【絵合 09】帝の御前での絵合 源氏の絵日記、他を圧倒

その日と定めて、にはかなるやうなれど、をかしきさまにはかなうしなして、左右《ひだりみぎ》の御絵ども参らせたまふ。女房のさぶらひに御座《おまし》よそはせて、北南方々《きたみなみかたがた》分かれてさぶらふ。殿上人は後涼殿《こうらうでん》の簀子《すのこ》におのおの心寄せつつさぶらふ。左は紫檀《したん》の箱に蘇芳《すはう》の華足《けそく》、敷物には紫地の唐《から》の錦、打敷《うちしき》は葡萄染《えびぞめ》の唐《から》の綺《き》なり。童《わらは》六人、赤色に桜|襲《がさね》の汗袗《かざみ》、衵《あこめ》は紅《くれなゐ》に藤|襲《がさね》の織物なり。姿用意などなべてならず見ゆ。右は沈《ぢん》の箱に浅香《せんかう》の下机《したづくゑ》、打敷は青地《あをぢ》の高麗《こま》の錦、あしゆひの組、華足《けそく》の心ばへなど今めかし。童、青色に柳の汗袗、山吹襲の衵着たり、みな御前にかき立つ。上の女房前後《まへしりへ》と装束《さうぞ》き分けたり。

召しありて、内大臣《うちのおとど》権中納言参りたまふ。その日、帥宮《そちのみや》も参りたまへり。いとよしありておはするうちに、絵を好みたまへば、大臣の下にすすめたまへるやうやあらむ、ことごとしき召しにはあらで、殿上におはするを、仰せ言ありて、御前に参りたまふ。この判《はん》仕うまつりたまふ。いみじうげに描きつくしたる絵どもあり。さらにえ定めやりたまはず。例の四季の絵も、いにしへの上手どものおもしろき事どもを選びつつ筆とどこほらず描きながしたるさま、たとへん方なしと見るに、紙絵は限りありて、山水《やまみず》のゆたかなる心ばへをえ見せ尽くさぬものなれば、ただ筆の飾り、人の心に作りたてられて、今の浅はかなるも昔の跡に恥なく、にぎははしくあなおもしろと見ゆる筋はまさりて、多くの争ひども、今日はかたがたに興あることも多かり。

朝餉《あさがれひ》の御障子《みさうじ》を開けて、中宮もおはしませば、深う知ろしめしたらむと思ふに、大臣もいと優《いう》におぼえたまひて、所どころの判ども心もとなきをりをりに、時々さしいらへたまひけるほどあらまほし。定めかねて夜《よ》に入りぬ。

左はなほ数ひとつあるはてに、須磨の巻出で来たるに、中納言の御心騒ぎにけり。あなたにも心して、はての巻は心ことにすぐれたるを選《え》りおきたまへるに、かかるいみじきものの上手の、心の限り思ひ澄まして静かに描きたまへるは、たとふべき方なし。親王《みこ》よりはじめたてまつりて、涙とどめたまはず。その世に、心苦し悲しと思ほししほどよりも、おはしけむありさま、御心に思ししことども、ただ今のやうに見え、所のさま、おぼつかなき浦々磯の隠れなく描きあらはしたまへり。草《さう》の手に仮名の所どころに書きまぜて、まほのくはしき日記《にき》にはあらず、あはれなる歌などもまじれる、たぐひゆかし。誰も他《こと》ごと思ほさず、さまざまの御絵の興、これにみな移りはてて、あはれにおもしろし。よろづみなおしゆづりて、左勝つになりぬ。

現代語訳

その日と定めて、にわかではあるようだが、趣ふかくあっさりと場を整えて、左方、右方それぞれのさまざまな御絵を帝の御前にまいらせた。

女房の控所である大盤所に帝の御座をご用意させて、北と南にそれぞれ分かれて控える。殿上人は後涼殿の簀子にそれぞれ自分が支持する方に心を寄せつつ控えている。

左は紫檀の箱に蘇芳の華足、敷物には紫地の唐の錦、打敷は葡萄染めの唐の綺である。女童《めのわらわ》六人が、赤色の袿《うちき》に桜襲《さくらがさね》の汗袗《かざみ》、衵《あこめ》は紅に藤襲の織物である。姿、心用意など並々でなく見える。

右は沈《じん》の箱に浅香《せんこう》の下机《したづくえ》、打敷は青地の高麗《こま》の錦、足結いの組紐、華足の趣向など今風で華やかである。女童は青色の袿《うちき》に柳の汗袗、山吹襲の衵を着て、みな御前に絵の箱をならべ立てる。帝つきの女房たちが前後に、装束の色も分けて控えている。

帝のお召しがあって、源氏の内大臣と権中納言が参内される。その日、帥宮も参内された。たいそう趣味がゆたかでいらっしゃる中にも、とくに絵を好まれるので、源氏の大臣が内々におすすめになったのであろうか、表立ったお召しではなく、たまたま殿上にいらしたのを、帝からの仰せ言があって、御前に参られたのだ。この絵合の判者をおつとめになる。

