【梅枝 10】源氏、姫君の草子箱に入れる書を厳選する

またこのごろは、ただ仮名《かんな》の定めをしたまひて、世の中に手書くとおぼえたる、上中下《かみなかしも》の人々にも、さるべきものども思しはからひて、尋ねつつ書かせたまふ。この御箱には、立ち下れるをばまぜたまはず、わざと人のほど、品分かせたまひつつ、草子巻物みな書かせたてまつりたまふ。よろづにめづらかなる御宝物ども、他《ひと》の朝廷《みかど》まであり難《がた》げなる中に、この本どもなん、ゆかしと心動きたまふ若人世に多かりける。御絵どもととのへさせたまふ中に、かの須磨の日記は、末にも伝へ知らせむと思せど、いますこし世をも思し知りなんに、と思し返して、まだ取り出でたまはず。

現代語訳

また大臣(源氏)はこの頃、ひたすら仮名の批評をなさって、世の中に能書家とおぼえ高い人を、身分の上中下に関係なく、その人の技量に応じてしかるべき内容をご考慮なさって、尋ね出しては、お書かせになる。

この姫君の御箱には、劣ったものはまったくお入れにならず、特別に意識して、その人の身分や地位を区別なさっては、草子や巻物を、みなお書かせになる。すべて珍しい御宝物の数々で、外国の朝廷にもめったにないものであるが、その中に、この幾冊かのお手本こそ、「拝見したい」と心を動かされる若い人が世に多いのであった。数々の御絵をご用意なさる中に、かの須磨の日記は、大臣は、後の世にも伝え知らせようとお思いになられるが、姫君がもう少し世間というものをお知りになってから、と思い返されて、まだ取り出すことはなさらない。

語句

■またこのごろは 前段から直接つづく。 ■仮名の定め 仮名の書の批評をすること。 ■上中下 上は上達部。中は殿上人。下は地下人。 ■さるべきものども その人の技量に応じて、何を書かせるか、どんな趣向で書かせるか考慮する。 ■この御箱 姫君が入内の際、持参する箱。 ■立ち下れる 身分が低い者の書や、技量が低い書。 ■この本ども 姫君が持参する箱におさめられた本。 ■若人 おもに女房たち。 ■須磨の日記 源氏が須磨にいたころの日記(【絵合 06】【同 08】【同 09】)。

朗読・解説:左大臣光永