【梅枝 09】兵部卿宮、古き仮名の手本を源氏に贈る

今日は、また、手のことどものたまひ暮らし、さまざまの継紙《つぎがみ》の本《ほん》ども選り出でさせたまへるついでに、御子の侍従《じじゆう》して、宮にさぶらふ本ども取りに遣はす。嵯峨帝《さがのみかど》の、古万葉集《こまんえふしふ》を選び書かせたまへる四巻《よまき》、延喜帝《えんぎのみかど》の、古今和歌集を、唐《から》の浅縹《あさはなだ》の紙を継ぎて、同じ色の濃き紋《もん》の綺《き》の表紙、同じき玉の軸、緂《だん》の唐組《からくみ》の紐などなまめかしうて、巻ごとに御手の筋を変へつつ、いみじう書き尽くさせたまへる、大殿油《おほとなぶら》みじかくまゐりて御覧ずるに、「尽きせぬものかな。このごろの人は、ただかたそばを気色《けしき》ばむにこそありけれ」などめでたまふ。やがてこれはとどめたてまつりたまふ。「女子《をむなご》などを持《も》てはべらましにだに、をさをさ見はやすまじきには、伝ふまじきを、まして朽ちぬべきを」など聞こえて奉れたまふ。侍従に、唐《から》の本などのいとわざとがましき、沈《ぢん》の箱に入れて、いみじき高麗笛《こまぶえ》添へて奉れたまふ。

現代語訳

今日は、また、筆跡のことなどを一日中お話あいになり、さまざまの継紙の多くの本をお選び出されるついでに、ご子息の侍従に命じて、宮邸にある多くの本を取りにやらせる。嵯峨の帝が、古万葉集を選んでお書かせになった四巻、延喜の帝が、古今和歌集を、唐来の浅縹の紙を継いで、同じ色の濃い紋の薄手の綾を用いた表紙に、同じ色の玉の軸、だんだら模様の唐風の紐組みなどが優美で、巻ごとにご手跡の筋を変えては、たいそう見事にぞんぶんにお書きになっていらっしゃるのを、燈火を低くともして御覧になるにつけ、(源氏)「いくら見ていても興が尽きないものですね。これらに比べたら最近の人は、ただ一部だけ趣向を凝らしているにすぎませんね」などとお褒めになる。そのままこれらは、大臣のもとにおとどめになる。(螢兵部卿宮)「女子などを持っておりましたとしても、これの良さがいっこうにわからない者には、伝え残す気になりませんから、まして女子のいない私には宝の持ち腐れになってしまいますから」などと申し上げてお差し上げになる。大臣は、侍従に、唐来の手本などのまことに立派なのを、沈の箱に入れて、見事な高麗笛を添えてお差し上げになる。

語句

■継紙 色や紙質の違う紙を継ぎ合わせて一枚としたもの。 ■御子の侍従 兵部卿宮の子で侍従になっている人。 ■嵯峨帝 嵯峨天皇。三筆の一。漢字の名手。 ■古万葉集 『新撰万葉集』(菅原道真撰)、『続万葉集』(古今集)などに対して、本来の『万葉集』のこと。 ■延喜帝 醍醐天皇。 ■浅縹 薄い藍色。 ■綺の表紙 薄手の綾を用いた表紙。表紙は巻物を巻いたとき一番面にくる部分。 ■緂 さまざまな色の糸をだんだに織ったもの。 ■唐組 巻物を、唐風に組紐で組んだもの。表紙の端に押さえ竹を貼り、紐をつける。 ■みじかくまゐりて 手元が見えるように大殿油を低く灯すこと。 ■ただかたそばを 全体に意識が向かわず、部分的に風流をこらしているだけの意。 ■高麗笛 雅楽で使う笛。高麗楽(右楽)に用いる。唐楽(左楽)に用いる笛より短い。

朗読・解説:左大臣光永