【若菜上 19】源氏、二条宮を訪ね朧月夜に逢う

今はとて、女御更衣たちなど、おのがじし別れたまふも、あはれなることなむ多かりける。尚侍《ないしのかむ》の君は、故后《こきさい》の宮《みや》のおはしましし二条宮にぞ住みたまふ。姫宮の御事をおきては、この御事をなむ、かへりみがちに帝も思したりける。尼《あま》になりなむと思したれど、かかる競《きほ》ひには、慕ふやうに心あわたたしと諌めたまひて、やうやう仏の御事などいそがせたまふ。

六条の大殿《おとど》は、あはれに飽かずのみ思してやみにし御あたりなれば、年ごろも忘れがたく、いかならむをりに対面《たいめ》あらむ、いま一たびあひ見て、その世のことも聞こえまほしくのみ思しわたるを、かたみに世の聞き耳も憚《はばか》りたまふべき身のほどに、いとほしげなりし世の騒ぎなども思し出でらるれば、よろづにつつみ過ぐしたまひけるを、かうのどやかになりたまひて、世の中を思ひしづまりたまふらんころほひの御ありさまいよいよゆかしく心もとなければ、あるまじきこととは思しながら、おほかたの御とぶらひにことつけて、あはれなるさまに常に聞こえたまふ。若々しかるべき御あはひならねば、御返りも時々につけて聞こえかはしたまふ。昔よりもこよなくうち具《ぐ》し、ととのひはてにたる御けはひを見たまふにも、なほ忍びがたくて、昔の中納言の君のもとにも、心深きことどもを常にのたまふ。

かの人のせうとなる和泉前司《いずみのさきのかみ》を召し寄せて、若々しくいにしへに返りて語らひたまふ。「人づてならで、物越しに聞こえ知らすべきことなむある。さりぬべく聞こえなびかして、いみじく忍びて参らむ。今はさやうの歩《あり》きもところせき身のほどに、おぼろけならず忍ぶべきことなれば、そこにもまた人には漏らしたまはじと思ふに、かたみにうしろやすくなむ」とのたまふ。

尚侍《かむ》の君、「いでや。世の中を思ひ知るにつけても、昔よりつらき御心をここら思ひつめつる年ごろのはてに、あはれに悲しき御事をさしおきて、いかなる昔語《むかしがたり》をか聞こえむ、げに人は漏り聞かぬやうありとも、心の問はむこそいと恥づかしかるべけれ」と、うち嘆きたまひつつ、なほさらにあるまじきよしをのみ聞こゆ。

「いにしへ、わりなかりし世にだに、心かはしたまはぬことにもあらざりしを。げに背きたまひぬる御ためうしろめたきやうにはあれど、あらざりし事にもあらねば、今しもけざやかに浄《きよ》まはりて、立ちにしわが名、今さらに取り返したまふべきにや」と思し起こして、この信太《しのだ》の森を道のしるべにて参でたまふ。

女君には、「東《ひむがし》の院にものする常陸《ひたち》の君の、日ごろわづらひて久しくなりにけるを、ものさわがしき紛れにとぶらはねば、いとほしくてなむ。昼などけざやかに渡らむも便《びん》なきを、夜《よ》の間《ま》に忍びてとなむ思ひはべる。人にもかくとも知らせじ」と聞こえたまひて、いといたく心|化粧《げさう》したまふを、例はさしも見えたまはぬあたりを、あやし、と見たまひて、思ひあはせたまふこともあれど、姫宮の御事の後《のち》は、何ごとも、いと過ぎぬる方のやうにはあらず、すこし隔つる心添ひて、見知らぬやうにておはす。

その日は、寝殿《しんでん》へも渡りたまはで、御文書きかはしたまふ。薫物《たきもの》などに心を入れて暮らしたまふ。宵《よひ》過ぐして、睦《むつ》ましき人のかぎり、四五人ばかり、網代車《あじろぐるま》の昔おぼえてやつれたるにて出でたまふ。和泉守《いづみのかみ》して御|消息《せうそこ》聞こえたまふ。かく渡りおはしましたるよし、ささめき聞こゆれば、驚きたまひて、「あやしく。いかやうに聞こえたるにか」とむつかりたまへど、「をかしやかにて帰したてまつらむに、いと便《びん》なうはべらむ」とて、あながちに思ひめぐらして入れたてまつる。御とぶらひなど聞こえたまひて、「ただここもとに。物越しにても。さらに昔のあるまじき心などは、残らずなりにけるを」と、わりなく聞こえたまへば、いたく嘆く嘆くゐざり出でたまへり。さればよ、なほけ近《ぢか》さは、とかつ思さる。かたみにおぼろけならぬ御みじろきなれば、あはれも少なからず。東《ひむがし》の対《たい》なりけり。辰巳《たつみ》の方《かた》の廂《ひさし》に据《す》ゑたてまつりて、御障子《みさうじ》のしりは固《かた》めたれば、「いと若やかなる心地もするかな。年月のつもりをも、まぎれなく数へらるる心ならひに、かくおぼめかしきは、いみじうつらくこそ」と恨みきこえたまふ。

