【少女 11】内大臣、大宮とあれこれ語る 和琴を弾き、雲居雁の音と合わせる

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原文

所どころの大饗《だいきやう》どもも果てて、世の中の御いそぎもなく、のどやかになりぬるころ、時雨《しぐれ》うちして荻《をぎ》の上風《うはかぜ》もただならぬ夕暮に、大宮の御方に内大臣《うちのおとど》参りたまひて、姫君渡しきこえたまひて、御琴など弾かせたてまつりたまふ。宮はよろづの物の上手《じやうず》におはすれば、いづれも伝へたてまつりたまふ。「琵琶こそ、女のしたるに憎きやうなれど、らららうじきものにはベれ。今の世にまことしう伝へたる人、をさをさはべらずなりにたり。何の親王、くれの源氏」など数へたまひて、「女の中には、太政大臣《おほきおとど》の山里に籠《こ》めおきたまへる人こそ、いと上手と聞きはべれ。物の上手の後《のち》にははべれど、末になりて、山がつにて年|経《へ》たる人の、いかでさしも弾きすぐれけん。かの大臣、いと心ことにこそ思ひてのたまふをりをりはベれ。他事《ことごと》よりは、遊びの方の才《ざえ》はなは広うあはせ、かれこれに通はしはべるこそかしこけれ。独《ひと》りごとにて、上手となりけんこそ、めづらしきことなれ」などのたまひて、宮にそそのかしきこえたまへば、「柱《ぢう》さすことうひうひしくなりにけりや」とのたまへど、おもしろう弾きたまふ。「幸《さいは》ひにうち添へて、なほあやしうめでたかりける人なりや。老の世に、持《も》たまへらぬ女子《をむなご》をまうけさせたてまつりて、身に添へてもやつしゐたらず、やむごとなきにゆづれる心おきて、事もなかるべき人なりとぞ聞きはべる」など、かつ御物語聞こえたまふ。「女はただ心ばせよりこそ、世に用ゐらるるものにはべりけれ」など、人の上のたまひ出でて、「女御を、けしうはあらず、何ごとも人に劣りては生ひ出でずかし、と思ひたまへしかど、思はぬ人におされぬる宿世《すくせ》になん、世は思ひの外《ほか》なるものと思ひはべりぬる。この君をだに、いかで思ふさまに見なしはべらん。春宮《とうぐう》の御元服ただ今のことになりぬるを、と人知れず思うたまへ心ざしたるを、かう言ふ幸ひ人の腹の后《きさき》がねこそ、また追ひすがひぬれ。立ち出でたまへらんに、まして、きしろふ人あり難くや」とうち嘆きたまへば、「などかさしもあらむ。この家にさる筋の人出でものしたまはでやむやうあらじ、と故大臣《こおとど》の思ひたまひて、女御の御事をも、ゐたちいそぎたまひしものを、おはせましかば、かくもてひがむる事もなからまし」など、この御事にてぞ、太政大臣《おほきおとど》も恨めしげに思ひきえたへる。姫君の御さまの、いときびはにうつくしうて、箏《さう》の御|琴弾《ことひ》きたまふを、御|髪《ぐし》のさがり、髪《かむ》ざしなどの、あてになまめかしきをうちまもりたまへば、恥ぢらひてすこし側《そば》みたまへるかたはらめ、頰つきうつくしげにて、取由《とりゆ》の手つき、いみじうつくりたる物の心地するを、宮も限りなくかなしと思したり。掻《か》き合はせなど弾きすさびたまひて、押しやりたまひつ。

大臣|和琴《わごん》ひき寄せたまひて、律《りち》の調べのなかなか今めきたるを、さる上手の、乱れて掻《か》い弾きたまへる、いとおもしろし。御前の梢《こずゑ》ほろほろと残らぬに、老御達《おいごたち》など、ここかしこの御|几帳《きちやう》の背後《うしろ》に、かしらを集《つど》へたり。「風の力蓋《けだ》し寡《すくな》し」とうち誦《ず》じたまひて、「琴《きん》の感《かん》ならねど、あやしくものあはれなるタ《ゆふべ》かな。なほ遊ばさんや」とて、秋風楽《しうふうらく》に掻き合はせて、唱歌《さうが》したまへる声いとおもしろければ、みなさまざま、大臣をもいとうつくしと思ひきこえたまふに、いとど添へむとにやあらむ、冠者《くわざ》の君参りたまへり。

