【若菜上 20】明石の女御の懐妊と里下り 紫の上、はじめて女三の宮に対面

桐壺の御方は、うちはへえまかでたまはず。御|暇《いとま》のあり難ければ、心やすくならひたまへる若き御心地に、いと苦しくのみ思したり。夏ごろ悩ましくしたまふを、とみにもゆるしきこえたまはねば、いとわりなしと思す。めづらしきさまの御心地にぞありける。まだいとあえかなる御《おほむ》ほどに、いとゆゆしくぞ、誰《たれ》も誰も思すらむかし。からうじてまかでたまへり。姫宮のおはします殿《おとど》の東面《ひむがしおもて》に御方はしつらひたり。明石の御方、今は御身に添ひて出で入りたまふも、あらまほしき御|宿世《すくせ》なりかし。

対の上、こなたに渡りて、対面《たいめ》したまふついでに、「姫宮にも、中の戸|開《あ》けて聞こえむ。かねてよりもさやうに思ひしかど、ついでなきにはつつましきを、かかるをりに聞こえ馴《な》れなば、心やすくなむあるべき」と、大殿《おとど》に聞こえたまへば、うち笑《ゑ》みて、「思ふやうなるべき御語らひにこそはあなれ。いと幼げにものしたまふめるを、うしろやすく教へなしたまへかし」とゆるしきこえたまふ。宮よりも、明石の君の恥づかしげにてまじらむを思せば、御髪《みぐし》すまし、ひきつくろひておはする、たぐひあらじと見えたまへり。

大殿《おとど》は、宮の御方に渡りたまひて、「夕方、かの対《たい》にはべる人の、淑景舎《しげいさ》に対面《たいめん》せんとて出で立つ、そのついでに、近づききこえさせまほしげにものすめるを、ゆるして語らひたまへ。心などはいとよき人なり。まだ若々しくて、御遊びがたきにもつきなからずなむ」など聞こえたまふ。「恥づかしうこそはあらめ。何ごとをか聞こえむ」と、おいらかにのたまふ。「人の答《いら》へは、事に従ひてこそは思し出でめ。隔ておきてなもてなしたまひそ」と、こまかに教へきこえたまふ。御仲うるはしくて過ぐしたまへと思す。あまりに何心もなき御ありさまを見あらはされむも、恥づかしくあぢきなけれど、さのたまはんを心隔てむもあいなしと思すなりけり。

対《たい》には、かく出で立ちなどしたまふものから、我より上《かみ》の人やはあるべき、身のほどなるものはかなきさまを、見えおきたてまつりたるばかりこそあらめ、など思ひつづけられて、うちながめたまふ。手習などするにも、おのづから、古言《ふること》も、もの思はしき筋のみ書かるるを、さらばわが身には思ふことありけり、とみづからぞ思し知らるる。

院、渡りたまひて、宮女御の君などの御さまどもを、うつくしうもおはするかなとさまざま見たてまつりたまへる御目うつしには、年ごろ目馴れたまへる人の、おぼろけならんがいとかく驚かるべきにもあらぬを、なほたぐひなくこそはと見たまふ。あり難きことなりかし。あるべき限り気《け》高う恥づかしげにととのひたるにそひて、華やかにいまめかしくにほひ、なまめきたるさまざまのかをりもとりあつめ、めでたきさかりに見えたまふ。去年《こぞ》より今年《ことし》はまさり、昨日《きのふ》より今日《けふ》はめづらしく、常に目馴れぬさまのしたまへるを、いかでかくしもありけむと思す。

うちとけたりつる御手習を、硯《すずり》の下にさし入れたまへれど、見つけたまひてひき返し見たまふ。手などの、いとわざとも上手と見えで、らうらうじくうつくしげに書きたまへり。

身にちかく秋や来《き》ぬらん見るままに青葉の山もうつろひにけり

とある所に、目とどめたまひて、

水鳥の青羽《あをば》は色もかはらぬをはぎのしたこそけしきことなれ

など書き添へつつすさびたまふ。ことに触れて、心苦しき御気色の下《した》にはおのづから漏りつつ見ゆるを、事なく消《け》ちたまへるもあり難くあはれに思さる。

今宵《こよひ》は、いづ方《かた》にも御|暇《いとま》ありぬべければ、かの忍び所に、いとわりなくて出でたまひにけり。いとあるまじきことと、いみじく思し返すにもかなはざりけり。