夜いたく更《ふ》けゆく。玉藻《たまも》に遊ぶ鴛鴦《をし》の声々など、あはれに聞こえて、しめじめと人目少なき宮の内のありさまも、さも移りゆく世かな、と思しつづくるに、平中《へいちゆう》がまねならねど、まことに涙もろになむ。昔に変りておとなおとなしくは聞こえたまふものから、これをかくてやと引き動かしたまふ。

年月をなかにへだてて逢坂《あふさか》のさもせきがたく落つる涙か

女、

涙のみせきとめがたき清水にて行き逢《あ》ふ道ははやく絶えにき

などかけ離れ聞こえたまへど、いにしへを思し出づるも、誰《たれ》により多うはさるいみじきこともありし世の騒ぎぞは、と思ひ出でたまふに、げにいま一《ひと》たびの対面《たいめ》はありもすべかりけり、と思し弱るも、もとよりづしやかなるところはおはせざりし人の、年ごろはさまざまに世の中を思ひ知り、来《き》し方《かた》をくやしく、公私《おほやけわたくし》のことにふれつつ、数もなく思しあつめて、いといたく過ぐしたまひにたれど、昔おぼえたる御|対面《たいめん》に、その世の事も遠からぬ心地して、え心強くももてなしたまはず。なほらうらうじく、若う、なつかしくて、ひとかたならぬ世のつつましさをもあはれをも、思ひ乱れて、嘆きがちにてものしたまふ気色など、今はじめたらむよりもめづらしくあはれにて、明けゆくもいと口惜《くちを》しくて、出でたまはむ空もなし。

朝ぼらけのただならぬ空に、百千鳥《ももちどり》の声もいとうららかなり。花はみな散りすぎて、なごりかすめる梢《こずゑ》の浅緑なる木立《こだち》、昔、藤の宴《えん》したまひし、このころのことなりけりかしと思し出づる。年月の積もりにけるほども、そのをりのこと、かきつづけあはれに思さる。中納言の君、見たてまつり送るとて、妻戸《つまど》押し開けたるに、たち返りたまひて、「この藤よ、いかに染めけむ色にか。なほえならぬ心添ふにほひにこそ。いかでかこの蔭《かげ》をば立ち離るべき」と、わりなく出でがてに思しやすらひたり。山際《やまぎは》よりさし出づる日のはなやかなるにさしあひ、目も輝《かかや》く心地する御さまの、こよなくねび加はりたまへる御けはひなどを、めづらしくほど経ても見たてまつるは、まして世の常ならずおぼゆれば、「さる方にてもなどか見たてまつり過ぐしたまはざらむ。御|宮仕《みやづかへ》にも限りありて、際《きは》ことに離れたまふこともなかりしを、故宮のようつに心を尽くしたまひ、よからぬ世の騒ぎに、軽々《かるがる》しき御名さへ響きてやみにしよ」など、思ひ出でらる。なごり多く残りぬらん御物語のとぢめは、げに残りあらせまほしきわざなめるを、御身を心にえまかせたまふまじく、ここらの人目もいと恐ろしくつつましければ、やうやうさし上《あが》りゆくに、心あわたたしくて。廊の戸に御車さし寄せたる人々も、忍びて声《こわ》づくりきこゆ。

人召して、かの咲きかかりたる花、一枝《ひとえだ》折らせたまへり。

沈みしも忘れぬものをこりずまに身もなげつべきやどのふぢ波

いといたく思しわづらひて、寄りゐたまへるを、心苦しう見たてまつる。女君も、今さらにいとつつましく、さまざまに思ひ乱れたまへるに、花の蔭はなほなつかしくて、

身をなげむふちもまことのふちならでかけじやさらにこりずまの波

いと若やかなる御ふるまひを、心ながらもゆるさぬことに思しながら、関守《せきもり》の固《かた》からぬたゆみにや、いとよく語らひおきて出でたまふ。その昔《かみ》も、人よりこよなく心とどめて思うたまへりし御心ざしながら、はつかにてやみにし御仲らひには、いかでかはあはれも少なからむ。

