【澪標 13】惟光、源氏に明石の君のことを知らせる 源氏、明石の君に消息
君はゆめにも知りたまはず、夜一夜《よひとよ》いろいろの事をせさせたまふ。まことに神のよろこびたまふべき事をし尽くして、来《き》し方の御|願《がん》にもうち添へ、ありがたきまで遊びののしり明かしたまふ。惟光やうの人は、心の中《うち》に神の御徳をあはれにめでたしと思ふ。あからさまに立ち出でたまへるにさぶらひて、聞こえ出でたり。
すみよしのまつこそものは悲しけれ神代のことをかけて思へば
げに、と思し出でて、
「あらかりし浪のまよひにすみよしの神をばかけてわすれやはする
しるしありな」とのたまるも、いとめでたし。
かの明石の舟、この響きにおされて、過ぎぬる事も聞こゆれば、知らざりけるよ、とあはれに思す。神の御しるべを思し出づるもおろかならねば、「いささかなる消息をだにして心慰めばや。なかなかに思ふらむかし」と思す。御社立ちたまて、所どころに逍遥《せうえう》を尽くしたまふ。難波の御祓、七瀬《ななせ》によそほしう仕《つか》まつる。堀江《ほりえ》のわたりを御覧じて、「今はた同じ難波なる」と、御心にもあらでうち誦《ず》じたまへるを、御車のもと近き惟光、承りやしつらむ、さる召しもや、と例にならひて懐に設けたる、柄《つか》短き筆など、御車とどむる所にて奉れり。をかしと思して、畳紙《たたうがみ》に、
みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな
とてたまへれば、かしこの心知れる下人してやりけり。駒並《こまな》めてうち過ぎたまふにも心のみ動くに、露ばかりなれど、いとあはれにかたじけなくおぼえて、うち泣きぬ。
数ならでなにはのこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ
田蓑《たみの》の島に禊《みそぎ》仕うまつる、御|祓《はらへ》のものにつけて奉る。日暮れ方になりゆく。夕潮満ち来て、入江の鶴《たづ》も声惜しまぬほどのあはれなるをりからなればにや、人目もつつまずあひ見まほしくさへ思さる。
露けさのむかしに似たる旅ごろも田蓑の島の名にはかくれず
道のままに、かひある逍遙《せうえう》遊びののしりたまへど、御心にはなほかかりて思しやる。遊女《あそび》どもの集《つど》ひ参れる、上達部と聞こゆれど、若やかに事好ましげなるは、みな目とどめたまふべかめり。されど、いでや、をかしきことももののあはれも人からこそあべけれ、なのめなることをだに、すこしあはき方に寄りぬるは、心とどむるたよりもなきものを、と思すに、おのが心をやりてよしめきあへるも、うとましう思しけり。
かの人は過ぐしきこえて、またの日ぞよろしかりければ、幣帛《みてぐら》奉る。ほどにつけたる願どもなど、かつがつはたしける。またなかなかもの思ひ添《そ》はりて、明け暮れ口惜しき身を思ひ嘆く。今や京におはし着くらむと思ふ日数も経ず御使あり。このごろのほどに迎へむことをぞのたまへる、「いと頼もしげに、数まへのたまふめれど、いさや、また、島漕ぎ離れ、中空《なかぞら》に心細き事やあらむ」と思ひわづらふ。入道も、さて出だし放たむはいとうしろめたう、さりとて、かく埋もれ過ぐさむを思はむも、なかなか来《き》し方の年ごろよりも、心づくしなり。よろづにつつましう、思ひ立ちがたきことを聞こゆ。
現代語訳
源氏の君は、明石の君のことを夢にもご存知でなく、一晩中いろいろの神事をさせなさる。まことに神のおよろこびになるに違いないことをし尽くして、過去の御願ほどきの感謝にも加えて、前例のないほど管弦の遊びをして大いに騒いで夜をお明かしになる。
惟光などの君に親しい人は、心の中に神の御徳をしみじみとありがたいと思う。源氏の君が奥からふとお出ましになった時に、惟光はお側に侍して、君のお耳にお入れ申した。
(惟光)すみよしの…
