【少女 21】夕霧、雲居雁と対面 歌の贈答

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原文

冠者《くわざ》の君、物の背後《うしろ》に入りゐて見たまふに、人の咎《とが》めむも、よろしき時こそ苦しかりけれ、いと心細くて、涙おし拭《のご》ひつつおはするけしきを、御乳母いと心苦しう見て、宮にとかく聞こえたばかりて、夕まぐれの人のまよひに、対面《たいめん》せさせたまへり。

かたみにもの恥づかしく胸つぶれて、ものも言はで泣きたまふ。「大臣《おとど》の御心のいとつらければ、さばれ、思ひやみなんと思へど、恋しうおはせむこそ理《わり》なかるべけれ。などて、すこし隙《ひま》ありぬべかりつる日ごろ、よそに隔てつらむ」とのたまふさまも、いと若うあはれげなれば、「まろも、さこそはあらめ」とのたまふ。「恋しとは思しなんや」とのたまへば、すこしうなづきたまふさまも幼げなり。

御殿油《おほむとなぶら》まゐり、殿まかでたまふけはひ、こちたく追ひののしる御|前駆《さき》の声に、人々、「そそや」など怖《お》ぢ騒げば、いと恐ろしと思してわななきたまふ。さも騒がればと、ひたぶる心に、ゆるしきこえたまはず。御|乳母《めのと》参りてもとめたてまつるに、けしきを見て、「あな心づきなや。げに、宮知らせたまはぬことにはあらざりけり」と思ふにいとつらく、「いでや、うかりける世かな。殿の思しのたまふことはさらにも聞こえず、大納言殿にもいかに聞かせたまはん。めでたくとも、もののはじめの六位|宿世《すくせ》よ」とつぶやくもほの聞こゆ。ただこの屏風《びやうぶ》の背後《うしろ》に尋ね来て、嘆くなりけり。男君、我をば位なしとてはしたなむるなりけり、と思すに、世の中恨めしければ、あはれもすこしさむる心地して、めざまし。「かれ聞きたまへ、

くれなゐの涙にふかき袖の色をあさみどりにやいひしをるべき

恥づかし」とのたまへば、

いろいろに身のうきほどの知らるるはいかに染めける中の衣ぞ

ともののたまひはてぬに、殿入りたまへば、わりなくて渡りたまひぬ。

現代語訳

冠者の君(夕霧)は、物陰に隠れていて、姫君を御覧になっておられたが、人が咎めるにしても、いつもならただ辛いだけだったが、今はたいそう心細くて、涙を拭い拭いしていらっしゃるご様子を、御乳母(宰相)はたいそう気の毒なことに見て、大宮にあれこれ相談したので、夕闇の、人が行き来する紛れに、二人をお逢わせになられた。

お互いに何となく恥ずかしくて胸がつぶれる思いで、何も言わずお泣きになる。(夕霧)「内大臣の御心がひどく恨めしいので、ならばいっそ諦めてしまおうかと思いましたが、そうなると貴女が恋しい気持にたまらなくなることでしょう。どうして、今までの日々すこしは隙もあったでしょうに、逢わずに隔たっていたのでしょうか」とおっしゃるさまも、ひどく幼なげでしみじみ胸を打つものがあるので、(雲居雁)「私も、きっとそう思うことでしょう」とおっしゃる。(夕霧)「恋しいと思ってくださいますか」とおっしゃると、姫君がすこしうなづかれるさまも、いかにもあどけない。

燈火のともる頃、内大臣が宮中よりお下りになる気配がして、仰々しく先払いする声に、女房たちは「それお帰りですよ」とぴりぴりして騒ぐので、姫君もひどく恐ろしいとお思いになっておふるえになる。しかし若君は、そうやって騒がれるなら望むところだと、ひたすら一途なお気持ちで、姫君をお放しにならない。御乳母が姫君を捜しに参ったところ、このありさまを見て、(乳母)「まあけしからぬこと。内大臣がおっしゃるとおり、大宮がご存知ないことではなかったのですね」と思うにつけてもひどく恨めしく、(乳母)「いやもう、情けない世の中ですよ。内大臣殿がどう思われ、おっしゃるかは申すまでもないことですが、大納言殿もお耳にされてどう思われましょうか。いかに立派な方とはいっても、結婚のはじめが六位風情との縁ではね」とつぶやくのもかすかに聞こえてくる。

すぐこの屏風の後ろに姫君を捜しに来て、嘆いているのだった。男君(夕霧)は、「自分を位が無いからといって低く見るのだな」とお思いになるにつけ、世間が恨めしく、姫君へのお気持もすこし冷めるお気持がして、気に食わないのであった。(夕霧)「あれをお聞きなさい、

くれなゐの…

(貴女に恋い焦がれて紅の涙に深く染まっている私の袖の色を、六位の浅緑に言い落としてよいものでしょうか)

恥ずかしいことで」とおっしゃると、

(雲居雁)いろいろに…

(いろいろなことにつけてわが身の運のつたなさが思い知られるのですが、どう定められている貴方との仲なのでしょうか)

と最後までおっしゃってしまわれる前に、内大臣が入ってこられたので、姫君は仕方なくお部屋にお戻りになられた。

語句

■よろしき時こそ… 雲居雁に会える望みがあった時は人から見咎められても単に「辛い」という程度ですんでいたが。 ■夕まぐれの人のまよひに 内大臣が姫君を迎えに来る前で、準備する人が忙しく行き交っている。そのどさくさにまぎれて。 ■さばれ さはあれ。雲居雁をよそに移すならいっそ。 ■若う 「若し」は幼なげである。 ■まろ 自称の代名詞。男女問わず言う。 ■さこそはあらめ 相手の言葉を肯定するだけで積極的には「貴方が恋しい」とは言わないあどけなさ。 ■恋しとは思しなんや 雲居雁のあやふやな言葉に対して、もう一歩踏み込んではっきり「恋しい」という言葉がほしい。 ■大殿油まゐり 邸内に灯りをつける時間になったこと。 ■こちたく 「言(事)痛し」はおおげさである。仰々しい。 ■そそや 驚き慌てている声。 ■さも騒がれば 下に「騒がれよ」を省略。 ■ひたぶる心 ひたすら一途に雲居雁を恋い慕う気持。 ■ゆるしきこえたまはず 夕霧は雲居雁の袖などを押さえて放さない。 ■げに 内大臣の言われたとおり。 ■いでや 嫌味たっぷりの口調。 ■大納言殿 雲居雁の母の再婚相手。按察使大納言。以前もこの乳母は大納言への聞こえを気にしている(【少女 15】)。 ■もののはじめの六位宿世よ 結婚のはじめが六位風情の夕霧との縁ではお話しにならないといって夕霧を見下す。 ■世の中恨めしければ 身分の高い自分を六位にとどめおく世の中が、官位でしか人を判断しない世の中が恨めしいのである。 ■くれなゐの… 「くれなゐの涙」は「血の涙」。ひどい悲しみに流す涙。「ふかき袖」は「くれなゐの涙」に色濃く染まった袖。「あさみどり」は「浅葱色」。六位の袍の色。「いひしをる」は言っておとしめる。第四句を「あさみどりとや」とする本が多い。 ■いろいろに… 「いろいろに」は「染む」と縁語。「中の衣」は二人の仲。同じく「染む」と縁語。 

朗読・解説:左大臣光永

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