いみじく忍び入りたまへる御寝《おほむね》くたれのさまを待ちうけて、女君、さばかりならむと心得たまへれど、おぼめかしくもてなしておはす。なかなかうちふすべなどしたまへらむよりも心苦しく、などかくしも見放ちたまひつらむと思さるれば、ありしよりけに深き契りをのみ、長き世をかけて聞こえたまふ。尚侍の君の御事も、また漏らすべきならねど、いにしへの事も知りたまへれば、まほにはあらねど、「物越しに、はつかなりつる対面《たいめ》なん、残りある心地する。いかで、人目とがめあるまじくもて隠して、いま一《ひと》たびも」と語らひきこえたまふ。うち笑ひて、「いまめかしくもなり返る御ありさまかな。昔を今に改め加へたまふほど、中空《なかぞら》なる身のため苦しく」とて、さすがに涙ぐみたまへるまみのいとらうたげに見ゆるに、「かう心やすからぬ御気色こそ苦しけれ。ただおいらかにひきつみなどして教へたまへ。隔てあるべくもならはしきこえぬを、思はずにこそなりにける御心なれ」とて、よろづに御心とりたまふほどに、何ごともえ残したまはずなりぬめり。宮の御方にも、とみにえ渡りたまはず、こしらへきこえつつおはします。

姫宮は何とも思したらぬを、御|後見《うしろみ》どもぞやすからず聞こえける。わづらはしうなど見えたまふ気色ならば、そなたもまして心苦しかるべきを、おいらかにうつくしきもてあそびぐさに思ひきこえたまへり。

現代語訳

これで最後ということで、朱雀院の女御、更衣たちなどが、めいめいお別れになるにつけて、しみじみ情深いことが多かったのだ。尚侍の君(朧月夜)は、故后《こきさい》の宮のお住まいであられた二条宮にお住まいになる。姫宮(女三の宮)の御こと以外では、この君の御ことを、後ろ髪を引かれることに帝(朱雀院)もお思いになるのだった。尚侍の君は、尼になろうとお思いであられたが、「このように多くの女房たちが競い合って出家する時に、すぐに跡を慕うように出家するのも早急である」と、朱雀院がお諌めになられたので、尚侍の君は、少しずつ仏事の御準備などをなさる。

六条の大殿(源氏)は、しみじみ深い情を交わしながら、もっと逢いたいとばかりお思いになったまま関係が終わってしまった御方であるので、長年の間忘れがたく、どんな折にか対面ができぬものか、もう一度逢って、昔のこともお話申しあげたいとばかり、ずっとそのことをお思いになっていらしたが、お互いに世間の評判もお憚りにならねばならぬご身分であるし、おいたわしげであったあの時の天下の騒ぎなども、ついお思い出しになられるので、万事、ご自重してお過ごしになっていらしたが、尚侍の君がこうゆったりした自由な御立場になられて、世間のあれこれに心悩まさせることもなくていらっしゃるだろうこのごろのご様子を、いよいよお知りになりたく、気にもかかるので、よくないこととはお思いになりながら、ごく一般的なお見舞いを口実にして、しみじみと御心をこめたて、常にご連絡を差し上げなさる。若い者同士のご関係でもないので、ご返事もその時その時に、交わしあっていらっしゃる。大殿(源氏)は、尚侍の君(朧月夜)が、昔よりもたいそう何もかも備わり、すっかり洗練された御ようすを拝見なさるにつけても、やはり我慢がおできにならず、昔の中納言の君のもとにも、胸のうちのさまざまなことを、いつもお打ち明けになっていらっしゃる。

大殿(源氏)は、その女房(中納言の君)の兄である和泉前守《いずみのさきのかみ》を召し寄せて、若々しく昔に返ってご相談になられる。(源氏)「人づてではなく、物越しに直接お逢いして、お知らせ申しあげるべきことがあるのだ。しかるべくそなたから申しあげて、ご承知いただいてから、たいそう忍んで参るとしよう。今はそうした気ままな夜歩きも窮屈な身分なので、厳しく人目を避けねばならぬことだから、そなたも、他人にはお漏らしにはなるまいと思うので、お互いに安心であることよ」などとおっしゃる。

尚侍の君(朧月夜)は、「さてどうしたものか。世の中のことがわかってくるにつけても、昔から薄情なあの御方の御心を、何度も思い知らされてきた長い年月の果てに、しみじみとおいたわしい院(朱雀院)が御出家されたことをさしおいて、どんな昔話をお話申しあげようというのだろう。なるほど他人に秘密が漏れないようにしたところで、みずからの心が自分に問う時、私はとても恥ずかしいに違いない」と、ため息をおつきになっては、やはり今さら、こんなことはよくないとだけ、御返事申しあげる。