現代語訳

太政大臣と内大臣の昇進を披露するための饗宴も終わって、朝廷の行事の準備もなく、のんびりしてきた頃、時雨が降って、荻の葉の上を吹き通る風もしみじみとた情緒である夕暮に、大宮のお部屋に内大臣がおいでになって、姫君もおよこしになって、御琴などお弾かせになられる。大宮はあらゆる楽器の上手でいらっしゃるので、それをどれもみな姫君にご伝授なさる。

(内大臣)「琵琶というものは、女が弾いていると可愛げがないようですが、すぐれた魅力のあるものでございます。しかし今の世に本当の骨法を伝えている人は、めったにいなくなってしまいました。何くれの親王や、源氏といったところでしょうか」などお数え挙げになって、「ご婦人の中では、太政大臣が大堰の山里に隠して住まわせておられる方こそ、たいそう上手と聞いております。名人の子孫ではございますが、末流になって、山賤として賤しい暮らしを長年続けてきた人が、どうしてそんなにすぐれた弾き方ができたのでしょう。あの大臣も、その人のことを、たいそうすぐれた方と思って、そうおっしゃる折々がございます。管弦の方面の才能は、他の芸能と比べると、やはり広くいろいろな人と合奏し、どんな人の相手としても通用するような技術を身につけていくのが、すばらしいのです。ところがその方は独りで練習して上手となったというのだから、滅多にないことです」などとおっしゃって、大宮に琵琶を弾くようおすすめ申し上げると、(大宮)「柱を押さえることさえおっくうになってしまいましてね」とおっしゃるが、見事にお弾きになられる。

(大宮)「その大堰の御方は幸運であることに加えて、やはり信じられないほどに人柄のすぐれた方なのですね。源氏の君が、私がこんなに歳を取るまでお持ちにならなかった女子をお生み申しあげて、しかもその子をわが身のそばに置いてみすぼらしくするのではなく、しっかりした人に預け置く心がけは、文句のつけようのない人だと聞いてございます」など、琵琶を弾く手を時々休めてお話になる。

(内大臣)「女はただ気立てしだいで、世に用いられるものなのでございますな」など、人の噂話をなさって、「私は、弘徽殿の女御を、欠点なく、何ごとも人に劣らぬように成人した、と思ってございましたが、思わぬ人に押しやられる不運を見るにつけ、世は予想もつかぬものと思いました。せめてこの姫君(雲居雁)は、どうにかして思うようになってほしいものです。東宮の御元服がすぐ近づいてまいりましたのを、そちらへと人知れず考えておりましてそのつもりでいたのですが、今お話している幸いな人(明石の君)の腹の后がね(明石の姫君)が、また追いついてまいりました。その人が立ち出でていらっしゃれば、いよいよ張り合う人は滅多になくなってしまうでしょう」とお嘆きになると、(大宮)「どうしてそんなことがありましょう。この家にそうした筋の人が出ないまま終わることはあるまいと、故大臣がお思いになって、弘徽殿女御のご入内のことも、熱心に準備をすすめていらしたのに、故大臣がご存命でいらっしゃったら、こんな筋の通らない目にあうこともなかったでしょうに」など、この立后のことについてだけは、太政大臣(源氏)のことも恨めしげに存じ上げていらっしゃる。姫君(雲居雁)のご様子が、たいそう幼くて可愛らしくて、箏の御琴をお弾きになるのだが、御髪の下がり端や、髪の形などが、品があり優美なのを内大臣がじっとご覧になっておられると、姫君は恥ずかしがって、すこし横を向いてしまわれた横顔のその顔つきが可愛らしげで、左手で弦を押さえる手つきが、たいそう巧みに作った人形のような感じがするのを、大宮もどこまでも愛しいと思っていらっしゃる。掻き合わせなどを形ばかりお弾きになって、箏を向こうへ押しやられた。

内大臣は和琴をお引き寄せになって、律の調べのかえって今風で華やかなのをお弾きになるが、内大臣ほどの名手が、くだけて掻き鳴らしなさるのは、たいそう心にしみて味わい深いものがある。

庭先の梢の葉が和琴の音にあわせるようにほろほろと残らず散り落ちて、年老いた女房たちなどは、あちこちの御几帳の後ろに、頭を集めてい聞き入っている。

(内大臣)「風の力蓋《けだ》し寡《すく》なし」とお口ずさみになって、「琴の感ではありませんが、不思議になんとなく風情ある夕べですね。もっとお弾きになられませんか」といって、姫君の秋風楽に掻き合わせて、旋律を口ずさまれる声がたいそう風情があるので、大宮は、みなさまざまに、内大臣をもたいそう可愛いというお気持ちになっておられると、ますます花を添えようということしてか、冠者の君がまいられたのである。

