【澪標 14】源氏、病の六条御息所を見舞う
まことや、かの斎宮《さいぐう》もかはりたまひにしかば、御息所《みやすむどころ》上《のぼ》りたまひて後《のち》、変らぬさまに、何ごともとぶらひきこえたまふことは、あり難きまで情《なさけ》を尽くしたまへど、昔だにつれなかりし御心ばへの、なかなかならむなごりは見じ、と思ひ放ちたまヘば、渡りたまひなどすることは、ことになし。あながちに動かしきこえたまひても、わが心ながら知りがたく、とかくかかづらはむ御|歩《あり》きなども、ところせう思しなりにたれば、強ひたるさまにもおはせず。斎宮をぞ、いかにねびなりたまひぬらむ、とゆかしう思ひきこえたまふ。
なほ、かの六条の古宮《ふるみや》をいとよく修理《すり》しつくろひたりければ、みやびかにて住みたまひけり。よしづきたまへること古《ふ》りがたくて、よき女房など多く、すいたる人の集《つど》ひ所にて、ものさびしきやうなれど、心やれるさまにて経《へ》たまふほどに、にはかに重くわづらひたまひて、もののいと心細く思されければ、罪深き所に年経つるも、いみじう思して、尼になりたまひぬ。
大臣《おとど》聞きたまひて、かけかけしき筋にはあらねど、なほさる方のものをも聞こえあはせ人に思ひきこえつるを、かく思しなりにけるが口惜しうおぼえたまへば、驚きながら渡りたまへり。飽かずあはれなる御とぶらひ聞こえたまふ。近き御|枕上《まくらがみ》に御座《おまし》よそひて、脇息《けうそく》におしかかりて、御返りなど聞こえたまふむも、いたう弱りたまへるけはひなれば、絶えぬ心ざしのほどはえ見えたてまつらでやと口惜しうて、いみじう泣いたまふ。かくまでも思しとどめたりけるを、女もよろづにあはれに思して、斎宮の御ことをぞ聞こえたまふ。「心細くてとまりたまはむを、必ず事にふれて数まへきこえたまへ。また見ゆづる人もなく、たぐひなき御ありさまになむ。かひなき身ながらも、いましばし世の中を思ひのどむるほどは、とざまかうざまにものを思し知るまで見たてまつらむ、とこそ思ひたまへつれ」とても、消え入りつつ泣いたまふ。
「かかる御事なくてだに、思ひ放ちきこえさすべきにもあらぬを、まして心の及ばむに従ひては、何ごとも後見《うしろみ》きこえむとなん思うたまふる。さらにうしろめたくな思ひきこえたまひそ」など聞こえたまへば、「いと難きこと。まことにうち頼むべき親などにて見ゆづる人だに、女親に離れぬるは、いとあはれなることにこそはべるめれ。まして思ほし人めかさむにつけても、あぢきなき方やうちまじり、人に心もおかれたまはむ。うたてある思ひやりごとなれど、かけてさやうの世づいたる筋に思し寄るな。うき身をつみはべるにも、女は思ひの外《ほか》にてもの思ひを添ふるものになむはべりければ、いかでさる方をもて離れて見たてまつらむと思うたまふる」など聞こえたまへば、あいなくものたまふかな、と思せど、「年ごろによろづ思うたまへ知りにたるものを、昔のすき心のなごりあり顔にのたまひなすも本意《ほい》なくなむ。よしおのづから」とて、外《と》は暗うなり、内は大殿油《おほとのあぶら》のほのかに物より、透《とほ》りて見ゆるを、もしもやと思して、やをら御几帳のほころびより見たまへば、心もとなきほどの灯影《ほかげ》に、御髪《みぐし》いとをかしげにはなやかに削ぎて、寄りゐたまへる、絵に描《か》きたらむさまして、いみじうあはれなり。帳《ちやう》の東面《ひむがしおもて》に添ひ臥したまへるぞ宮ならむかし。御几帳のしどけなく引きやられたるより、御目とどめて見通したまへれば、頬杖《つらづゑ》つきて、いともの悲しとおぼいたるさまなり。はつかなれど、いとうつくしげならむと見ゆ。御髪のかかりたるほど、頭《かしら》つきけはひ、あてに気高《けだか》きものから、ひぢぢかに愛敬《あいぎやう》づきたまへるけはひしるく見えたまへば、心もとなくゆかしきにも、さばかりのたまふものを、と思し返す。