(源氏)「昔、思うように逢えなかった頃でさえ、お互いに情を通わさぬわけでもなかったのに。なるほどご出家なさった朱雀院の御ためには後ろめたいようではあるが、以前は無かった関係でもないのだから、今さらはっきりと潔白ぶったところで、いったん立ってしまった浮名は、あの方(朧月夜)も、今さらお取り返しにはなられまいに」とお思い立たれて、この信田の森を道案内役に、お参りになる。

女君(紫の上)には、(源氏)「東の院にお住まいの常陸の宮(末摘花)が、このところご病気で長くなっているのですが、忙しさに紛れてお見舞いもしていませんので、不憫でしてね。昼などに人目につくように出かけるのも不都合なので、夜の間に忍んでと思っています。誰にもこうと知らせずに参ります」と申しあげなさって、ひどくそわそわしていらっしゃるのを、女君(紫の上は)、「いつもはそほど気になさっているようにはお見えにならない御方なのに、あやしい」と御覧になられて、お思いあたりになられるふしもあるが、姫宮(女三の宮)の御事があってからは、何ごとも、それほどこれまでのようではなく、すこし隔て心が加わって、見知らぬようなふりをしていらっしる。

大殿(源氏)は、その日は寝殿にもおいでにならず、お手紙をお書き交わしになる。薫物などに没頭して一日お過ごしになる。夜中になってから、親しくお仕えしている者をだけ四五人ばかりをお供にして、若い頃が思い出されるような、派手さを抑えた網代車に乗ってご出発なさる。和泉守を遣わしてお手紙を差し上げなさる。大殿がこうしておいでになったことを、中納言の君がそっとお伝えすると、尚侍の君(朧月夜)は驚かれて、(尚侍)「妙なこと。どのようにお伝えしたのか」と、ご機嫌をそこねていらっしゃるが、(和泉守)「風情のあるおもてなしてお帰し申しあげるべきところ、これではひどく具合が悪うございましょう」といって、ひたすら考えをめぐらして大殿を中にお入れ申しあげる。大殿はお見舞いの言葉など申しあげなさって、(源氏)「ほんのここまでお出ましを。物越にでも。昔のけしからぬ心などは、すっかり無くなっておりますから」と、無理に訴え申しあげなさるので、女君(朧月夜)は、ひどくため息をつきながら、いざり出ていらした。「それ見たことか。やはり情に流されやすいこと…」と、大殿は一方ではお思いになる。お互いに見知っている同士の御動作なので、たいそう心惹かれるのだ。ここは東の対なのであった。女君は大殿を、辰巳の方(東南)の廂の間にお座らせ申しあげて、襖のはしはぴったりと閉じているので、(源氏)「まるで若者に対する扱いのような気がしますね。過ごしてきた年月の数も、はっきり思い出せるほど、ずっと貴女をお慕いしてきましたのに、こんな、よくわからないお仕打ちを受けるのは、ひどく辛いですよ」と恨み言を申しあげなさる。

夜はたいそう更け行く。池の玉藻に遊ぶオシドリの声々などが、しみじみ情深く聞こえて、しめやかに人けが少ない宮の内のようすも、「こうも移りゆく世の中である」と、思いつづけていらっしゃると、平中納言のまねではないが、まことに涙もろいお気持ちになられる。殿(源氏)は昔と違って大人らしく分別づいた態度で申しあげなさるのだが、この状況で、襖を隔てて向かい合ってばかりおられようかと、襖を引き動かしなさる。

(源氏)年月を……

(間に長い年月を経て、今こうしてお逢いするのに、間に隔てがあるのでは、逢坂の関もせきとめがたいほど、涙が落ちることですよ)

女、

(尚侍)なみだのみ……

(涙だけは逢坂の関の清水のようにとめどなく流れますが、貴方とお逢いする道は、もはや絶えてしまいました)

など他人行儀にお返事申しあげるけれど、昔をお思い出しになられるにつけても、自分の以外の誰のため、あんな多くの恐ろしい事もあった世の騒ぎが起こったのかとお思い出されるので、「なるほど、もう一度ご対面することはあってもよい」とご決心がにぶるのも、もともとしっかりしたところがおありにならない方が、長年の間さまざまに世の中のことを思い知るようになって、過去がくやまれ、公私のことにふれては数知れぬ思いたくさん味わって、たいそう気をつけてお過ごしになっていらしたけれども、昔の事が思い出されるこの対面に、あの当時が今に遠からず通じている気持ちがして、心強くもふるまうことがおできにならない。女君は今もやはり気品があり、若く、魅力的で、一方では世間への気兼ねがあり、また一方では逢瀬に心揺り動かされるものがあり、思い乱れて、ため息をついてばかりいらっしゃる様子など、今夜はじめて逢ったよりも新鮮で、心惹かれることで、夜が明けゆくものひどく残念で、殿は、ご出発になるお気持ちにもならない。

