【梅枝 12】夕霧縁談の噂 内大臣の困惑 雲居雁の動揺

御文は、思ひあまりたまふをりをり、あはれに心深きさまに聞こえたまふ。「誰《た》がまことをか」と思ひながら、世馴れたる人こそ、あながちに人の心をも疑ふなれ、あはれと見たまふふし多かり。「中務宮《なかつかさのみや》なん、大殿《おほとの》にも御気色たまはりて、さもやと思しかはしたなる」と人の聞こえければ、大臣《おとど》はひき返し御胸ふたがるべし。忍びて、「さることをこそ聞きしか。情《なさけ》なき人の御心にもありけるかな。大臣の、口入れたまひしに執念《しふね》かりきとて、ひき違《たが》へたまふなるべし。心弱くなびきても人笑へならましこと」など、涙を浮けてのたまへば、姫君、いと恥づかしきにも、そこはかとなく涙のこぼるれば、はしたなくて背《そむ》きたまへる、らうたげさ限りなし。「いかにせまし。なほや進み出でて気色をとらまし」など、思し乱れて立ちたまひぬるなごりも、やがて端近《はしちか》うながめたまふ。「あやしく心おくれても進み出でつる涙かな。いかに思しつらん」など、よろづに思ひゐたまへるほどに、御文あり。さすがにぞ見たまふ。こまやかにて、

つれなさはうき世のつねになりゆくを忘れぬ人や人にことなる

とあり。けしきばかりもかすめぬつれなさよと思ひつづけたまふはうけれど、

かぎりとて忘れがたきを忘るるもこや世になびく心なるらむ

とあるを、あやし、とうち置かれず、かたぶきつつ見ゐたまへり。

現代語訳

お手紙は、男君(夕霧)が思いあまった折々に、しみじみと情深いように書いて、差し上げなさる。姫君(雲居雁)は、「誰がまことか…誰を誠意ある人として頼りにすればよいのか」と思いながら、世間馴れした人であれば、むやみに男の心をも疑うのだが、この姫君はそうでないので、しみじみと胸を打たれて御覧になることが多いのだ。

「中務宮《なかつかさのみや》が、大殿(源氏)にも御意向をうかがって、ご結婚の件を、双方でお考えになっていらっしゃるらしい」と女房が申し上げたので、内大臣はまたあらためて御胸をかきたてられるだろう。内大臣はひそかに姫君に対して、「そういうことを聞いたのですよ。情ない男君(夕霧)の御心ではございますよ。大臣(源氏)が、貴女方の結婚の話をなさった時に、私がしつこく反対したからといって、他人と結婚する方向に話をすすめていらっしゃるらしい。かといっていまさら心弱く折れて、むこうの意向に屈したところで、物笑いの種にもなろうし」など、涙を浮かべておっしゃると、姫君は、ひどく恥ずかしい中にも、何とはなしに涙がこぼれるので、居心地が悪くてお顔をそむけなさる、その可愛らしさは限りもない。(内大臣)「どうしたものか。やはりこちらから申し出て、先方の意向をさぐってみようか」など、内大臣が思い悩んでお立ち去りになった後も、そうした話の気分が残っていて、姫君はそのまま部屋の端近くでぼんやり物思いにふけっていらっしゃる(雲居雁)「妙なことに、心より先に涙が流れ出てしまって。父君はどう思われたかしら」など、あれこれ思案していらっしゃるところに、お手紙が届く。やはり御覧になる。細々と書いてあって、

(夕霧)つれなさは……

(貴女の冷淡さは世間のふつうの人のそれと同じになってゆきますが、一方貴女のことを忘れられない私は、世間の人とは違っているのでしょうか)

とある。他との結婚については、おくびにも出さない冷淡さよと、思いつづけなさることも悲しいけれど、

(雲居雁)かぎりとて……

(こうする他ないといって、忘れがたい私のことを忘れてしまうのも、これぞ世に迎合する貴方のお心なのでしょうね)

とあるのを、男君(夕霧)は、「どういうことなのだ」と文を下に置くことができず、首をかしげかしげ、ごらんになっていらっしゃる。

語句

■誰かまことか 「いつはりと思ふものから今さらに誰がまことをかわれは頼まむ」(古今・恋四 読人しらず)。 ■中務宮 宮から源氏へ、夕霧への結婚話を持ち出している(【梅枝 11】)。 ■ひき返し 雲居雁の入内を断念したことに加えて、夕霧との結婚もご破算になってしまいそうで、内大臣はあらためて心打たれる。 ■ひき違へたまふ 他との結婚話をすすめること。 ■そこはかとなく なんとはなしに。特にこれといった原因もないのに。 ■気色をとらまし 「気色をとる」は先方の意向をさぐる。 ■なごり ここまでの会話の雰囲気が内大臣が立ち去った後も残っていること。 ■心おくれても進み出でつる涙 心より先に涙が流れること。ふつうは悲しい気持ちがあってそれから涙が流れるが、気持ちよ先に涙が流れる。 ■つれなさは… 「浮世」に「憂き世」をかける。「忘れぬ人」は夕霧。「忘れぬ」対象は雲居雁。 ■けしきばかりもかすめぬ 結婚の噂についてまったく触れていないこと。 ■かぎりとて… 「かぎり」はそうする他ないもの。夕霧が世間に迎合して中務宮の娘との縁談をすすめていることを咎めた歌。 ■あやし 夕霧は中務宮の姫君との縁談のことは知らないので、「何を言ってるのか」と不審である。

朗読・解説:左大臣光永