(住吉の松を見ているとまずなんとなく胸が掻き立てられます。神代の昔のこと、そして君が侘住まいをなさっていたあの頃のことを心にかけて思いますので)
君は、いかにもと思い出しなさって、
(源氏)「あらかりし…
(荒々しかった須磨の浪に翻弄されたあの頃、またあの逆境から無事に帰京できたことを思うと、住吉の神をいささかでも忘れることができようか)
霊験があったものであるな」とおっしゃるのも、実に華やかだ。
あの明石の舟が、この騒ぎに圧されて、通り過ぎてしまったことも惟光が申し上げると、源氏の君は、「まるで知らなかった」と、しみじみ不憫にお思いになる。神の御導きを思い出すにつけても、おろそかなことではないと思われるので、「せめてほんの少し消息をして心を慰めたい。たまたま行き合わせたのでかえって物思いに暮れているだろう」とお思いになる。
君は住吉の御社をご出発になり、所どころでご遊覧の限りをお尽くしになる。難波の御祓を、七瀬で、格式正しくなさる。
堀江のあたりをご覧になって、「今はた同じ難波なる」と、意識もされぬままお口ずさみになるのを、御車のもと近くにいた惟光が、聞きつけ申したのだろうか、こういうご用向もあろうかと、習慣に従って、懐に準備していた、柄の短い筆などを、御車を停めている所で差し上げた。源氏の君は惟光の気が利くのに感心なさって、畳紙に、
(源氏)みをつくし…
(身を尽くして恋しく思っている証として、澪標のあるこの難波まで来て、貴女と巡り会ったのです。私と貴女との前世からの宿縁は深いことですよ)
とお書きになって惟光にお与えになったので、明石方の事情を知っている下人に命じて届けさせた。
女君は、源氏の君一行が駒を並べて通り過ぎなさるにつけても心ばかりが動くのに、ほんの少しとはいえ、こうして文をいただけることは、たいそうしみじみと勿体ないことに思えて、自然と泣けてきた。
(明石)数ならで…
(物の数にも入らない、何においてもどうしようもない私なのに、どうして身を尽くして君を思い初めてしまったのでしょう)
田蓑の島で禊をなさる時の、御祓ための木綿《ゆう》につけてこの歌を差し上げる。日暮れ方になりゆく。夕潮が満ちてきて、入江の鶴も声を惜しまぬほどにしみじみ哀愁深く泣き渡る折節であるからだろうか、源氏の君は、人目もはばからず、女君と逢いたいとさえお思いになる。
(源氏)露けさの…
(露の多い、須磨明石にいた頃に似ている旅衣は、田蓑の島という名のその「蓑」にも隠れることができず、涙に濡れています)
帰京の道に沿って、所々で面白い遊覧をし管弦の遊びをしてお騒ぎになるが、御心にはやはり女君のことがかかって思いやられる。
遊女たちが集まって参ったのを、上達部と申すようだが、若やいで物好きそうなのは、みな興味を惹かれていらっしゃるようだ。
しかし源氏の君は、「さあどんなものだろう。おもしろきことも情け深いことも、相手次第であるから、ほんの通りいっぺんの行きずりのこととしても、少しでも軽薄な方に傾くのは、心惹かれる理由もないものだが」と思われるにつけ、遊女たちが、思い上がって情緒ありそうにしているのも疎ましくお思いになるのだった。
かの明石の君は、源氏の君の御一行が通り過ぎるのをお待ちして、翌日は日取りもよかったので、幣帛を奉納する。
身分に応じて立てたさまざまの願なども、どうにかこうにか果たしたのだった。かえってまたもの思いが加わって、明け暮れ残念なわが身を思って嘆く。
今頃は源氏の君は京にお着きになっていらっしゃるだろうかと思う日数もたたないうちに君から御使がある。
近いうちに京に迎えようということをおっしゃっる、(明石)「とても頼もしげに、私のことを物の数に入れてくださるようだが、さあどうだろうか、また明石を漕ぎ離れて、中途半端に心細いことがあるのではないか」と心配する。