明け方の並々ならぬ風情の空に、さまざまな小鳥の声もまことにうららかである。桜の花はみな散ってしまい、その後にかすんで見える梢が浅緑に色づいている木立に、昔、藤の宴をなさったのは、今ごろのことであったろうかと、ついお思い出しになられる。あれから長い年月が経ってしまったが、その折のことを、次々としみじみお思いになる。中納言の君は、院(源氏)をお送り申しあげようと、妻戸を押し開けていると、院は引き返してこられて、(源氏)「この藤の美しいこと。どうやって染めた色なのだろう。やはり何ともいえない風情が加わる美しさだね。どうしてこの藤の花の陰を立ち離れることができよう」と、ひどく立ち去れづらそうに、ご出発まぎわに思いわずらっていらっしゃる。山際から出る月がはなやかなのに照りはえて、目もまばゆいばかりの心地がするお姿の、いちだんとご立派になられたご様子などを、珍しくも年月を経て拝見する人々は、昔にもまして世間にまたとない素晴らしい御方と思えるので、(人々)「女君(朧月夜)は、この君(源氏)と、どうしてしかるべき形で、一緒になってお過ごしになられなかったのだろう。御宮仕えにも決まりがあって、もともとの身分より大きくご出世なさることもできないのに、故宮(弘徽殿大后)が女君(朧月夜)のご入内のため万事お心をお尽くしになり、結果として、つまらない世間の騒ぎとなり、軽薄だというご評判まで流れてしまい、お二人のご関係は終わってしまったのだ」など、つい思い出される。名残多く残っているだろうお二人のお語らいの結末は、なるほど、もっと続けさせてあげたいことではあるが、お心のままにお振る舞いになることのできる御身でもいらっしゃらないし、御邸の人々の目もひどく恐ろしく気が引けるので、日がだんだん上がってくるにつれ、あわただしくて…。廊の戸に御車を寄せているお供の人々も、そっと咳払いなどをしてご催促申しあげる。

お供の人を召して、あの枝垂れ咲いている藤の花を、一枝お折らせなさる。

(源氏)沈みしも……

(貴女のために深みに沈んでしまった昔のことは忘れていませんのに、しょうこりもなく、私はまたも、御邸の淵に身を投げてしまいそうです。貴女とご一緒に…)

たいそうひどく思いわずらいなさって、高欄に寄りかかって座っていらっしゃるのを、中納言の君は、おいたわしく拝見する。女君は、今さら関係を修復することはひどく気が引けるし、さまざまに思い悩んでいらっしゃるが、それでも花の蔭…源氏の君にはやはり心惹かれて、

(尚侍)身をなげん……

(「身を投げる淵」といっても本当の淵ではなく藤浪ですからね。貴方のしょうこりもない波が私の袖にかからようにしませんと…貴方の不実な誘いには乗りません)

まことに若者のような御ふるまいを、我ながらあるまじきこととお思いになりながら、関守の守りが甘いことで気安くなるからだろうか、次の逢瀬もよくよくお約束になってご退出なさる。昔も、他の人よりたいそう心をとどめて思っていらした御心ざしでありながら、ほんの少し逢っただけで終わってしまった御関係だから、しみじみと御心を引かれるお気持ちも、少なからぬものがおありなのだろう。

ひどく人目を避けて戻ってこられた殿(源氏)の御寝疲れのさまを待ち受けて、女君(紫の上)は、そういうことだろうと察しがついていらしたが、何も知らないふりを装っていらっしゃる。それが、嫉妬にかられて嫌味などおっしゃるよりもかえって殿(源氏)には心苦しく、「どうしてこうまでお見限りになってしまわれたのだろう」とお思いになるので、以前よりいっそう心をこめての約束を、長い将来にかけて、お誓い申しあげなさる。尚侍の君の御ことも、誰にも漏らすべきではないが、女君(紫の上)は、以前のお二人のご関係もご存知なので、すっかり洗いざらいに、というわけではないが、(源氏)「物越しに、ほんの少しお逢いしただけでして、物足りない気がします。どうにかして、人に見咎められないように、そっと隠れて、もう一度だけでも…」と言い訳を申しあげられる。女君(紫の上)は軽く笑って、「はなやかに若返ったご様子ですこと。昔の恋を今の恋に改めてお加えになさることが、身寄りのない私はつらいのですよ」とおっしゃって、さすがに涙ぐんでいらっしゃるまなざしが、たいそう痛々しげに見えるので、(源氏)「そうお苦しそうにしていらっしゃるご様子は、つらいのですよ。ただ貴女は大らかに私をつねるなりなどして、はっきり恨み言をおっしゃってください。心隔てを置くようには今までふりまってまいりませんでしたのに、思いの外のご気性になってしまわれたのですね」と、万事女君のご機嫌をおとりになっていらっしゃるうちに、何もかもすっかり打ち明けてしまわれたようだ。殿(源氏)は姫宮(女三の宮)の御方にも、すぐにはおいでにならず、女君(紫の上)を何かとおなだめ申しあげながらお過ごしになっていらっしゃる。