「いと苦しさまさりはべり。かたじけなきを、はや渡らせたまひね」とて、人にかき臥せられたまふ。「近く参り来たるしるしに、よろしう思さればうれしかるべきを、心苦しきわざかな。いかに思さるるぞ」とて、のぞきたまふ気色なれば、「いと恐ろしげにはべるや。乱り心地のいとかく限りなるをりしも渡らせたまへるは、まことに浅からずなむ。思ひはべることをすこしも聞こえさせつれば、さりともと頼もしくなむ」と聞こえさせたまふ。「かかる御遺言の列に思しけるも、いとどあはれになむ。故院の御子たちあまたものしたまへど、親しく睦び思ほすもをさをさなきを、上の同じ御子たちの中に数まへきこえたまひしかば、さこそは頼みきこえはべらめ。すこし大人しきほどになりぬる齢ながら、あつかふ人もなければ、さうざうしきを」など聞こえて、帰りたまひぬ。御とぶらひいますこしたちまさりて、しばしば聞こえたまふ。
現代語訳
そういえば、例の斎宮も御替わりなさったので、六条御息所が帰京なさって後、源氏の君は、以前と変わらぬようすで、何ごとにつけてもお見舞い申し上げることは、世にたぐいないほどまで情けをお尽くしなさるが、御息所は「以前さえ源氏の君は冷淡なお気持であられたのに、今となってはかえって辛いことになるだろう気持が、自分の中によみがえるのを見たくない」とあきらめてらっしゃるので、源氏の君は、御息所のもとにおでましになることなどは、これとといって無い。
むやみに御息所のお気持ちを刺激し申し上げなさっても、わが心ながら後々までそれが続くかは知りがたく、とやかく関わりあいになるようなお出歩きなども、立場上めんどうに思うようになっていらっしゃるので、無理押しもなさらない。ただ前斎宮(御息所の娘)のことを、どんなにご成長されているだろうと、逢ってみたいと思っていらっしゃる。
御息所は、やはり以前のまま、あの六条の旧邸をたいそうよく修理し手入れなさっていたので、優雅にお住まいになっておられた。風情あるご趣味は昔とかわることなく、よき女房など多く、風流な人々の集い所として、もの寂しいありさまながら、ご快適にお過ごしになっていらっしゃるうちに、急に重いご病気になられて、なんとなくひどく心細く思われたので、伊勢という仏教的には罪深い所に何年も暮らしていたことも恐ろしくお思いになって、尼になってしまわれた。
源氏の大臣はこれをお聞きなり、色めいた筋のことではないけれど、それでもやはり日常的なことのお話相手として御息所のことを存じ上げておられたのに、このようにご出家をご決意されたことが残念にお思いになったので、驚きながらお出ましになる。果てしなくしみじみ心深いお見舞いを申し上げなさる。
御息所は御身近い御枕もとに源氏の君の御座所をしつらえて、ご自身は脇息によりかかって、お返事など申し上げなさるのも、ひどく衰弱なさっているご様子なので、源氏の君は「昔と変わらぬ心ざしのほどをお見せ申し上げることもできぬまま逝ってしまわれるのか」と残念で、たいそうお泣きになる。
源氏の君がここまで自分に思いをとどめていらっしゃったことを、女(御息所)も万事しみじみと胸に迫る思いなられて、斎宮の御ことをお頼み申し上げる。
(御息所)「あれ(前斎宮)は心細い立場でこの世にお残りになりましょうから、必ず何かにつけて人並みにお目をかけてくださいまし。他に世話を頼める人とてなく、この上なく不幸なご境遇で。生きるかいもない身でありながら、私がもうしばらく平穏に生きていられる間は、あれがどうにかこうにか、ものの分別がわかるようになるまで養育申し上げようと思っておりましたのに」と仰せになりながらも、息も消え入りつつお泣きになる。
