【澪標 16】前斎宮、悲しみの日々を過ごす 朱雀院、前斎宮の入内を欲す

原文

はかなく過ぐる月日にそへて、いとどさびしく、心細きことのみまさるに、さぶらふ人々もやうやうあかれゆきなどして、下《しも》つ方の京極《きやうごく》わたりなれば、人げ遠く、山寺の入相《いりあひ》の声々にそヘても、音泣きがちにてぞ過ぐしたまふ。同じき御親と聞こえし中にも、片時の間《ま》も立ち離れたてまつりたまはでならはしたてまつりたまひて、斎宮にも親添ひて下りたまふことは例なき事なるを、あながちに誘ひきこえたまひし御心に、限りある道にてはたぐひきこえたまはずなりにしを、干《ひ》る世なう思し嘆きたり。

さぶらふ人々、貴きも賤しきもあまたあり。されど大臣《おとど》の「御|乳母《めのと》たちだに、心にまかせたること、ひき出だし仕うまつるな」など、親がり申したまへば、いと恥づかしき御ありさまに、便《びん》なきこと聞こしめしつけられじ、と言ひ思ひつつ、はかなきことの情もさらにつくらず。

院にも、かの下りたまひし大極殿《だいごくでん》のいつかしかりし儀式に、ゆゆしきまで見えたまひし御|容貌《かたち》を、忘れがたう思しおきければ、「参りたまひて、斎院《さいゐん》など御はらからの宮々おはしますたぐひにて、さぶらひたまへ」と、御息所《みやすどころ》にも聞こえたまひき。されど、やむごとなき人々さぶらひたまふに、数々なる御|後見《うしろみ》もなくてやと思しつつみ、上はいとあつしうおはしますも恐ろしう、またもの思ひや加へたまはん、と憚り過ぐしたまひしを、今はまして誰かは仕うまつらむ、と人々思ひたるを、ねむごろに院には思しのたまはせけり。

現代語訳

前斎宮は、はかなる過ぎる月日とともに、ひどくさびしく、心細いことばかりがつのるので、お仕えしている人々もしだいに離れ行きなどして、ここは下京の京極あたりなので、人の気配も少なく、山寺の入相の鐘の音があちこちから響いてくるにつけても、声を上げて泣くことが多い日々をお過ごしになる。

同じ御親と申す中にも、片時の間もお離れ申し上げなさらず、ずっとご一緒であられて、斎宮としての伊勢下向にも親が付き添ってお下りになることは先例のないことであるのに、無理に母君をお誘い申し上げた、それほどの御気持であったのに、限りある命の道においてはご一緒できなかったことを、涙がかわく時もなく思い嘆いていらっしゃる。

前斎宮にお仕えする人々は、身分の高い人も賎しい人も多くいる。しかし源氏の大臣が「御乳母たちであっても、好き勝手なことは、ひき起こすでないぞ」など、親ぶって申されるので、この気後れするほど立派な源氏の大臣のご様子に、不都合なことをお耳に入れるわけにはいかないと、皆で警戒しているので、前斎宮に対してちょっとでも色めいたことは、けして許さないようにしている。

院も、あの伊勢にお下りにった時の大極殿での荘厳だった儀式に、不吉なまでに美しくお見えであった斎宮の御姿を、忘れがたく、記憶にとどめていらっしゃるので、(院)「参内なさって、斎院など私の姉妹の女官たちがいらっしゃるのと同じように、お過ごしください」と、御息所にも仰せになっておられた。しかし御息所は、「高貴な方々が宮中には多くお仕えしていらっしゃるのに、この娘には数多くの御後見もいないでは」とご遠慮なさって、それに院がたいそう病重くいらっしゃるのも恐ろしく、「この娘もまた物思いがお加わりになるのではないか」と、躊躇してお過ごしになっていらしたのを、今はまして誰が前斎宮をお世話申し上げるのだろうと、人々は思っているところを、親身に院は以前とかわらず、前斎宮が参代することを思い、仰せになっておられた。

語句

■下つ方の京極わたり 六条京極は下京。人気は少ない。 ■山寺の入相の声々 「山寺の入相の鐘の声ごとに今日も暮れぬと聞くぞ悲しき」(拾遺・哀傷 読人しらず)。「入相」は夕暮。「山寺の入相の声々」が次の「音」を導く。 ■斎宮にも親添ひて 賢木巻には斎宮の伊勢下向に同行する御息所の心理描写があった。「親添ひて下りたまふ例も、ことになけれど、いと見放ちがたき御ありさまなるにことつけて、うき世を行き離れむと思う」(【賢木 01】)。 ■限りある道 死出の道。 ■はかなきことの情もさらにつくらず 女房たちは、源氏に前斎宮についての不都合な話を耳に入れたくない。だからたとえばどこかの男性が前斎宮に艷書を送ろうとしたとしても、それをぜったいに許さないのである。 ■かの下りたまひし 朱雀院は伊勢下向の日の「別れの櫛の儀」のとき、前斎宮に「御心動きて」いた(【賢木 06】)。 ■斎院 桐壺院の女三の宮(【葵 04】)。 ■御はらからの宮々おはしますたぐひにて 斎宮を桐壺院の養女にして。すると朱雀院(帝)と斎宮は同格となる。 ■またもの思ひや加えたまはん もし朱雀院がはやく亡くなったら斎宮は悲しみを加えることになるだろうという心配。御息所ははやくに東宮と死別したので、「娘も私と同じ不幸を味わうことになるのではないか」と心配していたのである。 ■今はまして 母御息所がなくなった今は。

朗読・解説:左大臣光永