語句

■大饗 源氏が太政大臣に、右大将が内大臣に任じられた披露の饗宴。 ■荻の上風 「秋はなほ夕まぐれこそただならね荻の上風萩の下露」(義孝集)。 ■琵琶こそ… 女が琵琶を弾く姿について「さるは、女のせむにうたてにくげなる姿したる物なり」(宇津保物語・初秋巻)とある。 ■らうらうじきもの 「らうらうじ」は洗練されている。たくみである。魅力にあふれている。 ■何の親王、くれの源氏 「何くれの」を分割して言った。 ■山里に籠めおゆきたまへる人 源氏が大堰の山里に住まわせている明石の君。 ■物の上手の後 明石の入道は醍醐天皇の手法を伝えて三代目。それを受けた明石の君は親王の手を伝えて二代目(【明石 08】)。 ■末 伝授の末流の意に家運が衰えた意をかける。 ■柱さす 「柱《じゅう》」は琵琶の胴の上に立てて弦を支える部品。フレット。四柱ある。「さす」はそれを押さえて弦を調整すること。 ■老の世に 年取った現在になるまで。 ■やつしゐたらず 「やつす」はみすぼらしい姿をすること。明石の君が姫君を手元に置いたのではそうなってしまうと。 ■やむごとなき人 紫の上。 ■事もなかるべき人 「事」は非難すべき欠点。 ■かつ御物語 時々琵琶を弾く手を休めてお話になるのである。 ■人に劣りては 「人」は暗に梅壺女御をさす。 ■思はぬ人 梅壺女御。弘徽殿女御より後から入内し、中宮の位をさらっていった。 ■この君をだに 内大臣は弘徽殿女御の入内がうまくいかなかったので、雲居雁に望みをたくし、東宮后にしようとする。 ■春宮の御元服 朱雀院の皇子で今年九歳。十一歳の二月に元服。 ■かう言ふ 今話している。明石の君のこと。内大臣は明石の姫君を将来の脅威とみる。 ■后がね かねて后として予定されている人。明石の姫君。 ■追ひすがひぬれ 「すがふ」はすぐ後に続くの意。 ■きしろふ 「軋ろふ・競ろふ」は競争する。 ■さる筋の人 后に立つような人。 ■故大臣 大宮の夫。内大臣の父の太政大臣。昔の左大臣。 ■ゐたち 座ったり立ったりして熱心に奔走するさま。 ■もてひがむる事 筋の通らないこと。弘徽殿女御でなく梅壺女御が立后されたことをさす。 ■この御事にてぞ 大宮は源氏に対して他のことではむしろ味方だが、こと立后に関しては源氏を恨んでいる。 ■きびは 幼い。 ■箏の御琴 十三弦の琴。 ■さがり 左右の横髪を一束、胸の当たりで揃えたもの。 ■取由 弦を左手で押さえて本のほうに引き寄せる技法。 ■いみじうつくりたる物 生身の人間とは思えない、精巧な人形のような可愛さだというのである。 ■掻き合わせ 調子を合わせるための簡単な曲。 ■和琴 六弦の琴。 ■律の調べ 呂の調べに対して、短調で軽快な調べ。「律の調べは、女のもの柔かに掻き鳴らして、簾の内より聞こえたるも、今めきたる物の声なれば…」(【箒木 07】)。 ■御前の梢ほろほろと 庭先の梢の葉が和琴の音色に誘われるように散るのである。 ■かしらを集へたり すばらしい演奏に聞き入っているのである。 ■風の力蓋し寡なし  「落葉ハ微風ヲ俟《ま》チテ以テ隕《お》ツ、風ノ力蓋シ寡シ」(文選・豪士賦序)。葉が落ちるのはそういう時節だからであって風の力で吹き落とされるのではない。女房たちが感涙にむせぶのはこの状況の風情ゆえであって私の琴の腕がすぐれているわけではないの意をふくむ。 ■琴の感ならねど 前注「豪士賦序」に続いて「孟嘗ハ雍門ニ遭ヒテ泣ケリ。琴ノ感ハ以テ未《いまだ》シ、何スレゾ隕《お》チント欲スルヤ、葉ハ烈風ヲ仮ル所ナシ、マサニ堕チントスルノ泣《なみだ》ハ、哀響ヲ繁クスルニタラズ」。中国の七弦の琴の風情ではなく、六弦の和琴の風情だがの意。 ■秋風楽 唐の楽曲が日本風に改作されたもの。 ■唱歌 旋律を口ずさむこと。 ■みなさまざま 大宮は感激して、孫の雲居雁にも、子の内大臣にもいつくしみをおぼえる。 ■冠者の君 冠者は元服したばかりの者。夕霧。

朗読・解説:左大臣光永

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