(源氏)「このような御事でなくてさえ、お見捨て申し上げるはずはございませんのに、まして事情をおうかがいした以上は、心の及ぶ限りお世話申し上げようと存じます。少しもご心配なさいますな」など申し上げなさると、(御息所)「それがひどく難しいことでして。本当に頼みにすべき実の親などにお世話をたのむ場合の娘でさえ、女親に死別してしまった娘は、ひどく不憫なことがございますようで、ましてお世話を頼む相手が将来的に御思い人めいた人となってしまえば、情けない事態も関わってきて、ほかの人々から疎んじられることにもなりましょう。不快な気のまわしようでしょうが、どうかそのような色めいた筋に娘を思わないでくださいまし。私自身の不幸な境遇を思い合わせてみましても、女は思いの外のもの思いが加わるものでございますので、どうかこの娘はそのような色めいた方面からは遠ざけておきたいと願っておりますのです」などと申し上げなさると、源氏の君は、「見当ちがいなことをおっしゃるものだな」とお思いになるが、(源氏)「私もこの年ごろ万事分別がついておりますのに、昔のような浮気心をまだ持っているかのように決めつけていらっしゃるのも心外なことで。まあそれは自然とわかっていただけるでしょう」といって、外は暗くなり、室内は大殿油がほのかに物ごしに透けて見えるのを、源氏の君は、もしやとお思いになり、そっと御几帳のほころびからご覧になると、心もとないばかりの火影に、御髪をとても美しく、くっきりと切りそろえて、物に寄りかかっていらっしゃるのが、絵に描いたようなありさまで、たいそう心に染み入る風情である。
帳の東側に物に寄りかかって横になっていらっしゃるのが、誰あろう前斎宮であるらしい。御几帳の帷子がゆったりと引き開けられたところから、御目をとどめてお覗きになると、頬杖をついて、たいそう悲しそうに物思いしていらっしゃるさまである。ちらりと見たぶんにも、たいそう可愛らしいように見える。
御髪のこぼれかかったあたり、頭の格好や雰囲気は、気品があり気高い感じであるが、小柄で、可愛らしくいらっしゃる気配をはっきりご覧になると、源氏の君は我慢できず、直接見てみたいとお思いになるが、御息所があれほどおっしゃっていたのだからと、思い直しになる。
(御息所)「ひどく気分が悪くなってまいりました。畏れ多いですから、どうぞお引取りください」
といって、女房に助けられて横になられる。(源氏)「近く参りましたかいがあって、ご気分がよくなられれば嬉しいでしょうが、気がかりなことですね。どんなご気分でございますか」といって、お覗きになるようすなので、(御息所)「ひどく恐ろしげな姿に衰えてございますよ。気持が乱れて、この病もほんとうにこれが最後という折も折、貴方さまにおいでいただきましたのは、まことに浅からぬご縁だと存じます。思っておりましたことをいささかなりとも申し上げましたので、たとえこれで命尽きてもと、頼もしく存じます」と申し上げなさる。
(源氏)「このような御遺言をお授けになる人の中に加えていただけたのも、とてもありがたいことですよ。故院の御子たちは多くいらっしゃいますが、親しく交流してくださる方はほとんどいらっしゃいませんが、故院がかの姫君を同じ御子たちの中に数に入れておぼしめしていらっしゃいましたので、私も姫君を実の妹のようにお頼み申し上げますでしょう。いささか人の親ともなるほどの年齢ともなりましたが、世話をやくような子もいませんので、寂しく思っておりましたから」など申し上げて、お帰りになった。それからというもの、御見舞いは以前よりもう少しねんごろになって、しばしばお寄せになられる。
語句
■かの斎宮 六条御息所の娘。六年前の秋、伊勢に下向(【賢木 07】)。当時14歳。現在20歳。 ■かはりたまひにしかば 斎宮は天皇が代替わりすると交代するので、朱雀帝退位、冷泉帝即位にともない帰京していた。 ■御息所 六条御息所。この時三十六歳。 ■何ごとも 風流方面のことも、実用生活上のことも。 ■なかなかならむなごりは見じ 今となっては辛い結果になるであろう、昔のような源氏の君への執心は、よみがえってこないようにと自分を抑える。 ■あながちに 無理に御息所と逢ったからとてその後は我ながらどうなるかわからず心変わりをするかもしれないので、そうなるといっそう御息所の恨みを買うことになる。