姫宮(女三の宮)は殿のお越しにならないのを何とも思っていらっしゃらないのだが、お世話役の人たちが不満を申しあげるのだった。姫宮が殿がお越しにならないのを不平にお思いになっていらっしゃるようであれば、そちら(女三の宮)もこちら(紫の上)にまして心苦しいことであろうが、今のところそういうことはないので、殿は、姫宮のことを、おっとりして可愛らしいお遊び相手とお思い申しあげていらっしゃる。

語句

■今はとて 朱雀院がまさに御寺にお移りになろうという時のこと。 ■故后の宮 弘徽殿大后。朧月夜はその妹。 ■二条宮 旧右大臣邸。大后が住んでいたため「宮」という。 ■この御ことをなむ… 朱雀院の朧月夜への執着はなみなみならぬものがある。「かく思ひしみたまへる別れのたへがたくもあるかな」(【若菜上 09】)。 ■かかる競ひには… 出家はよくよく考え決意してやるべきことで、まわりが多く出家するからといってその流れに乗って考えなしに出家してはならないの意。 ■やうやう仏の御事 出家はしないまでも少しずつ仏事の準備をする。 ■あはれに飽かず 源氏は朱雀帝に入内する予定であった右大臣家、娘朧月夜と通じたために謀反を疑われ、みずから須磨に下向するはめになった。それから十四年が経過している。 ■その世のこと 源氏と朧月夜が初めて逢った若き日のこと(【花宴】【同 06】【賢木 33】)。 ■かたみに世の聞き耳も憚りたまふべき身 帰京後は源氏は高位につき、朧月夜は朱雀院の寵姫であった。 ■いとほしげなりし世の騒ぎ 源氏の須磨下向をさす。 ■かうのどやかになりまたひて 朱雀院出家後、朧月夜が自由な立場になったこと。 ■あるまじきこと 朱雀院出家の直後に院の寵姫である朧月夜に手紙を送るのは不謹慎。 ■おほかたの御とぶらひにことつけて 一般的なお見舞いのような体裁をつくろって。 ■若々しかるべき御あはひならねば 若い者同士なので人から色恋沙汰を邪推される心配もない。 ■昔よりもこよなくうち具し 筆跡や言葉遣いから今の朧月夜のひととなりが想像される。 ■中納言の君 朧月夜つきの女房。源氏はかつてこの女房を仲介に朧月夜と逢っていた(【賢木 15】)。 ■心深きことども いまだ朧月夜に心惹かれていることを打ち明けるのである。

■和泉前司 中納言の君の兄。前和泉守。和泉守は従六位下相当。 ■若々しく 好色であった若い頃にもどったように。 ■物越しに 几帳か簾を隔てて。いくら朱雀院が出家したからといって院の寵姫に直接顔をあわせるのはまずい。 ■今はさやうの歩きも 源氏は准太上天皇という立場なので、昔のように気ままな夜遊びはできない。

■昔よりつらき御心 朧月夜は朱雀院の自分に対する愛情をみて、源氏と過ちを犯したことを後悔した(【澪標 02】)。 ■思ひつめつる 「思ひつむ」は「思ひ集む」の意。 ■あはれに悲しき御事 朱雀院が出家したこと。 ■心の問はんこそいと恥づかしかるべけれ 「無き名ぞと人には言ひてありぬべし心の問はばいかが答へむ」(後撰・恋三 読人しらず)による。 ■あるまじき 源氏と逢うことは。 ■いにしへ 弘徽殿大后一派が源氏を政治的に圧迫していた時代。 ■げに 前の朧月夜の「あはれに悲き御事をさしおきて」を受ける。 ■立ちにしわが名 「群鳥《むらとり》の立ちにしわが名いまさらに事なしぶともしるしあらめや」(古今・恋三 読人しらず)を受ける。歌意は、群鳥が飛び立ったように立ってしまった私の浮名は今さら何もなかったふりをしたところで効果はない。 ■信太の森 和泉前司をさす。「いづみなる信太の森の楠の千枝にわかれて物をこそ思へ」(古今六帖ニ 読人しらず)による。貴女を思って心は千々に乱れていますの意をこめる。

