【澪標 12】源氏、住吉に参詣 明石の君、源氏をはるかに見る

その秋、住吉に詣《まう》でたまふ。願《ぐわん》どもはたしたまふべければ、いかめしき御|歩《あり》きにて、世の中ゆすりて、上達部殿上人、我も我もと仕うまつりたまふ。

をりしもかの明石の人、年ごとの例の事にて詣づるを、去年《こぞ》今年はさはる事ありて怠りけるかしこまり、とり重ねて思ひ立ちけり。舟にて詣でたり。岸にさし着くるほど見れば、ののしりて詣でたまふ人のけはひ渚に満ちて、いつくしき神宝《かむだから》を持《も》てつづけたり。楽人十列《がくにんとをつら》など装束《さうぞく》をととのへ容貌《かたち》を選びたり。「誰《た》が詣でたまへるぞ」と問ふめれば、「内大臣殿の御願はたしに詣でたまふを、知らぬ人もありけり」とて、はかなきほどの下衆《げす》だに心地よげにうち笑ふ。げに、あさましう、月日もこそあれ、なかなか、この御ありさまをはるかに見るも、身のほど口惜しうおぼゆ。さすがにかけ離れたてまつらぬ宿世ながら、かく口惜しき際《きは》の者だに、もの思ひなげにて仕うまつるを色節《いろふし》に思ひたるに、何の罪深き身にて、心にかけておぼつかなう思ひきこえつつ、かかりける御響きをも知らで立ち出でつらむなど思ひつづくるに、いと悲しうて、人知れずしほたれけり。

松原の深緑《ふかみどり》なるに、花紅葉をこき散らしたると見ゆる、袍衣《うへのきぬ》の濃き薄き数知らず。六位の中にも蔵人《くらうど》は青色しるく見えて、かの賀茂の瑞垣《みづがき》恨みし右近将監《うこんのじよう》も靫負《ゆげひ》になりて、ことごとしげなる随身《ずいじん》具したる蔵人《くらうど》なり。良清《よしきよ》も同じ佐《すけ》にて、人よりことにもの思ひなき気色にて、おどろおどろしき赤衣《あかぎぬ》姿いときよげなり。すべて見し人々ひきかへ華やかに、何ごと思ふらむと見えてうち散りたるに、若やかなる上達部殿上人の、我も我もと思ひいどみ、馬鞍《むまくら》などまで飾りをととのヘ磨きたまへるは、いみじき見物《みもの》に、田舎人《ゐなかびと》も思へり。

御車をはるかに見やれば、なかなか心やましくて、恋しき御影をもえ見たてまつらず。河原の大臣《おとど》の御|例《れい》をまねびて、童随身《わらはずいじん》を賜はりたまひける。いとをかしげに装束《さうぞ》き、角髪《みづら》結ひて、紫裾濃《むらさきすそご》の元結《もとゆひ》なまめかしう、丈姿《たけすがた》ととのひうつくしげにて十人、さまことに今めかしう見ゆ。大殿腹《おほとのばら》の若君、限りなくかしづき立てて、馬副童《むまぞひわらは》のほど、みなつくりあはせて、やうかへて装束《さうぞ》きわけたり。雲ゐはるかにめでたく見ゆるにつけても、若君の数ならぬさまにてものしたまふをいみじと思ふ。いよいよ御社の方を拝みきこゆ。

国守《くにのかみ》参りて、御|設《まう》け、例の大臣などの参りたまふよりは、ことに世になく、仕うまつりけむかし。いとはしたなければ、「立ちまじり、数ならぬ身のいささかの事せむに、神も見入れ数まへたまふべきにもあらず。帰らむにも中空《なかぞら》なり。今日は難波《なには》に舟さしとめて、祓《はらへ》をだにせむ」とて、漕ぎ渡りぬ。

現代語訳

その秋、源氏の大臣は住吉にご参詣になる。多くの願が叶えられなさったので、盛大なご行列で、世間は大騒ぎをして、上達部、殿上人が、我も我もとお供申し上げる。

そんな折も折、あの明石の人が、毎年の恒例として参詣していたのを、去年と今年はさしさわりがあって参詣を怠ったお詫びをかねて、思い立ったのであった。舟で参詣したのである。舟を岸に着ける時に見れば、大騒ぎをして参詣なさっている人の気配が渚に満ちて、立派な奉納品を持たせた行列がつづいている。

楽人十人などが装束をととのえて、顔だちのすぐれたのを選んである。

(供人)「誰がご参詣なさるのですか」と供人が人に質問したらしいのに答えて、「内大臣殿が御願ほどきに参詣なさるのを、知らない人もあったのだな」といって、取るに足らない下賤の者までも得意げに笑う。

なるほど、呆れたことに、他に月日はいくらもあるのに、なまじ今日、この源氏の君の御ありさまをはるかに見るのも、取るに足らないわが身のほどが実感されて残念に思われる。

そうはいってもさすがに今は前世からの運命で親しく結ばれたのだとはいっても、このような取るに足らない身分の者でさえ、無心に源氏の君にお仕え申し上げることを名誉なことに思っているのに、私はどんな罪深い身で、源氏の君のことを心にかけて気がかりに思い申し上げながら、こんなにまで響き渡っておられた今日のご参詣のことをも知らずに出かけてきてしまったのだろう、などと思いつづけるにつけ、ひどく悲しくて、人知れず涙に濡れるのだった。

