【澪標 15】六条の御息所、死去 源氏、失意の前斎宮をいたわる

原文

七八日ありて亡《う》せたまひにけり。あへなう思さるるに、世もいとはかなくて、もの心細く思されて、内裏《うち》へも参りたまはず、とかくの御事などおきてさせたまふ。また頼もしき人もことにおはせざりけり。古き斎宮の宮司《みやづかさ》など、仕うまつり馴れたるぞ、わづかに事ども定めける。

御みづからも渡りたまへり。宮に御消息聞こえたまふ。「何ごともおぼえはべらでなむ」と、女別当《によべたう》して聞こえたまへり。「聞こえさせのたまひおきしこともはべしを、今は隔てなきさまに思されば、うれしくなむ」と聞こえたまひて、人々召し出でて、あるべきことども仰せたまふ。いと頼もしげに、年ごろの御心ばへ、取り返しつべう見ゆ。いといかめしう、殿の人々数もなう仕うまつらせたまへり。

あはれにうちながめつつ、御|精進《さうじ》にて、御簾《みす》おろしこめて行はせたまふ。宮には、常にとぶらひきこえたまふ。やうやう御心静まりたまひては、みづから御返りなど聞こえたまふ。つつましう思したれど、御|乳母《めのと》など、「かたじけなし」と、そそのかしきこゆるなりけり。

雪|霙《みぞれ》かき乱れ荒るる日、いかに宮の御ありさまかすかにながめたまふらむ、と思ひやりきこえたまひて、御使奉れまへり。「ただ今の空を、いかに御覧ずらむ。

降りみだれひまなき空に亡きひとの天《あま》かけるらむ宿ぞかなしき」

空色の紙の、くもらはしきに書いたまへり。若き人の御目にとどまるばかりと、心してつくろひたまへる、いと目もあやなり。宮はいと聞こえにくくしたまへど、これかれ、「人づてには、いと便《びん》なきこと」と責めきこゆれば、鈍色《にびいろ》の紙の、いとかうばしう艶《えん》なるに、墨つきなど紛らはして、

消えがてにふるぞ悲しきかきくらしわが身それとも思ほえぬ世に

つつましげなる書きざま、いとおほどかに、御手すぐれてはあらねど、らうたげにあてはかなる筋に見ゆ。下りたまひしほどより、なほあらず思したりしを、今は心にかけてともかくも聞こえ寄りぬべきぞかし、と思すには、例のひき返し、「いとほしくこそ、故御息所のいとうしろめたげに心おきたまひしを、ことわりなれど、世の中の人もさやうに思ひよりぬべきことなるを、ひき違《たが》へ心清くてあつかひきこえむ。上《うへ》のいますこしもの思し知る齢《よはひ》にならせたまひなば、内裏住《うちず》みせさせたてまつりて、さうざうしきに、かしづきぐさにこそ」と思しなる。

いとまめやかにねむごろに聞こえたまひて、さるべきをりをりは渡りなどしたまふ。「かたじけなくとも、昔の御なごりに思しなずらへてけ遠からずもてなさせたまはばなむ、本意《ほい》なる心地すべき」など聞こえたまへど、わりなくもの恥ぢをしたまふ奥まりたる人ざまにて、ほのかにも御声など聞かせたてまつらむは、いと世になくめづらかなることと思したれば、人々も聞こえわづらひて、かかる御心ざまを愁へきこえあへり。「女別当内侍《によべたうないし》などいふ人々、あるは離れたてまつらぬわかむどほりなどにて、心ばせある人々多かるべし。この人知れず思ふ方のまじらひをせさせたてまつらむに、人に劣りたまふまじかめり。いかでさやかに御|容貌《かたち》を見てしがな」と思すも、うちとくべき御親心にはあらずやありけむ。わが御心も定めがたければ、かく思ふといふことも、人にも漏らしたまはず。御わざなどの御事をもとり分きてせさせたまへば、あり難き御心を宮人もよろこびあへり。

現代語訳

七八日すぎて御息所はお亡くなりになったのである。源氏の君はあっけなくお思いになって、人の世もたいそうはかなく、なんとなく心細くお思いになって、参内もなさらず、あれこれの御法事などを人にお命じつけになられる。