■東の院 二条院東院。 ■常陸の君の… 末摘花が病気でお見舞いに行くというのは源氏の作り話。 ■ものさわがしき 女三の宮降嫁の件。 ■昼などにけざやかに渡らむも便なき 醜い末摘花のもとに源氏が出かけて行くのを見て、人々はどうしたことかと野次馬根性を出すだろうから。 ■心化粧 心をとかめかせて、そわそわすること。 ■例はさしも見えたまはぬ 醜い末摘花は今や源氏の興味の対象外である。にもかかわらず、源氏が末摘花の話を切り出したので、紫の上は「あやしい」と疑う。 ■思ひあはせたまふこと 紫の上は源氏が朧月夜と文通していることを女房たちの噂話などで知っているのだろう。 ■姫宮の御事の後は 紫の上は女三の宮の一件の後は源氏の自分に対する愛情を信じられなくなっている。だから前のように露骨に嫉妬することはかえってできない。 ■過ぎぬる方 以前の紫の上であればこういう場合、源氏の浮気を追求し、嫌味を言ったりした。朝顔との一件(【朝顔 08】)など。

■寝殿 女三の宮のところ。 ■薫物 朧月夜と逢うための身づくろい。 ■網代車 網代を車体に貼った牛車。大臣、納言、大将なとが略式の車として使った。 ■ささめき聞こゆれば 源氏→和泉守→中納言の君→朧月夜と伝えられる。 ■あやしく 下に「あるかな」などを補い読む。 ■いかやうに聞こえたるにか 朧月夜は自分の意図がまちがえて伝えられたかと疑う。 ■ただここもとに 襖のそばまで。 ■昔のあるまじき心 若い時のような好色な気持ち、下心。 ■わりなく 無理に。 ■け近さ 情に流されやすく押しに弱い朧月夜の性格。 ■かつ思さる 朧月夜と逢いたい一方、そんなに軽薄ではならぬという気持ちが働く。 ■かたみにおぼろけならぬ御みじろき お違いに見知った間なので、暗闇の中でうごめいてもその気配がわかり、もっとはっきり見たいという気になる。 ■御障子 廂の間と母屋を隔てる襖。 ■いと若やかなる心地ねするかな 襖に掛け金をして入ってこれないようにしていることに不満をいう。 ■年月のつもり 逢えなかった年月の数。 ■かくおぼめかしき 襖に掛け金をかけて源氏を入れない仕打ちを批判する。

■玉藻に遊ぶ鴛鴦の声々 「春の池の玉藻に遊ぶにほ鳥の足のいとなき恋もするかな」(後撰・春中 宮道高風)を引く。 ■さも移りゆく世かな ここがかつての権勢家、右大臣家の邸宅であったことを思うと、すつかり寂れた現在との落差に、源氏は世の無常を実感する。 ■平中がまねならねど 「平中」は平貞文。中将好風の子。古来、在原業平と重ねられる。平中は女を訪れる時、水でしめらせた筆で目を濡らして泣きまねをして気を引いた、それに気づいた女が水入れに墨を入れたので、顔が真っ黒になったという逸話がある(古本説話集)(【末摘花 18】)。 ■これをかくてや 今の状況を考えると、襖)を隔てた状態でいられようか。襖を取りはらって直接逢わずにいられない。 ■年月を… 「逢坂」に「逢ふ」を、「関」に「堰」をかける。「逢坂の」は「せき」の序詞。 ■なみだのみ… 「せき」「清水」「逢ふ道」は縁語。「逢ふ道」に「近江路」をかける。 ■いにしへ 源氏の須磨流謫の件。 ■誰により 源氏が須磨に下向することになったのは朱雀帝に入内する予定になっていた朧月夜との密会が発覚したため。朧月夜はその件を思い出し、自分に責任があると自分に言い聞かせることで、逢瀬の口実を得る。 ■げに 源氏の言うとおり。流されやすい朧月夜の性格。 ■づしやかなる 語義不明。文脈上、「しっかりした」「身持ちの固い」といつた意味か。 ■来し方 源氏との関係など。 ■いといたく過ぐしたまひにたれど 源氏との関係が復活しないように注意していたの意。 ■昔おぼえたる対面に 朧月夜はニ条邸で、源氏と過去に何度も逢った(【賢木 33】)ことを思い出す。 ■その世のこと 源氏と密会した時のこと。 ■え心強くももてなしたまはず 朧月夜は源氏の押しの強さに負けて受け入れる。 ■百千鳥 参考「百千鳥さへづる春は物ごとにあらたまれども我ぞふりゆく」(古今・春上 読人しらず)。「百千鳥」はさまざまな小鳥。 ■浅緑なる 新緑のころ。 ■昔、藤の宴したまひし 桐壺帝の時代、右大臣家で行われた藤の宴(【花宴 06】)。源氏二十歳。この時源氏は朧月夜に再会しその素性をたしかめた。 ■思し出づる 連体形で止めて余韻をもたせる。 ■年月のつもりにける この時、源氏二十歳。 ■かきつづけ 次々と。 ■妻戸押し開けたるに… 源氏はすでに廂の間から簀子に出ていたが、もう一度引き返してくる。 ■この藤よ 藤の宴の思い出とともに、藤原氏である朧月夜のこともさす。 ■いかでかこの蔭をば立ち離るべき 朧月夜と離れがたいことをいう。 ■わりなく 「わりなし」は…しづらい。耐え難い。つらい。 ■ほど経ても見たてまつるは 中納言の君が源氏に会うのは十五、六年ぶり。 ■さる方 朧月夜が源氏と夫婦の契を結んでいたら…という仮定。 ■御宮仕にも限りありて 朧月夜は尚侍として入内したので、中宮にも女御にもなれなかった。 ■故宮 弘徽殿大后。妹の朧月夜を朱雀帝に入内させようとあれこれ画策した。 ■よからぬ世の騒ぎ 源氏の須磨流謫の件。 ■軽々しき御名 朧月夜が源氏と密会したので朱雀帝は朧月夜の入内を一時停止した(【須磨 15】)。 ■げに残りあらせまほしき 「げに」は源氏が「いかでかこの蔭をば立ち離るべき」と言ったのを受ける。 ■御身を心にえまかせたまふまじく 源氏は准太政大臣という立場なのでおのづと成約が多く好きにふるまえない。 ■ここらの人目 二条邸の人々の目。 ■やうやうさし上りゆくに 後朝の別れはまだ暗いうちにするもの。源氏が明るくなるまで二条邸にいたのは、朧月夜との別れが惜しかったため。