松原が深緑であるのを背景に、花や紅葉をしごきちらしているように見える、衣装の色濃いのや薄いのを着ている供人たちが数知らず大勢いる。

六位の中にも蔵人は青色がくっきり見えて、あの賀茂の瑞垣を恨んだ右近将監《うこんのじょう》も靫負《ゆげい》になって、ものものしい随身を連れた蔵人である。

良清も同じく衛門府の佐として、人より格別に晴れ晴れしいようすで、仰々しい赤い衣装をまとった姿は、とてもさっぱりした感じである。

すべて以前明石で見知った人々が、あの頃とは打ってかわって華やかに、何の憂いもなさそうに晴れやかに見えて、あちこちに散らばっているところに、若やいだ上達部・殿上人が、我も我もと競って、馬や鞍などまで飾りをととのえて磨き上げていらっしゃるのは、たいそうな見物と、田舎人の目にも思われる。

明石の君は源氏の君の御車をはるかに見やるが、かえって胸がしめつけられて、恋しい御姿を拝見することもできない。

河原の大臣の御先例をまねて、童随身を賜っていらっしゃる。たいそう見事に着飾って、角髪を結って、紫裾濃の元結も美しく、背丈も容姿も揃って可愛らしい童が十人、格別に華やかに見える。

大殿腹の若君(夕霧)を、限りなく大切にかしづいて、馬副の童のほうも、みな装束を同じようにして、他とはさまを変えて装束を分けている。

雲居はるかに見事なものと拝見するにつけても、わが腹の若君(明石の姫君)が物の数にも入らないでいらっしゃるのを辛く思う。いよいよ御社の方角を拝み申し上げる。

国司が参って、ご饗応の準備を、ふつうの大臣などがお参りになるのよりも、格別に、ご奉仕したことであろう。明石の君は、たいそう間が悪く、(明石)「あんなところに入っていって、物の数でもない私が、わずかばかりの捧げものをしたからとて、神もお目に留めて物の数にお入れになられるはずもない。かといって明石に帰るには中途半端な時刻だ。今日は難波に舟をとめて、せめて祓だけでもしよう」といって、漕ぎ渡った。

語句

■願どもはたしたまふべければ 願ほどき。願がかなったことをお礼申し上げる。 ■年ごとの例の事にて 「年ごとの春秋ごとに必ずかの御社に参ることなむはべる」(【明石 09】)。 ■さはる事 明石の君の懐妊。 ■舟にて詣でけり 明石から住吉まで舟で来たので陸路を進んだ源氏の一行とはここまで出くわさなかった。 ■いつくしき 立派な。 ■神宝 奉納品。 ■楽人十列 楽人十人が神前で東遊を舞い、馬場で競馬《くらべうま》を行う。 ■げに 直前の、下衆にさえバカにされたことを受けて。 ■なかなか 「身のほど口惜しうおぼゆ」にかかる。源氏の君を見なかったらそんなことは思わなかっただろうが、なまじ見たためにかえってわが身のほどが思い知られてつらいのである。 ■かけ離れたてまつらぬ宿世 源氏の君との間に御子をなすという前世からの運命。 ■色節 名誉なこと。 ■しほたれたり 住吉という場所がら、「しほたる」の語を使う。 ■こき散らしたる 「こき散らす」はしごき散らす。 ■袍衣 衣の色は位によって定められていた。『衣服令』によれば、一位深紫・ニ、三位浅紫・四位深緋・五位浅緋・六位深緑・七位浅緑・八位深縹《はなだ》・初位浅縹・無位黄。深緑を背景に紅葉をちらしたように見えるは、四位・五位の緋色が目立ったということ。 ■青色しるく 麹塵《きくじん》の袍。 麹黴《こうじかび》のようなくすんだ黄緑色。 ■かの賀茂の瑞垣恨みし右近将監 源氏が須磨に下る直前、故桐壺院の山陵に参拝したときにお供した人。その時「ひき連れて葵かざししそのかみを思へばつらし賀茂のみづがき」とよんだ(【須磨 08】)。正六位相当の右近将監から従六位相当の靫負(衛門府の尉)になっているが降職ではなく正六位上で靫負で蔵人を兼任したと見る。 ■同じ佐 同じ衛門府の佐。衛門佐(従五位相当)。 ■赤衣姿 良清は五位なので浅緋の衣を着ている。 ■河原の大臣 河原左大臣源融。嵯峨天皇皇子で臣籍降下(小倉百人一首十四番)。童随身を賜ったことの出典は不明。 ■角髪 童の髪型。前髪を中央でニ手に分け、耳のあたりで結う。 ■紫裾濃の元結 中央が白で両端に行くにつれて紫になるよう染めた元結。元結は髪を結ぶ紐。 ■大殿腹の若君 大殿(元左大臣)の娘である葵の上の腹の若君。夕霧。 ■馬副童 貴人の馬に付きそう童。 ■雲ゐはるかに はるか雲の上の存在と見る。距離の隔たりとともに身分の隔たりを実感するのである。 ■いよいよ御社の方を拝みきこゆ 夕霧に劣らず、わが腹の若君に御威光をと祈るのだろう。 ■国守 摂津守。 ■御設け ご饗応の準備。 ■中空 中途半端である。 ■難波に舟さしとめて 難波は古くからの祓の名所。住吉よりは明石よりなので間をとって難波行きを選んだのだろう。 

朗読・解説:左大臣光永

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