【梅枝 11】内大臣、夕霧と雲居雁の結婚について気をもむ 源氏、夕霧に訓戒する

内大臣《うちのおとど》は、この御いそぎを、人の上にて聞きたまふも、いみじう心もとなくさうざうしと思す。姫君の御ありさま、盛りにととのひて、あたらしううつくしげなり。つれづれとうちしめりたまへるほど、いみじき御嘆きぐさなるに、かの人の御気色、はた、同じやうになだらかなれば、心弱く進み寄らむも人笑はれに、人のねむごろなりしきざみに、なびきなましかばなど、人知れず思し嘆きて、一方《ひとかた》に罪をもえ負ほせたまはず。かくすこしたわみたまへる御気色を、宰相の君は聞きたまへど、しばしつらかりし御心をうしと思へば、つれなくもてなししづめて、さすがに外《ほか》ざまの心はつくべくもおぼえず。心づから戯《たはぶ》れにくきをり多かれど、あさみどり聞こえごちし御|乳母《めのと》どもに、納言《なふごん》に昇《のぼ》りて見えんの御心深かるべし。

大臣は、あやしう浮きたるさまかなと思し悩みて、「かのわたりのこと思ひ絶えにたらば、右大臣《みぎのおとど》、中務宮《なかつかさのみや》などの気色《けしき》ばみ言はせたまふめるを、いづくも思ひ定められよ」とのたまへど、ものも聞こえたまはず、かしこまりたるさまにてさぶらひたまふ。「かやうのことは、かしこき御教へにだに従ふべくもおぼえざりしかば、言《こと》まぜまうけれど、今思ひあはするには、かの御教へこそ長き例《ためし》にはありけれ。つれづれとものすれば、思ふところあるにやと世人《よひと》も推《お》しはかるらんを、宿世《すくせ》の引く方にて、なほなほしきことに、ありありてなびく、いとしりびにわろきことぞや。いみじう思ひのぼれど、心にしもかなはず、限りあるものから、すきずきしき心使はるな。いはけなくより宮の内に生《お》ひ出でて、身を心にまかせずところせく、いささかの事のあやまりもあらば、軽軽《かろがろ》しき譏《そし》りをや負はむとつつみしだに、なほすきずきしき咎《とが》を負ひて、世にはしたなめられき。位浅く何となき身のほど、うちとけ、心のままなるふるまひなどものせらるな。心おのづからおごりぬれば、思ひしづむべきくさはひなき時、女のことにてなむ、賢き人、昔も乱るる例《ためし》ありける。さるまじきことに心をつけて、人の名をも立て、みづからも恨みを負ふなむ、つひの絆《ほだし》となりける。とりあやまりつつ見ん人の、わが心にかなはず、忍ばむこと難《かた》きふしありとも、なほ思ひ返さん心をならひて、もしは親の心にゆづり、もしは親なくて世の中かたほにありとも、人柄心苦しうなどあらむ人をば、それを片かどに寄せても見たまへ。わがため、人のため、つひによかるべき心ぞ、深うあるべき」など、のどやかにつれづれなるをりは、かかる御心づかひをのみ教へたまふ。

かやうなる御諫《いさめ》につきて、戯《たはぶ》れにても外《ほか》ざまの心を思ひかかるは、あはれに人やりならずおぼえたまふ。女も、常よりことに大臣の思ひ嘆きたまへる御気色に、恥づかしう、うき身と思し沈めど、上はつれなくおほどかにて、ながめ過ぐしたまふ。

現代語訳

内大臣は、大臣(源氏)のこの、姫君入内のご準備を、他人事としてお聞きなさることも、ひどく気がかりで、物足りなくお思いになる。姫君(雲居雁)のご様子も、女盛りにととのって、もったいなく、また可愛らしい。

姫君が所在なくふさぎこんでいらっしゃることが、内大臣のひどい御嘆きの種であるのに、かの男君(夕顔)のご様子は、また、今までどおり素っ気ないので、弱気になってこちらから折れて歩み寄るのも世間の人から笑われようし、あちらが結婚に熱心であった時に、話に乗っていたらなどと、人知れずお思い嘆きになられて、一方的にむこうが悪い思うことも、おできにならない。