だから今は行動を控えようという源氏の気持。 ■ところせう 源氏の立場上、以前のような自由な出歩きができないのである。 ■罪深き所 神に仕える伊勢の斎宮は仏教的なものは遠ざける。それが、仏教の側からみると罪深いと。 ■かけかけしい筋 恋心をかけるような色めいた筋。 ■さる方のもの 時節のあいさつなど風流方面のこと。 ■かく思しなりにける 出家を決意したこと。 ■けはいなれば 源氏は直接御息所の姿を見ることなく、御簾ごしに気配を感じている。 ■え見えたてまつらでや 下にお亡くなりになるだろうの意を省略。 ■思しとどめたりける 「けり」は今目の前にそのことを発見した驚き。 ■見ゆづる人 世話をたのむ人。 ■世の中を思ひのどむる 「世の中」は御息所の寿命。「のどむ」はゆっくり過ごす。 ■かかる御事 今聞いた御息所の遺言のこと。 ■心の及ばむに従ひては 心の及ぶ限り。 ■さらに 下の「な…そ」とあわせて強い禁止の意。 ■いと難きこと 御息所は源氏が娘に手を出すことを心配しているのである。 ■思ほし人めかさむ 御思い人めいた人。御息所は将来、娘が源氏に恋心をいだき、そのために多数のライバルと争うなど不幸に落ちることを心配している。 ■あぢきなき方 多くの女性とライバルとして争うことになるような事態。 ■人に心もおかれたまはむ 一人の夫(源氏)をめぐって他の女たちと争い、その女たちから憎まれたりすることを想定。御息所の台詞はとにかく長く、しつこく、恨み深く、粘着質をきわめる。 ■かけて 下の「な」と呼応して強い禁止を意味する。 ■世づいたる筋 好色めいた関係。 ■うき身をつみはべりければ 「身を抓む」は、自分の身に照らし合わせて他者に同情すること。思い合わせる。 ■さる方 男女関係。御息所は娘が源氏との関係において不幸になることを心配しているのである。それにしてもしつこい…。 ■あいなし 見当ちがいであること。御息所の心配はあながち見当ちがいでなく、実際源氏は御息所の娘に興味を持ち始めているのだが。 ■年ごろ 須磨・明石に侘住居をしていた数年間。 ■よしおのづから 下に「わかっていただけるでしょう」といった意味を補う。 ■大殿油 おほとのあぶら。おほとなぶら。宮中や貴人の家の正殿で灯す油の灯火。 ■もしもや 前斎宮である御息所の娘の姿を見られるのではないかという期待。源氏は成長した前斎宮の姿をまだ見たことがない。 ■はなやかに 髪の毛先を切りそろえているのがはっきり確認できる。 ■引きやられたる 几帳の帷子が片側に押しやられた状態。 ■ひぢぢか 語義不明。「小柄で」とする説を取る。親しみやすいとする説もあるが、いずれにしても肯定的な意味合いの形容語である。 ■さばかりのたまふ 六条御息所が、娘を色恋方面から遠ざけてくれといった言葉。「いかでさる方をもて離れて見たてまつらむ」。 ■かたじけなきを 病気の見苦しい姿を源氏の御目に入れることが。 ■限りなるを 生命の終わりに。これが最後、死ぬという段になって。 ■浅からず 源氏と御息所の縁が。源氏の厚意が、とする説も。 ■さりとも たとえこれで死んでしまっても(心配はない)。 ■上の同じ御子たちの中に数まへ… 生前、桐壷院は源氏が六条の御息所を疎遠にしていることをたしなめ、自分はこの姫君のことを皇女たちと同列に思っているとさとした。「斎宮をもこの皇女《みこ》たちの列《つら》になむ思へば…」(【葵 02】)。 ■さこそは 「さ」は故院の皇女として。つまり自分の妹宮として。 ■すこし大人しきほどになりぬる この時、源氏二十九歳。 ■あつかふ人 子として養育する人。子にめぐまれない源氏は権中納言に子の多いことをうらやむ(【澪標 04】)。さらにその権中納言の娘が弘徽殿女御として入内した件(【澪標 11】)もあり、源氏は子を養育したいという気を高めていた。