春宮《とうぐう》の御方は、実《じち》の母君よりも、この御方をば睦《むつ》ましきものに頼みきこえたまへり。いとうつくしげにおとなびまさりたまへるを、思ひ隔てずかなしと見たてまつりたまふ。御物語などいとなつかしく聞こえかはしたまひて、中の戸|開《あ》けて、宮にも対面《たいめ》したまへり。

いと幼げにのみ見えたまへば心やすくて、おとなおとなしく親めきたるさまに、昔の御筋をも尋ねきこえたまふ。中納言の乳母《めのと》といふ召し出でて、「おなじかざしを尋ねきこゆれば、かたじけなけれど、分かぬさまに聞こえさすれど、ついでなくてはべりつるを。今よりはうとからず、あなたなどにもものしたまひて、怠らむことはおどろかしなどもものしたまはむなむうれしかるべき」などのたまへば、「頼もしき御|蔭《かげ》どもにさまざまに後《おく》れきこえたまひて、心細げにおはしますめるを、かかる御ゆるしのはべめれば、ますことなくなむ思うたまへられける。背《そむ》きたまひにし上《うへ》の御心向けも、ただかくなむ御心隔てきこえたまはず、まだいはけなき御ありさまをも、はぐくみたてまつらせたまふべくぞはべめりし。内《うち》々にもさなん頼みきこえさせたまひし」など聞こゆ。「いとかたじけなかりし御|消息《せうそこ》の後《のち》は、いかでとのみ思ひはべれど、何ごとにつけても、数ならぬ身なむ口惜《くちを》しかりける」と、やすらかにおとなびたるけはひにて、宮にも、御心につきたまふべく、絵などのこと、雛《ひひな》の棄《す》てがたきさま、若やかに聞こえたまへば、げにいと若く心よげなる人かなと、幼き御心地にはうちとけたまへり。

さて後《のち》は、常に御文通ひなどして、をかしき遊びわざなどにつけてもうとからず聞こえかはしたまふ。世の中の人も、あいなう、かばかりになりぬるあたりのことは、言ひあつかふものなれば、はじめつ方は、「対の上いかに思すらむ。御おぼえ、いとこの年ごろのやうにはおはせじ。すこしは劣りなん」など言ひけるを、いますこし深き御心ざし、かくてしもまさるさまなるを、それにつけても、またやすからず言ふ人々あるに、かく憎げなくさへ聞こえかはしたまへば、事なほりてめやすくなんありける。

現代語訳

桐壺の御方(明石の姫君)は、東宮のご寵愛が篤いため、なかなかお里下がりがおできになられない。お暇がなかなかいただけないので、ずっと気楽に過ごしていらした若い御気持ちに、ひどく苦しいとばかりお思いになっていらっしゃる。夏ごろご気分が悪くなられたのが、東宮はすぐにもお里下がりをお許しになられないので、桐壷の御方(明石の姫君)はひどくやるせなくお思いになる。それはご懐妊の様子であるのだった。まだたいそういたいけな御年なので、ひどく不吉なことと、誰も誰もご心配していらっしゃるようだ。ようやく許可がおりて里下がりをなさる。姫宮(女三の宮)のいらっしゃる御殿の東面に、お部屋をしつらえた。明石の御方が、今は桐壺の御方(明石の姫君)の御身に付き添って宮中に出入りなさるのも、人もうらやむ御宿運というものだ。

対の上(紫の上)がこちらにおいでになり御対面なさるついでに、「姫宮(女三の宮)にも、中の戸を開けてご挨拶を申しあげましょう。前々からそのように思っていましたが、機会がないので遠慮しておりましたのを、こうした折に親しくご交際いただけたら、今後気兼ねがいらなくなるでしょう」と、大殿(源氏)に申しあげなさると、大殿は少し笑って、「貴女方がお語らいになることは、私も前から願っていたことです。姫宮(女三の宮)は、とても子供っぽくていらっしゃるようですから、あんしんできるように、貴女が教えてあげてください」と、お許し申しあげなさる。上(紫の上)は、宮(女三の宮)よりも、明石の君がその場に同席するだろうことのほうが恥ずかしいとお思いなので、御髪をととのえ、身づくろいしていらっしゃるそのご様子は、世にこんな見事な人は他になかろうとお見えになる。