君の他に頼りになる人も別段いらっしゃらなかったのだ。昔から斎宮にお仕えしていた宮司など、お仕え馴れている人々が、わずかにさまざまな事を取り仕切った。

源氏の君ご自身もお出ましになった。前斎宮にお見舞いを申し上げなさる。(前斎宮)「何もかも、わからないような具合でございます」と、女別当を介して申し上げなさった。

(源氏)「私が故御息所にお話し申し、故御息所が私に言いおかれたこともございますので、今は隔てないようにお思いくださったら、うれしゅうございまして」と申し上げなさって、前斎宮つきの女房たちを召し出して、行うべきさまざまな用事を仰せつけになられる。

とても頼もしげで、ここ数年の源氏の君の故御息所に対する冷淡な御心具合も、取り返せるように見える。

たいそう仰々しく、二条院の人々をも、前斎宮邸に数知れずお仕え申し上げさせなさる。

源氏の君はしみじみと物思いに沈まれながら、御精進をなさって、御簾の内におこもりになって仏事のお勤めをなさる。前斎宮のもとへは常にご訪問なさる。前斎宮はしだいに御心が落ち着いてこられると、ご自身でお返事などなさる。気が引けたが、御乳母などが、「代筆では失礼にあたりますから」とおすすめ申し上げたのだった。

雪や霙が降り乱れて天候が荒れている日、源氏の君は、「どんなにか斎宮はこの空のけしきをさびしく眺めていらっしゃるだろう」と、思いやりなさって、御使をお遣わしになった。(源氏)「ただ今の空を、どうご覧になっておられましょうか。

降り乱れ…

(雪や霙が絶えず降り乱れているこの空に、亡き御息所はきっと天翔けていらっしゃるでしょう。その宿のようすを思うとしみじみ悲しさが
胸にせまります)

空色の紙の、くもったようなのにお書きになっている。若い人の御目に興味をひくようにと、気遣って意匠をこらしていらっしゃるのが、たいそう見ばえがする。

前斎宮はたいそうお返事しづらそうになさっているが、誰彼となく傍らの女房たちが、「代筆では、ひどく具合が悪いことです」とお責め申し上げるので、鈍色の紙の、たいそう香ばしく風情があるのに、墨の濃淡なども感じよく書き紛らわして、

(前斎宮)消えがてに…

(雪が消えることなく降るように、わが身も消えることなく日々を過ごしておりますのが悲しゅうございます。目の前が真っ暗になります。わが身がわが身とも思えないこの世に生きながらえておりますのは)

遠慮がちな書きようは、とてもおおらかで、御手跡は上手というわけではないが、可愛らしく気品がただよっている筋と見える。

源氏の君は、斎宮が伊勢に下られた時から、やはり見過ごしにできぬとお思いであったが、今は心にかけてどうとでも言い寄ることができるのだとお思いになるが、しかし一方ではまたいつものように思い直して、「やはりそれはおいたわしいことだ。故御息所がたいそう心配そうにお心を残してゆかれた、そのご心配は道理であるが、世の中の人もそのように想像するにちがいないことであるから、色めいた気持とはうって変わって、潔白な心でお取り扱い申し上げよう。帝がもう少し分別のつくご年齢におなりあそばしたら、宮中に住まわせ申し上げて、私は子が少ないので物足りないのだから、この斎宮を娘として可愛がることにしよう」とご決心なさる。

源氏の君は、とてもこまやかに、丁重に前斎宮にお便りをなさって、しかるべき折々には御邸においでになったりなさる。

(源氏)「畏れ多いことですが、私のことを故御息所のゆかりの者とおみなしになって、お気軽にお付き合いくださいましたら、本望という気持がするでしょう」など申し上げなさるが、前斎宮は、むやみに恥ずかしがり屋で奥手なお人柄で、ほんの少しでも御声などお聞かせ申し上げるのは、ひどくありえない思いもよらぬこととお思いになっていらっしゃるので、女房たちもどう申し上げていいか困って、前斎宮のこうしたご気性を心配しあっている。