このように内大臣がすこし弱気になられたご様子を、宰相の君(夕霧)はお聞きになるが、一時期つらく当たられたときのお気持ちをうらめしく思っているので、素っ気ないふうに気持ちを押し静めているが、そうはいってもやはり他の女性に気持ちがうつるようにも思えない。わが心ながら冗談ではないというくらい、姫君(雲居雁)のことが恋しい折が多いが、六位の浅緑よと侮り申した御乳母たちに、納言に昇進した姿を見せたいとの御心が深いのだろう。

大臣(源氏)は、宰相の君(夕霧)が、どういうわけか身が定まらない様子だなとお思い悩みになって、(源氏)「かの内大臣家のあたりの一件を断念したのなら、右大臣、中務宮などが、姫君を見合わせたいようなことをおっしゃっておられるらしいから、どちらともお心をお決めなさい」とおっしゃるが、宰相の君(夕霧)は、なにも申し上げなさらず、かしこまった様子で控えていらっしゃる。

(源氏)「私もこうしたことについては、父帝の畏れ多いお教えにさえも、従おうとも思わなかったので、口を出しづらいのだが、今思いあわせてみると、あの御教えこそ今日まで通用する先例ではあったのだよ。男が結婚もせずぶらぶらしていると、「何か考えでもあるのだろうか」と、世間の人が邪推するだろうが、だからといってそういう目を避けるために成り行きにまかせに、ありふれた結婚相手に、あれこれした挙げ句、落ち着くのは、ひどく尻すぼみで、体裁が悪いことなのだ。また一方、たいそう気位を高く持って「意中の相手でないと結婚しないぞ」と構えたところで、かならず思いどおりになるわけではなく、限界があるものだし、そのために好色な気持ちを持って、浮ついた女遊びなどに走るのはよくない。私などは幼少のころから宮中で成長して、自分の身も思うままにならず、少しでも間違いがあると、「軽薄だ」という非難を受けるだろうと思って慎んでいたが、それでもやはり、好色だといって人から咎められて、世間から懲らしめられたものだ。今は位が低く取るに足らない身分だからといって、気をゆるして、やりたい放題のふるまいなどはなされるな。自分でも気づかないうちに驕り高ぶる気持ちが出てきて、その思いをしずめてくれる者が身内にいない時は、女のことで、賢い人も、身を持ち崩す例が、昔もあったものだ。好意をよせてはいけない相手に心をかけて、相手に汚名を着せて、自分も恨みを買うことになり、それが一生をしばる枷となるのである。あるいは不本意ながら結婚した相手が、自分の理想にあわず、我慢できないことがあっても、それでも思い直して添い遂げようという気持ちをいつも持つようにして、もしくは女親の気持ちに免じて、もしくは女親がおらず生活が思うにまかせないとしても、本人の人柄が意地らしいというような人なら、その人柄ひとつを取り柄と思うようにしてでも、添い遂げなさい。自分のため、相手のため、最終的によかれという気持ちこそ、深い心というべきであろう」など、暇で所在ない時は、こうした御心づかいをひたすらお教えになられる。

中将(夕霧)は、こうした父大臣のご教訓に従って、戯れにも他の女性を心に思いかけることは、気の毒でとてもできないと、他から言われるまでもなく、思っていらっしゃる。女(雲居雁)も、ふだんよりひどく父内大臣が思い嘆いていらっしゃるご様子に、恥ずかしく、ご自身を不幸な身の上だと思い沈んでいらっしゃるが、表面上はなんでもないように、おおらかに構えて、物思いの日々を過ごしていらっしゃる。