大殿(源氏)は、宮(女三の宮)の御方においでになって、(源氏)「夕方、あちらの対におります人が、淑景舎(桐壷の御方)に対面しようとお出でになります。そのついでに、貴女にお近づき申しあげたいとのことですから、お許しになってお語らいください。気立てなどはとてもよい方です。まだ若々しいご様子なので、御遊び相手としても、ちょうどよいでしょう」など申しあげなさる。

(女三の宮)「ひどく恥ずかしゅうございます。何を申し上げればよいのでしょう」と、おっとりとおっしゃる。(源氏)「人に対する受け答えは、事に応じてその場でお考えになるのがよいのです。隔てあるお扱いをなさいますな」と、こまかにお教え申しあげなさる。「御仲うるはしくお過ごしください」と大殿はお思いになる。宮(女三の宮)の、あまりに無邪気なご様子を、上(紫の上)にはっきり見られてしまうことも恥ずかしく面白くないことだが、上(紫の上)があのようにおっしゃっているのを、心隔てするのも具合の悪いことだ、とお思いになるのであった。

対(紫の上)は、こうして出向きなどするとはいっても、「自分より上の人があるだろうか、境遇がはかないのを、殿にお世話いただいているだけではないか」など思いつづけなさって、物思いに沈んでいらっしゃる。手習いなどするにも、自然と、古い歌も、物思いに沈むような内容のものばかり書いてしまうのを、してみるとわが身には思うことがあるのだ、とみずからお気づきになる。

院(源氏)がこちらにおいでになって、さきほど宮(女三の宮)や女御の君(明石の女御)などのさまざまなご様子を、美しくていらっしゃるものだとさまざまに拝見なさったその御目で今度は上(紫の上)を御覧になると、長年見馴れていらっしゃるこの御方が、もし世間並のご器量であられたら、こうまで驚くわけもないのだが、やはり類ないご器量の御方であったのだと、お思いになられる。世に滅多にない素晴らしい御方なのである。何もかもすべて、気高くこちらが気後れするほど立派に整っていることに加えて、華やかで今風に洗練されて美しく色づき、優美に、さまざまな美しさもすべて備わり、美しさの盛りと拝見される。去年より今年はまさり、昨日より今日はめずらしく、いつも見ても見飽きることのないご様子でいらっしゃるのを、どうしてこんなに素晴らしくていらっしゃるのだろうかとお思いになる。

上(紫の上)は、何の気なしにお書きになった御手習を、硯の下にさし入れなさるが、院(源氏)はそれをお見つけになって引き出して御覧になる。手跡などは、そう別段上手とも見えないが、気品があり、可愛らしく書いていらっしゃる。

(紫の上)身にちかく……

(わが身はちかく飽きられてしまうのでしょう。見ているうちに青葉の山も色あせてしまった)

とある所に、院は目をおつけになり、

(源氏)水鳥の……

(水鳥の青い羽=私は色も変わらないのに、萩の下葉=貴女こそ、様子が変わったのですよ)

など書き加えてはお戯れになられる。何かにつけて、心苦しいお気持ちが下には自然とたびたび漏れて見えるのを、何でもないように隠していらっしゃるにつけても、世にまたとない御方であると、しみじみと愛しくお思いになる。

今宵は、どちらの御方からもお暇を出されそうなので、例の忍び所(朧月夜のもと)に、ひどく無理な工夫をしてご出発になる。まことにあってはならぬことと、ひどくご自分を抑えようとなさるが、どうにもならない。

東宮の御方(明石の女御)は、実の母君(明石の御方)よりも、この御方(紫の上)を親しみぶかいものとしてお頼み申しあげていらっしゃる。東宮の御方が、まことに可愛らしく、以前よりもご成長なさっているのを、上(紫の上)は、心隔てをせず愛しいものと拝見なさる。御物語などまことにやさしくお話しあいになられてから、中の戸を開けて、宮(女三の宮)にもご対面なさった。