(源氏)「女別当や内侍などという人々、あるいはご血縁の御皇族出身の御方々などで、たしなみのある方々が多く仕えていらっしゃるだろう。私がひそかに考えている入内をさせ申し上げるのに、他の人に劣るということはないだろう。どうにかしてはっきりと御器量を拝見したいものだが」とお思いになるのも、うちとけた御親心からばかりではなかったのだろう。君はこの先、ご自身のお気持もどうなるかわからないので、このように思っているということも、人にもお漏らしにならない。故御息所の御法事などの御事をも特別にお世話なさるので、り仕切っておさせなさるので、めったいにない君の御心づかいを、宮家の人々も喜びあっている。

語句

■あへなう 「敢へ無し」はあっけない。かいがない。御息所のあっけない死に、人生の無常を実感している。 ■御事 御息所の葬儀とそれに伴う諸仏事。 ■古き斎宮の宮司 以前から斎宮の宮司(身辺にお仕えする世話役)をしていた者。次の「仕うまつり馴れたる」と同格。 ■女別当 斎宮寮の長官は男女一名ずつがなるが、その女のほう。かつて源氏への返歌を代筆した(【賢木 05】)。 ■聞こえさせのたまひおきし 「聞こえさせ」は源氏から御息所に。「のたまひおきし」は御息所から源氏に。 ■はべし 「はべりし」の音便ンの撥音無表記。 ■殿の人々 源氏のすまいである二条院で仕えている人々。女房など。 ■かたじけなし 「代筆では」の意を補う。畏れ多い。失礼である。 ■そそのかしきこゆる 「そそのかす」はそうするようにすすめる。現代語のように、悪事をすすめるという意味合いはない。 ■降りみだれ… 「亡きひと」は故御息所。人が亡くなって四十九日間はもと住んでいた家に留まるとする仏教の考えによる。 ■空色の紙 葵の上の喪中にも「空の色したる唐の紙」が使われた(【葵 21】)。 ■鈍色 薄墨色。 ■紛らはして 鈍色の紙に墨の色がまじりあい調和するように書く。 ■消えがてに… 「がてに」は…できなくて。…しかねて。「ふ《経》る」に「降る」を、「身それ」に「霙」をかける。「消え」「降る」「かきくらし」は「霙」の縁語。 ■下りたまひしほどより 源氏は斎宮が伊勢下向のとき「ただならず」思って、執着した(【賢木 05】)。 ■なほあらず やはりこのままではおけない。見過ごしにできない。 ■例のひき返し 以前、斎宮の姿をちら見した時も興味をそそられたが、御息所の遺言により「思し返す」とある(【澪標 14】)。好色三昧にふるまっていた若き日の源氏ではなく、分別がついてきている。 ■上 冷泉帝。この時、十一歳。 ■内裏住み 冷泉帝の女御として入内させること。 ■さうざうしきに 源氏は御息所の遺言に対して、「あつかふ人もなければ、さうざうしきを」と表明していた(【澪標 14】)。 ■いとまめやかに 色めいた筋のことではなく。 ■昔の御なごりに 故御息所のゆかりの者。 ■思しなずらへて 「なずらふ」は同じにみなす。準ずる。 ■女別当内侍 「女別当」は斎宮寮の長官で男女一名ずついるうちの女のほうで、前斎宮つきの女房。「内侍」も前斎宮つきの女房。 ■離れたてまつらぬ 前斎宮と縁故であること。 ■わかむどほり わかんどほり。皇族出身の者。皇族の血統。 ■心ばせある人々多かるべし 前に「よき女房など多く、すいたる人の集い所」とある(【澪標 14】)。 ■まじらひ 宮中での交じらい=入内すること。 ■さやかに 以前、源氏は前斎宮の姿を「はつかに」見た(【澪標 14】)。 ■うちとくべき御親心にはあらず 源氏の前斎宮への執心は、庇護者としての親心からだけでなく、好色めいた気持がまだ混じっているという指摘。 ■わが御心も定めがたければ 今は前斎宮の庇護者としてふるまっているが、いつ恋心に転ずるか、源氏自身、制御がきかないのである。 ■人にも漏らしたまはず 帝に入内させようとしている女を恋人にするは朝廷への冒涜にも等しい。

朗読・解説:左大臣光永

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