【若菜上 18】朱雀院、山寺に移り、源氏と紫の上に消息

院の帝は、月の中《うち》に御寺《みてら》に移ろひたまひぬ。この院に、あはれなる御|消息《せうそこ》ども聞こえたまふ。姫宮の御事はさらなり、わづらはしく、いかに聞くところやなど、憚《はばか》りたまふことなくて、ともかくも、ただ御心にかけてもてなしたまふべくぞ、たびたび聞こえたまひける。されど、あはれにうしろめたく、幼くおはするを思ひきこえたまひけり。

紫の上にも、御消息ことにあり。「幼き人の、心地なきさまにて移ろひものすらんを、罪なく思しゆるして、後見《うしろみ》たまへ。尋ねたまふべきゆゑもやあらむとぞ。

背《そむ》きにしこの世にのこる心こそ入るやまみちのほだしなりけれ

闇をはるけで聞こゆるも、をこがましくや」とあり。大殿《おとど》も見たまひて、「あはれなる御消息を。かしこまり聞こえたまへ」とて、御使にも、女房して、土器《かはらけ》さし出でさせたまひて、強《し》ひさせたまふ。御返りはいかがなど、聞こえにくく思したれど、ことごとしくおもしろかるべきをりの事ならねば、ただ心を述べて、

背《そむ》く世のうしろめたくはさりがたきほだしをしひてかけな離れそ

などやうにぞあめりし。女の御|装束《さうぞく》に細長《ほそなが》添へてかづけたまふ。御手などのいとめでたきを、院御覧じて、何ごともいと恥づかしげなめるあたりに、いはけなくて見えたまふらむこと、いと心苦しう思したり。

現代語訳

院の帝(朱雀院)は、その月のうちに御寺にお移りになった。こちらの六条院(源氏)に、しみじみ御心を尽されたお手紙を何通も差し上げなさる。姫宮(女三の宮)の御ことは言うまでもなく、「わずらわしいこととお考えになって、私がどうお思うだろうかなど、ご遠慮なさらず、どのようにでも、ただ貴方の御心にかけて姫宮(女三の宮)をおもてなしください」と、たびたびご連絡なさった。朱雀院はしかし、女宮が幼くていらっしゃることを、しみじみと気がかりなことに思い申されるのだった。

紫の上にも、朱雀院からお手紙が特別にあった。(朱雀院)「幼い人が、何のわきまえもないようすで、そちらに移り住みましたことを、罪のないことと大目に御覧になって、お世話なさってください。お目にかけてくださってもよい縁故だとも思いまして。

(朱雀院)背きにし……

(背きはてた俗世間に、まだ残っている娘に対する親心こそ、仏の道に入っていく時の枷となるものでしょう)

子を思う親の心の闇を晴らすこともできないまま、貴女にこんなお願いを申しあげることを、愚かだとお思いでしょうね」とある。大殿(源氏)もこのお手紙を御覧になり、「しみじみとありがたいお手紙をくださったものだ。謹んでお引き受けする由を申しあげなさい」とおっしゃって、御使にも、女房を介して、盃をおすすめなさって、強いておすすめになる。ご返事はどうしたものかと、上(紫の上)は、申しあげにくくお思いになられたが、大げさに風流めいた書き方をしなければならない折の事でもないので、ただ素直に気持ちを述べて、

(紫の上)背く世の……

(背いた俗世間のことが御気になるのでしたら、捨てがたい姫宮をあえてお遠ざけになられますな)

などといったようにお書きになられたようだ。上(紫の上)は、女の御装束に細長を添えて使者の肩におかけになる。上(紫の上)の御手跡などがたいそうすばらしいのを、朱雀院は御覧になって、万事、あの御方(紫の上)はたいそうご立派であられるので、女宮はさぞ子供っぽく見られていらっしゃるだろうことが、ひどく心苦しいとお思いになる。

語句

■月の内 女三の宮の降嫁と同じ二月中。 ■御寺 前に「西山なる御寺造りはてて」(【若菜上 01】)とあった。仁和寺を想定。 ■ただ御心にかけて 朱雀院は源氏が女三の宮の養育を断りづらいようにジワジワ攻めていく。 ■尋ねたまふべきゆゑもや 女三の宮と紫の上は従姉妹であることをいう。 ■あらむとぞ 下に「あらむ」を補って読む。 ■背きにし… 「世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ」(古今・雑下 物部吉名)を本歌とする。 ■闇 「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰・雑一 藤原兼輔)。 ■をこがましくや 下に「あらむ」を補い読む。 ■御使 朱雀院の文を運んだ使者。 ■御返りはいかが 上皇が直接紫の上に文を送るのは異例のこと。恐縮して返事にこまる。 ■背く世の… 「さりがたきほだし」はこの世に引き止めるもので、女三の宮のこと。朱雀院に対する返事としては無礼すぎるようであるが、歌なので直接批判めいた感じは中和されている。 ■女の御装束 裳・唐衣など。 ■細長 女性の平服。 ■かづけたまふ 主語は源氏か紫の上か不明瞭。

朗読・解説:左大臣光永