宮(女三の宮)は幼なそうにばかり拝見されるので気安く感じられるので、上(紫の上)は落ち着いて親めいた様子で、昔の御血筋のことをも、たどってお話申しあげられる。中納言の乳母というのを召し出して、(紫の上)「同じ血筋をおたどり申しあげると畏れ多いことですが、お身内でいらっしゃると存ぜられますが、今までは機会もございませんでしたので。今後は遠慮なく、あちらの対にもいらっしゃって、行き届かない所があればご注意くださいましたら、さぞ嬉しゅうございましょう」などとおっしゃると、(中納言)「宮(女三の宮)は、お頼りになられる御方々にさまざまな事情で先立たれあそばしまして、心細そうにしていらっしゃるようでしたが、このような御ゆるしがございすようですと、この上なくありがたく存ぜられます。ご出家なさった院(朱雀院)のご意向も、ただこのように御心隔てをなさらず、姫宮(女三の宮)がまだ幼いご様子でいらっしゃるのをも、ご面倒を見てくださるようにとのご意向だったのでございましょう。内輪の話にも、院(朱雀院)は、そのように貴女さま(紫の上)のことをお頼み申しておられました」などと申しあげる。

(紫の上)「まことに畏れ多いお手紙を頂戴しましてからは、どうにかしてお力になりたいとばかり思っておりますが、何ごとにつけても、物の数にも入らないわが身がひどく残念です」と、ゆったり落ち着いた物腰で、宮(女三の宮)に対しても、お気に入るように、絵などのこと、雛人形がまだ棄てられないことなど、若々しくお話し申しあげなさると、(女三の宮)は、「本当にたいそう若く気立てがよい人だわ」と、あどけないご性分なので、すっかりおうちとけになられた。

そうして後は、上(紫の上)と宮(女三の宮)とは、いつもお手紙をお通わせなどして、風情のある遊び事などにつけても親密にご連絡しあっていらっしゃる。世の中の人も、むやみやたらに、これほど高い位にのぼりつめた方々については、あれこれ言い沙汰するものであるので、はじめのうちは、「対の上(紫の上)はどうお思いだろうか。殿(源氏)の御愛情も、まさかこれまでと同じように、というわけにはいかれないだろう。少しは弱まってしまうだろう」など言っていたのだが、殿(源氏)は、以前よりも深い御愛情を、このようなことになってかえって、いっそう上(紫の上に対して強く向けていらっしゃるご様子であるので、そのことにつけても、それはそれで穏やかでない事として言う人々があるのだが、こうして紫の上と女三の宮のお二人が親しげにご連絡しあっていらっしゃるので、世間の噂も立たなくなって、人目に好ましい状況となったのだった。