語句

■この御いそぎ 源氏の、姫君入内のための準備。 ■人の上にて 内大臣はかつて雲居雁の入内を画策していた(【少女 11】)。しかし今はまったく入内のことは蚊帳の外となってしまった。 ■姫君の御ありさま 雲居雁。この時二十歳。 ■かの人 夕霧。雲居雁への恋情を抑えて表に出さないようにしている(【螢 11】)。 ■一方に罪をもえ負ほせたまはず 夕霧ばかりが悪いとも言い難く、自分もすこし意地をはりすぎたと反省している。 ■しばしつらかりし御心 夕霧は、内大臣方が自分の官位の低さを侮辱したのを根に持っている。 ■さすがに いくら冷淡な態度を取るといっても。 ■戯れにくき 冗談ではないという気持ち。 ■あさみどり聞こえごちし 浅緑は六位の袍の色。かつて内大臣方の乳母が「六位宿世よ」と夕霧をあざけった(【少女 21】)。 ■浮きたるさま 夕霧が結婚相手が決まらずぶらぶらしている状態。 ■かのわたりの事 内大臣家の事。雲居雁との結婚。 ■かしこき御教 故桐壺院の教訓。 ■言まぜまうけれど 「言まぜまく憂けれど」の約。「口をはさむこと」は「気が引けるが」、の意。「言まぜまく」は「言まぜむ」の「む」の未然形に体言化の接尾語「く」がついた形。 ■長き例 いつまでも通用する先例。 ■つれづれと… 以下「心使はるな」まで、もはや宇宙語。解読不可能。一応、以下のように解する。「夕霧が結婚しないでぶらぶらしているのを見て、世間の人は夕霧が結婚相手についてどんな高望みをしているのだろうかと、あれこれ邪推するだろう。だからそうした世間のうるさい目を避けるために、成り行きまかせに、そこらのありきたりの女と結婚したとする。すると、その結婚はいかにも尻すぼみで、体裁の悪いことになる。一方、夕霧が気位を高く持って、「並の相手とは結婚しないぞ」と未婚をつらぬくとしても、何でも思い通りになるわけではないから、いつまでも結婚できず、したがって、女遊びでもしてみようという気持ちになるだろうが、それは世間の非難をあびることになる」。つまり源氏は夕霧が「妥協してそこらの相手と結婚する場合」と、「妥協せず気位を高く保つ場合」の両方を想定し、前者は体裁の悪い結果になるだろう、後者は欲求不満から女遊びに走り世間の非難をあびるだろうと、いずれの場合も悪くなることを言っているらしい。しかしこれほど文のつながりが飛躍し、省略が多くては、正確な意図を読み取ることは不可能である。 ■思ふところあるにや いつまでも結婚しないのには何か特別な考えでもあるのだろうかと、主に悪い方向に考える。 ■ありありて いろいろあった末に。 ■しりびに 「後干に」か。後になるほど弱くなること。妥協してつまらない相手と結婚した結果、家庭生活もぱっとせず、人生が先すぼみになっていくことか。 ■思ひのぼれど、限りあるものから 気位を高く持って、「並の相手とは結婚しないぞ」などと構えていても、世の中そううまく理想通りにはいかないから、の意。 ■すきずきしき心使はるな 好色を戒める。気位を高く持って並の相手とは結婚しないと構えていた結果、婚期をのがし、ちゃんとした結婚はできず、愛人通いに気をまぎらわすことになると、源氏は想定しているのだろう。自分の経験をふまえて。 ■いはけなくより… 以下、源氏自身の若い頃の経験をのべる。ここから文意がとてもわかりやすくなる。理念を語った台詞と経験談を語った台詞のちがいだろう。源氏の訓戒はようするに、1.成り行きまかせに結婚するのはよくない。2.だからといって好色に走るのもよくない。3.私も好色の件で世間から非難されたし、世に女がらみで身を持ち崩す例があるのだから。 4.だから心にかなわない相手でも受け入れて、相手のため自分のためよかれと思って結婚生活をいとなみなさい。……結果として夕霧に雲居雁への一途な思いを再確認させることになっている。 ■世にはしためられき 須磨流謫の事などをいう。源氏はすべて「自分は悪くない」「世間が悪い」で一貫している。 ■思ひしづむべきくさはひ 好色心をいさめてくれる者。妻子などを想定。 ■ひつの絆 一生涯の枷。絆は馬の足を縛る綱。 ■とりあやまりつつ 不本意ながら。そう結婚したいとも思っていなかった相手と妥協して結婚する場合をいう。 ■思ひ返さん心 女と別れてしまおうという気持ちを思い返して「やはり添い遂げよう」と思うこと。 ■かたほ 不十分。不如意。女親がいないため夫婦生活が経済的に苦しくなることをいう。 ■片かど わずかな才能。 ■上はつれなく 「蘆根はふうきは上こそつれなけれ下はえならず思ふ心を」(拾遺・恋四 読人しらず)。前の「うき」「沈め」もこの歌の縁。

朗読・解説:左大臣光永