■かの咲きかかりたる花 藤の花。 ■沈みしも… 朧月夜との密会により須磨に下向することになった一件をいう。「藤」に「淵」をかける。「こりずまにまたもなき名は立ちぬべし人にくからぬ世にし住まへば」(古今・恋三 読人しらず)。 ■身をなげん… 貴方の愛は本物ではないと表面では拒絶しつつ、もし本物の愛なら受け入れますの意をこめる。 ■若いやかなる御ふるまひ 女のもとにこっそり訪れること。 ■心ながらもゆるさぬことに思ひ 朱雀院や紫の上に対して不実であるから。 ■関守の固からぬ 「東の五条わたりに、人に知りおきてまかり通ひけり。忍びなる所なりければ、門よりしもえ入らで、垣の崩れより通ひけるを、たびかさなりければ、主聞きつけてかの道に夜毎に人を伏せて守らすれば、行きけれども逢はでのみ帰りて、よみてやりける/人知れぬわが通ひ路の関守はよひよひごとにうちも寝ななむ」(古今・恋三 業平/伊勢物語五段)。『伊勢物語』では業平と二条后藤原高子との密通の件とする。二条邸に住む朧月夜と、高子の姿が重なる。

■いみじく忍びたまへる 源氏は二条邸から六条院にもどった。 ■御寝くたれ 朧月夜と一夜を過ごして疲れた源氏のようす。 ■おぼめかしく 何も気づかないふりをして。 ■うちふすべ 「うち」は接頭語。「燻《くす》ぶ」は嫉妬するの意。 ■長き世をかけて 来世のことも含めて。夫婦は二世にわたるものと考えられていた。 ■物腰しに… 源氏は紫の上の冷淡な態度にたじろぎ、朧月夜との件を一部打ち明ける。ただし情事に及んだことは伏せておく。 ■いま一たびも 下に「逢いたい」の意を補い読む。 ■昔を今に改め加へたまふ 今の女三の宮との関係に加えて昔の朧月夜の一件まで蒸し返すのかの意。「いにしへのしづのをだまきくりかへし昔を今になすよしもがな」(伊勢物語三十ニ段)を引く。 ■中空なる身 紫の上にとって源氏一人が頼りだったのにその源氏からも見棄てられての意。 ■さすがに 源氏との関係を諦めているようでも、やはり。 ■ひきつみ そっとつねる。軽い嫉妬からくる愛情表現。 ■何ごともえ残したまはず 源氏は紫の上の圧力に屈して、朧月夜との逢瀬についてすっかり打ち明けてしまった。 ■やすからず 世話人たちは主人である女三の宮のもとに源氏が訪れないことについて、不平をいう。 ■そなたもまして心苦しかるべき 女三の宮は身分が高い上に幼稚なので、嫉妬するとしたら紫の上以上に面倒であろうの意。

朗読・解説:左大臣光永