【藤裏葉 10】姫君入内 明石の御方参内し、紫の上と対面

御参りの儀式、人の目驚くばかりの事はせじ、と思しつつめど、おのづから世の常のさまにぞあらぬや。限りもなくかしづきすゑたてまつりたまひて、上はまことにあはれにうつくしと思ひきこえたまふにつけても、人に譲《ゆづ》るまじう、まことにかかる事もあらましかば、と思す。大臣も宰相の君も、ただこのこと一つをなん、飽かぬことかなと思しける。三日過ごしてぞ、上はまかでさせたまふ。

たちかはりて参りたまふ夜《よ》、御|対面《たいめん》あり。「かく大人びたまふけぢめになん、年月のほども知られはべれば、うとうとしき隔ては残るまじくや」と、なつかしうのたまひて、物語などしたまふ。これもうちとけぬるはじめなめり。ものなどうち言ひたるけはひなど、むべこそはと、めざましう見たまふ。またいと気高う盛りなる御けしきを、かたみにめでたしと見て、そこらの御中にもすぐれたる御心ざしにて、並びなきさまに定まりたまひけるも、いと道理《ことわり》と思ひ知らるるに、かうまで立ち並びきこゆる契りおろかなりやは、と思ふものから、出でたまふ儀式のいとことによそほしく、御|輦車《てぐるま》などゆるされたまひて、女御の御ありさまに異《こと》ならぬを、思ひくらぶるに、さすがなる身のほどなり。

いとうつくしげに雛《ひひな》のやうなる御ありさまを、夢の心地して見たてまつるにも、涙のみとどまらぬは、ひとつものとぞ見えざりける。年ごろよろづに嘆き沈み、さまざまうき身と思ひ屈《く》しつる命も延べまほしう、はればれしきにつけて、まことに住吉《すみよし》の神もおろかならず思ひ知らる。思ふさまにかしづききこえて、心及ばぬこと、はた、をさをさなき人のらうらうじさなれば、おほかたの寄せおぼえよりはじめ、なべてならぬ御ありさま容貌《かたち》なるに、宮も、若き御心地に、いと心ことに思ひきこえたまへり。いどみたまへる御方々の人などは、この母君のかくてさぶらひたまふを、瑕《きず》に言ひなしなどすれど、それに消《け》たるべくもあらず。いまめかしう、並びなきことをば、さらにもいはず、心にくくよしある御けはひを、はかなき事につけても、あらまほしうもてなしきこえたまへれば、殿上人なども、めづらしきいどみ所にて、とりどりにさぶらふ人々も心をかけたる、女房の用意ありさまさへ、いみじくととのへなしたまへり。

上もさるべきをりふしには参りたまふ。御仲らひあらまほしううちとけゆくに、さりとてさし過ぎもの馴れず、侮《あなづ》らはしかるべきもてなし、はた、つゆなく、あやしくあらまほしき人のありさま心ばへなり。

現代語訳

姫君ご参内の儀式は、人の目を驚かせるほどの事はするまいとお控えになるれるが、大臣(源氏)のなさることは、自然と世によくあるようにはならず、立派になってしまうのである。上(紫の上)は姫君をどこまでもお世話し申し上げなさり、まことにしみじみ可愛らしいと思い申し上げなさるにつけても、上は姫君を他人に譲りたくなく、ほんとうにこうして子がいたならとお思いになる。大臣(源氏)も宰相の君(夕霧)も、ただこの事ひとつを、残念なことだなとお思いになるのだった。宮中に三日すごしてから、上(紫の上)はご退出なさる。

入れかわって明石の御方が参内なさる夜、上と御方は御対面なさった。(紫の上)「こうして姫君が大人らしくおなりになりましたことにつけても、長い年月が経ったことも実感されますので、今や他人行儀なお気持ちは残っておりますまいね」と、やさしくおっしゃって、世間話などをなさる。これもお二人が打ち解けたはじめのようであった。上(紫の上)は、御方(明石の御方)がものなど言っているようすなど、なるほど大臣が心惹かれなさるのももっともだと、目もみはるばかりに御覧になる。御方のほうもまた、上のまことに気品高く女盛りであるご様子をすばらしいと見て、「大勢いらっしゃる御方々の中にも格別のご寵愛で、並びなきさまにおさまりなさったことも、まことに当然のことだと思い知られるにつけ、この御方(紫の上)とこうまで肩をならべ申している自身の宿運は並々のものではない」と思うのだが、上がご退出になる儀式がまことに立派で、御輦車などをお許されになって、女御の御ようすと変わらないのを、自身と比べて考えてみると、やはり取るに足らないわが身のほどなのである。

