野参詣話がある。 ■卯の刻 午前六時ごろ。 ■朱雀より五条の大路を西ざまに 朱雀門から朱雀大路を南へ、五条大路を西へ向かった。朱雀大路は現在の千本通。五条大路は現在の松原通。 ■馬副 貴人の乗馬にお供する者。 ■青色の袍衣 麹塵《きくじん》の袍。ふだんは天皇が着用。晴れの儀式では臣下が着て天皇は赤い袍を着用。 ■葡萄染め 薄い紫色。 ■雪ただいささかづつうち散りて 延長六年醍醐天皇の大原の行幸にも雪が降ったとある(大鏡・昔物語)。 ■鷹にかかづらひたまへる 鷹狩に参加する方々。狩衣を用意していき、現地で着替える。 ■近衛の鷹狩ども 近衛府の鷹狩専門の者。今日の主役といっていい。近衛府は六衛府の一で宮中警護に当たる。左近衛府と右近衛府に分かれる。 ■摺衣 木草で摺り模様をつけた衣。 ■かすかなる脚弱き車 身分の低い者の足まわりが貧弱な車。 ■浮橋 多数の舟を川に浮かべ、その上に板をしいて橋としたもの。舟橋。牛車もその上を渡れる。 ■中将少将 中将は柏木。少将は弁少将。ともに内大臣の子。 ■消えわたれる そこらじゅう見渡しても玉鬘の眼中に入るのは帝以外にいない。 ■出で消えども 出てきても見映えのしない人々。玉鬘の男性評価は源氏や夕霧が基準になっているので非常に厳しい。 ■胡籙 矢の入れ物。背中に負う。 ■馴れ馴れしき筋 帝の寵愛を得ること。 ■雉一枝 つがいの雉を枝にくくりつけたもの。 ■仰せ言には何とかや… 以下、草子文。朝廷や政治のことについて女が語るのをさけたもの。 ■例やありけむ 朝廷儀式について女が語るのを避けてぼかしてある。仁和ニ年(886)十一月十四日、光孝天皇芹川行幸の際、関白藤原基経が供奉した例が古注に指摘されている。 ■をしほ山… 「みゆき」は「行幸」と「雪」をかける。この歌をもって、また冷泉帝の行幸の件をもって巻名とする。 ■そのころほひ聞きしことの これらの記事は歴史上実際に起こった出来事であり、そばで見聞きしていた作者が、後で記憶にもとづいて語っている、という体裁をとる。

朗読・解説:左大臣光永

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