【梅枝 04】六条院西殿にて姫君の裳着 中宮、腰結役をつとめる

かくて、西の殿《おとど》に戌《いぬ》の刻《とき》に渡りたまふ。宮のおはします西の放出《はなちいで》をしつらひて、御髪上《みぐしあげ》の内侍《ないし》なども、やがてこなたに参れり。上《うへ》も、このついでに、中宮に御対面あり。御方々の女房おしあはせたる、数しらず見えたり。子《ね》の刻《とき》に御|裳《も》奉る。大殿油《おほとなぶら》ほのかなれど、御けはひいとめでたし、と宮は見たてまつれたまふ。大臣、「思し棄《す》つまじきを頼みにて、なめげなる姿を、すすみ御覧ぜられはべるなり。後の世の例《ためし》にやと、心せばく忍び思ひたまふる」など聞こえたまふ。宮、「いかなるべきこととも思ひたまへわきはべらざりつるを、かうことごとしうとりなさせたまふになん、なかなか心おかれぬべく」とのたまひ消《け》つほどの御けはひ、いと若く愛敬《あいぎやう》づきたるに、大臣も、思すさまにをかしき御けはひどものさし集《つど》ひたまへるを、あはひめでたく思さる。母君の、かかるをりだにえ見たてまつらぬを、いみじと思へりしも心苦しうて、参《ま》う上《のぼ》らせやせましと思せど、人のもの言《いひ》をつつみて過ぐしたまひつ。かかる所の儀式は、よろしきにだに、いと事多くうるさきを、片はしばかり、例のしどけなくまねばむもなかなかにやとて、こまかに書かず。

現代語訳

こうして、中宮(秋好中宮)は、西の御殿に戌の刻においでになる。中宮のおすまいになる西の対の放出《はなちいで》を儀式のためにととのえて、御髪上役をつとめる内侍なども、まっすぐこちらに参られた。紫の上も、この機会に、中宮(秋好中宮)にご対面される。御方々の女房たちがそれぞれ詰めよせるのは、数え切れないほどに見える。

子の刻に姫君は御裳をおつけになる。大殿油の灯りがほのかであるが、姫君の御物腰はまことに見事だと、中宮は拝見なさる。大臣(源氏)は、「こんなことにお見限りにはなられまいと思うのを頼みにして、娘の失礼な姿を、みずから御覧に入れるのでございます。中宮に腰結役をしていただくことが、後世の先例にもなるかと、狭い了簡から、ひそかに思うのでございます」など申し上げなさる。中宮は、「はじめはどんなことになるだろうかと、見当もつきませんでしたが、こうも大層に執り行われるので、中宮が腰結役をつとめるという、このやり方に、かえって執着ができそうで」と、事もなげにおっしゃる時のご様子は、まことに若く親しみ深いので、大臣(源氏)も、理想通りにすぐれた気配の御方々が集まっていらっしゃることを、すばらしい間柄だとお思いになる。

母君(明石の君)が、こうした折でさえ姫君を拝見しないことを、辛いと思っていることも気の毒で、参上させようかとお思いになるが、世間の人が噂するのに気がねしてそのまま参上させずおすましになった。

こうした場所の儀式は、それほどでない場合でさえ、まことに決まりが多くてやかましいので、その一部だけを、例によってまとまりなく書き写すのもかえって悪いだろうと思うので、こまかくは書かない。

語句

■西の殿 六条院西南の御殿。旧六条御息所の御邸で、現在は秋好中宮の里。 ■戌の刻 午後八時ごろ。 ■西の放出 西の対に特設された部屋。 ■御髪上 裳着の儀式のとき髪を上げる役。 ■やがてこなたに参れり 南の殿(源氏の居所)への挨拶をはぶいて、そのまま西の御殿に参った。 ■中宮に御対面 紫の上は中宮の母がわり。ただし紫の上と中宮はこの日が初対面。 ■御方々の女房 中宮、紫の上、明石の姫君などの女房たち。 ■子の刻 午前0時の前後2時間。 ■なめげなる 子供用の略装なので中宮の前に出るには失礼かと源氏は思う。 ■後の世の例にや 中宮に腰結役をつとめていただくことが後世の先例にもなれと、の意。つまりこれ以前はそういうことはなかったと。 ■心せばく こんな無理をお願いしてよいものだろうかと、気が引けているかんじ。 ■いかなるべきこととも思ひたまへわきはべらざりつるを 中宮が腰結役をつとめるという先例のない事が、世間からどう評価されるか、私には見当もつかないが、の意。 ■なかなか心おかれぬべく 世間から好評で、かえって今より後はこうしよう(中宮に腰結役をつとめていただこう)となるのではないかと。 ■のたまひ消つ 源氏の懸念を否定する。 ■思すさまにをかしき御けはひども 中宮・紫の上・明石の姫君などを源氏は想定している。 ■あはひめでたく 御方々の関係がすばらしいことだと。 ■人のもの言 明石の君をこうした儀式に参加させると「なぜ身分卑しき受領の娘を…」と世間から非難されかねない。 ■かかる所の儀式は… 以下、草子文。

朗読・解説:左大臣光永