姫君のまことに美しげでお人形のような御ようすを、御方は、夢のような気持ちで拝見するにつけても、涙ばかりが止まらないのだが、歌にいうように「悲しみの涙と同じ涙」とは見えず、むしろ喜びの涙であった。長年、万事につけて嘆き沈み、さまざまに不幸なわが身と思いふさぎこんでいた命も、今はのびてほしいという晴れ晴れした気持ちにつけ、まことに住吉の神も並々ならぬ御霊験であったのだと思い知られる。

御方(明石の御方)は思うように姫君をお世話申し上げて、また、姫君は行き届かないところがまずないという利発なお人柄なので、世間一般が姫君に心を寄せることをはじめ、姫君は並々でなくすばらしい御物腰、お顔立ちであるので、東宮も、若いお気持ちに、まことに格別に、姫君に対してお心を寄せていらっしゃった。

東宮へのご寵愛を競っておられる御方々の女房たちなどは、この母君(明石の御方)がこうしてお仕えしていらっしゃることを、瑕《きず》として言い立てたりするが、それによって姫君の声望が消されるはずもない。今風に華やかで、並びなくすばらしいことはもちろん、それに加えて奥ゆかしく風格ある姫君のご様子を、この母君が、ちょっとした事につけても申し分なくお世話申し上げなさるので、殿上人なども、この姫君の御方をめずらしい風流の競いどころとして、思い思いに朝廷にお仕えするその人々(殿上人)も関心を寄せているので、御方(明石の御方)は、それ(殿上人)を迎える女房たちの心がけや態度までも、たいそう念を入れて仕込んでいらっしゃるのだ。

上(紫の上)もしかるべき折節には参内なさる。上と御方のお仲はよい具合にうちとけてゆくが、だからといって御方は、出過ぎて馴れ馴れしいということはなく、人から軽く見られるような態度もまったくなく、奇妙なまでに理想的な、御方の物腰やご気性なのである。

語句

■かかる事もあらましかば 紫の上自身に子がいたならの意。 ■このこと 紫の上に実子がいないこと。 ■三日過ごしてぞ 当時の結婚の儀は三日かかった。 ■参りたまふ夜 明石の御方に敬語が使われる珍しい例。入内した姫君の実母であることによる。 ■御対面 紫の上と明石の御方の初対面。 ■大人びたまふ 明石の姫君が紫の上に引き取られたのは三歳の時。それから八年経つ。 ■うとうとしき隔ては残るまじくや 紫の上は八年間姫君を育てた。明石の御方は実母である。姫君を軸として、紫の上と明石の御方はもはや他人ではないの意。 ■これもうちとけぬるはじめなり 「これ」の指示内容が不明瞭。 ■かうまで立ち並び ご立派な紫の上と対等といえるほどの位置に自分がいることに、明石の御方はわれながら驚く。 ■契り 前世からの宿運。 ■出でたまふ儀式 紫の上退出の儀式。 ■さすがなる 姫君の実母とはいえ、やはり紫の上とくらべると、取るに足らないわが身であることを、あらためて実感するのである。 ■雛 紙などで作った人形。 ■ひとつものぞ 「うれしきも憂きも心はひとつにて分かれぬものは涙なりけり」(後撰・雑ニ 読人しらず)。古歌は嬉しさの涙も悲しみの涙も同じといっているが、そんなことはなく、これは悲しみの涙とまったく違う晴れ晴れしい喜びの涙であるの意。 ■住吉の神 明石の御方は所願成就のため毎年住吉に参詣していた(【明石 09】【澪標 12】)。 ■をさをさなき人 「をさをさ」は下に否定語をともなって「滅多にない」。 ■らうらうじさ 「らうらうじ」は洗練されている。物事にたくみである。 ■この母君のかくてさぶらひたまふ ここでも敬語を使う。入内した姫君の母であるので。 ■瑕に言ひなし 明石の御方の身分が低いので姫君にとって汚点になるということを女房たちは言うのである。 ■いまめかしう この一文、主語がめまぐるしく変動し、しかもそれらがことごとく書かれていないので、非常に読みづらい。何度も繰り返し読まないと大意を取ることすら不可能。以下に主語を補う。「(姫君が)いまめかしう、並びなきことをば、さらにもいはず、心にくくよしある(姫君の)御けはひを、(明石の御方は)はかなき事につけても、あらまほしうもてなしきこえたまへれば、殿上人なども、めづらしきいどみ所にて、とりどりにさぶらふ人々(=殿上人)も心をかけたる、(その殿上人たちをお迎えする)女房の用意ありさまさへ、(明石の御方は)いみじくととのへなしたまへり」。これを一読して理解しろというのは不可能である。「いまめかしう」は「いかめしう」とある本も。 ■あらまほしうもてなしきこえたまへれば ここでも明石の御方に敬語を使う。 ■殿上人なども… ■さるべき折節 宮中で儀式などがある時。 ■御仲らひ 紫の上と明石の御方の交友。

朗読・解説:左大臣光永