【若菜上 17】源氏、女三の宮と比べて紫の上のよさを実感
今日は、宮の御方に昼渡りたまふ。心ことにうち化粧《けさう》じたまへる御ありさま、今見たてまつる女房などは、まして見るかひあり、と思ひきこゆらんかし。御|乳母《めのと》などやうの老いしらへる人々ぞ、「いでや。この御ありさま一《ひと》ところこそめでたけれ、めざましき事はありなむかし」とうちまぜて思ふもありけり。
女宮は、いとらうたげに幼きさまにて、御しつらひなどのことごとしく、よだけく、うるはしきに、みづからは何心もなくものはかなき御ほどにて、いと御|衣《ぞ》がちに、身もなくあえかなり。ことに恥ぢなどもしたまはず、ただ児《ちご》の面嫌《おもぎら》ひせぬ心地して、心やすくうつくしきさましたまへり。院の帝は、男《を》々しくすくよかなる方の御|才《ざえ》などこそ、心もとなくおはしますと世人《よひと》思ひためれ、をかしき筋になまめき、ゆゑゆゑしき方《かた》は人にまさりたまへるを、などてかくおいらかに生《お》ほしたてたまひけむ。さるは、いと御心とどめたまへる皇女《みこ》と聞きしを」と思ふもなま口惜しけれど、憎からず見たてまつりたまふ。ただ聞こえたまふままに、なよなよとなびきたまひて、御|答《いら》へなどをも、おぼえたまひけることは、いはけなくうちのたまひ出でて、え見放たず見えたまふ。昔の心ならましかば、うたて心おとりせましを、今は、世の中を、みなさまざまに思ひなだらめて、「とあるもかかるも、際《きは》離るることは難《かた》きものなりけり。とりどりにこそ多うはありけれ、《。》よその思ひはいとあらまほしきほどなりかし」と思すに、さし並び目|離《か》れず見たてまつりたまへる年ごろよりも、対《たい》の上《うへ》の御ありさまぞなほあり難く、我ながらも生《お》ほしたてけり、と思す。一夜《ひとよ》のほど、朝《あした》の間《ま》も恋しくおぼつかなく、いとどしき御心ざしのまさるを、などかくおぼゆらん、とゆゆしきまでなむ。
現代語訳
今日は、院(源氏)は、宮(女三の宮)の御方に夜おいでになる。ことに念入りにお化粧をなさっている御ようすを、今回はじめて拝見する女房などは、院にお仕え馴れしている女房たちにもまして、ご奉公のしがいがあると思い申しげているだろう。御乳母などといった年老いた人々は、「さあどうでしょう。院お一人のご様子こそ素晴らしいですが、今後やっかいなことも起こってるにちがいない」と喜びの中にも不安をまじえて思う者もあるのだった。
女宮(女三の宮)は、まことにあどけなく子供っぽいさまで、御調度品などは仰々しく、堂々として、格式ばっているのに、ご自身は無邪気で、なんとなく頼りないお育ちぶりで、まことに御衣ばかりで、お体がないような、弱々しく華奢な御ようすである。べつだんお恥ずかしがになるわけでもなく、ただ子供が人見知りをしない感じで、安心して可愛らしげなご様子をしていらっしゃった。(源氏)「院の帝(朱雀院)は、男性的な、実務方面の御才覚においては、頼りなくていらっしゃると世間の人は思っているようであるが、趣味の方面では優雅であるし、教養の方面でも人よりすぐれていらっしゃるのに、どうしてこうおっとりとお育てになられたのだろう。実際、たいそう御愛情を注いでお育てになられた女宮だとうかがっていたのに」と思うにつけても、女宮(女三の宮)が高いご身分であるだけに何となく残念ではあるが、それでも院(源氏)は、女宮のことを憎からずお思い申しあげなさる。女宮は、院が申しあげられるとおりに、ひたすら素直にお従いになられ、お返事などをも、お思いになられたことは、無邪気にそのまま口にお出しになり、とてもお見捨てにはなれないご様子に拝見される。院(源氏)が昔のお気持ちのままであられたら、残念だとがっかりされたろうが、今は、世の中は、みなさまざまだと、ゆったりお考えになっておられるので、「とにもかくにも、ずば抜けて優れている人は滅多にいないものである。それぞれ長所短所はまことに多いものだ。この女宮とて、他から考えれば、とてもありえないくらいに素晴らしいのだから」とお思いになられるにつけ、いつもお側近くで拝見していらしたこれまでの長年にもまして、対の上(紫の上)のお人柄は、やはり世にまたとないものに思われて、我ながらよくぞ育て上げたものだ、とお思いになる。一夜の間、朝の間も恋しく気がかりで、ますますご愛情がまさるのを、どうしてこんなにも上(紫の上)のことが恋しく思われるのだろうと、不吉なまでにお考えになる。
語句
■今日は 新婚三日間は夜に通い、今日はじめて昼訪れる。女御入内の際は五日目に露顕《とこあらわし》がある。それにならったか。 ■まして 源氏にふだんお仕えしている女房たちにもまして。 ■御乳母 女三の宮つきの乳母。 ■いでや 乳母は女三の宮の幼稚さを知っているので、それがもとで源氏と不仲になり、六条院の御方々との間にも不和が生じると予感している。後にそれは的中する。 ■ありけり 「けり」は係り結びの結びなので「ける」となるべきところ。 ■女宮は 皇女という立派な立場と本人の幼稚さの落差。 ■よだけく 「弥猛し」は仰々しい。おおげさだ。ものものしい。 ■みづからは 女三の宮は十四歳。結婚適齢期のわりに幼稚である。 ■いと御衣がち 衣ばかりが立派で小さな身体がその中に埋もれているような状態。 ■世の中を 源氏も年をとり人物評もおおらかになってきた。「心ばせぞかたうはべるかし。それも、とりどりに、いとわろきもなし。また、すぐれてをかしう、心おもく、かどゆゑも、よしも、うしろやすさも、みな具することはかたし。さまざま、いづれをかとるべきとおぼゆるぞおほくはべる」(紫式部日記)。 ■よその思ひは 女三の宮は皇女であるから、いくら幼稚といっても、身分の面では最高の妻である。 ■対の上の御ありさま 女三の宮の幼稚さとの比較で、紫の上の人柄のすばらしさが引き立つ。 ■ゆゆしき 源氏の紫の上に対する愛情がいや増しに増す。それが不吉に感じるのは、将来それが失われることが予感されるから。