語句

■桐壷の御方 明石の姫君。今は東宮の女御。淑景舎(桐壷)にすむ。 ■うちはへまかでたまはず 東宮の寵愛が深いのでなかなか里下がりの許可がおりない。 ■若き御心地 桐壺の御方十ニ歳。 ■とみにもゆるしきこえたまはねば 東宮が寵愛のあまり桐壺の女御をすぐには里下がりさせなかった。 ■めづらしきさま 懐妊のこと。 ■まだいとあえかなる御ほど まだ若いのでちゃんと出産できるか東宮や源氏などが心配する。 ■姫宮のおはします 女三の宮の居所は寝殿の西側。 ■御方 桐壺の御方がすまう部屋。 ■明石の御方 桐壷の御方の実母。明石の君。長年母娘は離れて暮らしていたが、入内に際して源氏ば二人が一緒にくらせるようにした(【藤裏葉 09】【同 10】)。 ■こなた 明石の女御の居間。 ■姫宮にも 女三の宮は寝殿の西側に住む。桐壷の御方(明石の御方)はその東面に部屋を設けている。両者は戸で仕切ってある。 ■思ふやうなるべき 源氏には女三の宮、紫の上のほかにも愛妾がいるが、愛妾相互の間で争いにならないのは源氏のこうした気遣い・管理能力のゆえだろう。 ■明石の君の 明石の女御を訪問すれば当然、その母明石の御方とも対面することになる。紫の上は女三の宮は問題にもしていないが、聡明な明石の御方に対しては身構える。 ■淑景舎 桐壷に住む明石の女御。 ■きこえさせまほしげに 「きこえさす」は強い謙譲語。源氏は女三の宮に対して紫の上の位置を低くする。 ■まだ若々しくて 紫の上は三十ニ歳。「若々しい」という歳ではないが、女三の宮を安心させようとしてこう言った。 ■さのたまはん 紫の上が女三の宮とお近づきになりたいと言っていること。 ■かく出で立ちなどしたまふ 紫の上は自ら女三の宮のもとに出向くことに屈辱を感じる。 ■我より上の人やはあるべき 紫の上は皇族であり、他の愛妾たちの中では身分上も、これまでは一番であった。 ■身のほどなるものはかなきさま 紫の上は少女時代、母を失い祖母のもとで細々と育てられていたのを、源氏に見出された。 ■手習い 暇つぶしに字を走り書きすること。 ■さらばわが身には 紫の上は嫉妬に苦しんでいる自分を理性では否定しているが、無意識のうちに嫉妬深い歌などを書いてしまうことから、自分が嫉妬を抱いていることに気づかされる。 ■院、渡りたまひて 源氏が、紫の上の居所に来て。女三の宮と明石の女御へのお見舞いの件は省略されている。 ■なほたぐひなくこそは 紫の上がいつ見ても美しいので。 ■手などの 紫の上の手跡は当代一(【梅枝 06】)。物思いのためうまく書けなかったか。 ■身にちかく… 「秋」に「飽き」をかける。「青葉の山」は源氏の紫の上に対する愛情。 ■水鳥の… 「水鳥の青葉」は源氏。「はぎのした」は紫の上。 ■今宵は、いづ方も… 紫の上も女三の宮も、対面の準備で忙しい。 ■かの忍び所 朧月夜尚侍のいる二条邸。 ■この御方をば 紫の上は明石の姫君が三歳の時から養育している。 ■中の戸 女三の宮と明石の女御の居室は戸で隔てられている。 ■いと幼げに 紫の上は、明石の御方に対しては緊張し身構えるが、女三の宮は幼稚なのでそのような気構えを持たない。 ■心やすくて 女三の宮は競争相手にもならないという余裕から年長者の風格で接する。 ■中納言の乳母といふ召し出でて 「中納言の乳母」は女三の宮つきの乳母。それを「召し出す」のは、紫の上が女三の宮に対して優位に立ったことをしめす。 ■おなじかざしを 「わがやどと頼む吉野に君し入らば同じかざしをさしこそはせめ」(後撰・恋四 伊勢)。「かざし」は先祖。血筋。 ■頼もしき御蔭どもにはさまざまに後れ 女三の宮の母宮は亡くなり、父朱雀院は出家している。 ■上の御心向け 前に朱雀院は紫の上に手紙を送り、女三の宮のことを頼んでいる(【若菜上 18】)。その頼んだ内容を、中納言の乳母は知っていたのだろう。 ■いとかたじけなき御消息 朱雀院が紫の上に直々に手紙を送り女三の宮のことを頼んだこと。 ■いかで 下に「力になりたい」の意を補い読む。 ■絵などのこと 紫の上は女三の宮が喜びそうな話題をえらび親しくなろうと努力する。 ■げにいと若く 前に源氏が女三の宮に「(紫の上は)心などはいとよき人なり。まだ若々しくて、御遊びがたきにもつきなからずなん」といったのを受ける。 ■あいなう 「あいなし」はむやみやたらに。 ■かばかりにになりぬるあたり これほど高い身分になった人。准太上天皇となった源氏のこと。 ■御おぼえ 紫の上に対する源氏の扱い。 ■御心ざし 紫の上に対する源氏の愛情。 ■かくてしもまさる 女三の宮が降下して紫の上が正妻の地位をうばわれたが、それによってかえって源氏の紫の上に対する愛情はました。 ■それにつけても 源氏の紫の上に対する愛情がましたことにつけても。 ■やすからず 予想に反して女三の宮に対して源氏の愛情が向かないことをあれこれ言う人がいるのである。 ■

朗読・解説:左大臣光永