【少女 12】内大臣、夕霧をもてなしつつ、雲居雁とは距離を置かせる

「こなたに」とて、御几帳隔てて入れたてまつりたまへり。「をさをさ対面もえたまはらぬかな。などかく、この御学問のあながちならん。才《ざえ》のほどよりあまりすぎぬるもあぢきなきわざと、大臣も思し知れることなるを、かくおきてきこえたまふ、やうあらんとは思ひたまへながら、かう籠りおはすることなむ心苦しうはべる」と聞こえたまひて、「時々は異《こと》わざしたまへ。笛の音《ね》にも古ごとは伝はるものなり」とて、御笛奉りたまふ。いと若うをかしげなる音《ね》に吹きたてて、いみじうおもしろければ、御琴どもをばしばしとどめて、大臣、拍子《はうし》おどろおどろしからずうち鳴らしたまひて、「萩《はぎ》が花ずり」などうたひたまふ。「大殿も、かやうの御遊びに心とどめたまひて、いそがしき御|政《まつりごと》どもをばのがれたまふなりけり。げに、あぢきなき世に、心のゆくわざをしてこそ、過ぐしはべりなまほしけれ」などのたまひて、御|土器《かはらけ》まゐりたまふに、暗うなれば、御殿油《おほむとなぶら》まゐり、御|湯漬《ゆづけ》くだものなど、誰も誰も聞こしめす。姫君はあなたに渡したてまつりたまひつ。しいてけ遠くもてなしたまひ、御|琴《こと》の音《ね》ばかりをも聞かせたてまつらじと、今はこよなく隔てきこえたまふを、「いとほしきことありぬべき世なるこそ」と、近う仕うまつる大宮の御方のねび人どもささめきけり。

現代語訳

内大臣は、「こちらへ」と、御几帳で姫君とは隔てて若君をお招き入れ申される。(内大臣)「めったにお目にかかることもできなくなりましたな。どうしてこう、このご学問に熱心でいらっしゃるのでしょう。身分の程度にくらべてあまりに学問が過ぎるのもつまりないことだと、大臣(源氏)もおわかりのはずですのに、このようにお仕込みなさることは、わけがあろうとは思いますが、貴方がこうして引き込もってばかりいらっしゃるのが、おいたわしく存じます」と申されて、(内大臣)「時々は別のこともなさい。笛の音にも昔の聖賢の教えは通っているものですよ」といって、御笛を差し上げなさる。

若君はそれを若々しく風情ある音に吹き立てて、たいそう興が乗るので、ご自分たちの御琴をしばらく止めて、大臣が拍子を仰々しくないていどにお打ちになって、「萩が下ずり」などとお歌いになる。

(内大臣)「大殿(源氏)も、このような管弦の御遊びにご興味が深く、いそがしいご政務からおのがれになっていらっしゃるのでしたな。まことに、つまらない世の中に、気乗りすることをして過ごしたいものです」などとおっしゃって、お盃をお取りになるうちに、暗くなったので、燈火をつけて、御湯漬け、果物など、誰も誰も召し上がる。姫君はあちらのお部屋にお移しになられた。あえて遠くにお引き離しになり、御琴の音だけですらお聞かせ申すまいと、今ではむやみにお二人をお隔てになるのを、「今にお気の毒なことが起きるだろうお二人のご関係なのですが」と、おそば近くにお仕えしている大宮の御方の年配の女房たちは、ささやきあっているのだった。

語句

■才のほどより… 同じ趣旨のことを源氏が故桐壺院の言葉として語っている(【絵合 10】)。 ■あぢきなきわざ 若死にするといった事態をもたらす。 ■異わざ 学問以外の気晴らし。 ■古ごと 昔の聖賢の教え。「子の曰わく、詩に興り、礼に立ち、楽に成る」(論語・泰伯第八)。 ■御琴ども 内大臣は和琴を、雲居雁は箏の琴を弾いていたがそれを一時やめて。 ■拍子おどろおどろしからず… 笏を打って拍子を取る。 ■萩が下ずり 「更衣せむや、さきむだちや、わがきぬは、野原篠原、萩の花ずりや、さきむだちや」(催馬楽・更衣《ころもがえ》)。 ■太政大臣 源氏。夕霧の父。 ■湯漬 米をむしたものに湯を注いで柔らかくしたもの。 ■今は 互いに十歳をすぎた今では。そして雲居雁の東宮入内を考えている今では。 ■いとほしきこと 二人の仲が引き裂かれるような事態。 ■近う仕うまつる 雲居雁の近くにも仕えている。 ■ねび人 年配の女房。

朗読・解説:左大臣光永

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