入道も、いざ娘を手放し出発させるのはひどく心配で、そうはいっても、こうして田舎に埋もれて過ごすことを思うのも、かえってここ数年よりも、気苦労なことである。万事においてはばかられ、決心しがたい旨を源氏の君にお返事申し上げる。
語句
■ゆめにも 「ゆめ」は下に否定語をともなって強い否定をあらわす。 ■御願にもうち添へ ここでの「願」は願ほどきと見る。願ほどきに加えて、それとは直接関係のない管弦の遊びまでしたの意。 ■惟光やうの人 惟光のような、源氏の身辺近くにいて、須磨明石の逆境時代も辛苦をともにしてきた人々。 ■すみよしの… 「まつ」に「松」と「先ず」をかける。「神代」は神話の時代の意と、須磨明石の逆境時代をかける。 ■あらかりし… 「あらかりし浪」は須磨の暴風雨の一件だけでなく、須磨明石で味わった逆境のすべてをさすだろう。 ■神の御しるべ 明石の君に姫君誕生の報告を受けたとき源氏は住吉の神の導きに思いをはせた。「住吉の神のしるべ、まことにかの人も世になべてならぬ宿世にて…」(【澪標 05】)。 ■たまて 「たまひて」とする本も。 ■逍遥 明石から帰京の時は難波で祓をしただけで「ことなる御逍遥などなくて」急いで帰京した(【明石 19】)。 ■七瀬に 京都の七つの川瀬(洛中七瀬=賀茂川七瀬)に勅使を派遣して祓をさせること。 ■堀江 仁徳天皇の時代に掘ったとされる川。 ■今はた同じ難波なる 「わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ」(拾遺・恋三/小倉百人一首二十番 元良親王)。「みをつくし」に「澪標」と「身を尽くし」をかける。「澪標」は「水脈つ串」で難波の海にあった水脈を知らせるための杭。歌意は、こんなにも嘆き悲しんでいるのであれば、もう身の破滅と同じことです、難波津の澪漂のように、この身を尽くしてでも貴女に会いたいと思います。 ■御心にもあらで 無意識に。難波の地名が「今はた同じ」の歌を呼び起こし、女君に逢いたい気持が立ち上がる。 ■をかしと思して 惟光の気が利くことに感心するのである。 ■みをつくし… 「みをつくし」に「身を尽くし」と「澪標」を、「えに(縁)」に「江に」をかける。「澪標」「しるし」「深し」は縁語。水辺の風景で歌の世界観がまとめられている。 ■数ならで 「なにはのこと」に「何の事」の意と「難波のこと」を、「かい(効)」に「貝」をかけて「難波」の縁語とする。源氏の歌と同じく元良親王の歌を引く。 ■田蓑の島 歌枕。淀川河口付近にあったとされる島。堂島川の田蓑橋にその名が残る。 ■夕潮満ち来て 「難波潟潮満ち来らしあま衣田蓑の島に鶴鳴きわたる」(古今・雑上 読人しらず)、「難波潟、潮満ち来れば、あま衣、あま衣、田蓑の島に、鶴立ちわたる」(神楽歌)などを引く。 ■露けさの… 「雨により田蓑の島を今日ゆけど名には隠れぬものぞありける」(古今・雑上 貫之)を引く。「露けさのむかし」は涙に濡れて須磨明石で侘住居していた頃。「名には」に「難波」をかける。「田蓑の島」という「蓑」という名を持つ場所ではあるが、その「蓑」では私の涙は隠すことができないという発想。 ■かひある 海辺であることから「効《かい》」に「貝」をかけた。 ■人からこそあべけれ 源氏は遊女たちに対して人柄のすぐれた例として明石の君を想定している。 ■よしめきあへる 「由めく」は情緒ありそうに見える。由緒ありそうに見える。 ■このごろのほどに迎へむことを 源氏は明石の君を迎えるため二条院東院の造営を急がせていた(【澪標 05】)。 ■島漕ぎ離れ 「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ」(古今・羇旅 読人しらず)。 ■中空に 父母も頼れず、源氏も頼れないだろう心細い状況。 ■来し方の年ごろ まだ源氏と知り合っていなかった長い年月。 ■