どれも見事で、なるほど筆の限り描き尽くした絵が多くある。まったく優劣の判定がおできにならない。例の四季の絵も、昔の名人たちがおもしろい主題を選んでは筆もとどこおらず描き流したありさまは、たとえようもなく素晴らしいと見えるが、紙絵は紙幅に限りがあって、山水のゆたかな意趣を十分に表し尽くせぬものだから、右方の、ただ筆の技巧や絵師の趣向に作りたてられて、今風の意趣の浅い絵も昔のにひけを取らず、にぎやかな感じで、まあ面白いと見える筋はまさっていて、多くの議論が、今日は左右双方に興深いことも多いのである。

朝餉《あさがれい》の間の御障子を開けて、中宮(藤壺)もおいでになるので、きっと中宮は絵について深い造詣がおありだろうと思うにつけ、源氏の大臣もたいそう心強くお思いになって、所々判定があやしい折々に、時々源氏の大臣が口をはさんでお答えなさるその様子は見事である。勝敗を決しかねたまま夜に入った。

左はまだ番数がひとつ残っているという最後になって、須磨の巻が出てきたので、中納言の御心は動揺した。あちらの右方でも心して、最後の巻は格別に意趣すぐれた絵を選び残しておられたのに、こんな見事な物の上手が、心の限り思いすまして静かにお描きになったのは、たとえようもない。帥宮をはじめ人々は皆、涙をおとどめにならない。その当時、須磨に下向した源氏の君のことを、都の人々がお気の毒だ、悲しいとお思いになっていらした頃よりも、源氏の君がそこでお暮らしになったありさまや、御心にお思いになったさまざまのことも、まさに目前のことのように思われ、その地の景色、実際には見たことのない浦々や磯の景色を漏れなく描きあらはしていらっしゃる。

草書体の漢字に仮名を所々に書きまぜて、正式の詳しい日記ではなく、しみじみ胸を打つ歌などもまじったもので、他のものも読みたくなる。

もう誰も他の絵のことはお思いにならず、いろいろな絵に対する興味もこの絵日記に皆すっかり移ってしまって、しみじみ風情があるおもしろさである。

ぜんぶ皆これに譲って、左が勝つことになった。

語句

■その日と定めて 絵合の日取りを。後の記述から三月二十日あまりと知れる。 ■女房のさぶらひ 清涼殿における女房の控所である、大盤所。 ■後涼殿 清涼殿の西隣。 ■左は紫檀の… 以下、左右の調度具合は天徳内裏歌合のそれと似る。 ■蘇芳 黒みを帯びた赤色。またその色の木材。 ■華足 机などの足の先端を巻き返して蕨手としたもの。またその机。 ■敷物 華足の下に敷く敷物。 ■打敷 華足の上に敷くもの。 ■葡萄染 薄紫色。 ■桜襲 表が白で裏が赤または葡萄染。 ■汗袗 童女が着る薄い上着。 ■衵 童女が表衣(うえのきぬ)と肌着との間に着るもの。 ■沈の箱に浅香の下机 「沈」も「浅香」も香木の一種。 ■あしゆひの組 打敷の端を華足の足にゆい着ける組紐。 ■柳 表が白で裏が青。 ■山吹襲 表が朽葉色で裏が黄、または表が黄で裏が紅。 ■帥宮 源氏の腹違いの弟。蛍巻における逸話から蛍兵部卿宮とよばれる。 ■例の四季の絵 朱雀院が斎宮の女御に贈った絵(【絵合 08】)。 ■紙絵は限りありて 紙に描く絵は屏風絵のようにのびのび描けず紙幅に限界があるということ。 ■今の浅はかなるも 左方(源氏方=斎宮の女御方)は古風に、右方(権中納言方=弘徽殿女御方)は今風に行く。 ■朝餉 台盤所の北隣にある朝餉の間。天皇が略式の食事をとる部屋。 ■深う知ろしめたらむ 藤壺が絵について造詣が深いことをいう。 ■優におぼえたまひて 藤壺の絵についての造詣の深さを、源氏はすぐれたことと見て、頼もしく思う。 ■かかるいみじき物の上手 源氏のこと。 ■その世 源氏が須磨・明石で謫居していた頃。 ■心苦し悲しと 須磨明石で謫居中の源氏を、「心苦し」「悲し」と思っていたのは、藤壺や権中納言、帥宮はじめ都の人々に共通した体験であった。源氏の絵が感動を呼び起こしたのは技量がすぐれていただけでなく、そういう記憶にも訴えかけたからである。 ■まほのくはしき日記 正式の詳しい日記。漢文で書いた日記をさす。 ■たぐひゆかし このシリーズの他のものも見たくなると。 ■

朗読・解説:左大臣光永

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