【澪標 17】源氏、藤壺に前斎宮の入内をはかる

原文

大臣聞きたまひて、院より御気色あらむを、ひき違《たが》へ横取りたまはむを、かたじけなき事と思すに、人の御ありさまのいとらうたげに、見放たむはまた口惜しうて、入道の宮にぞ聞こえたまひける。

「かうかうの事をなむ思うたまへわづらふに、母御息所《ははみやすどころ》いと重々しく心深きさまにものしはべりしを、あぢきなきすき心にまかせて、さるまじき名をも流し、うきものに思ひおかれはべりにしをなん、世にいとほしく思ひたまふる。この世にて、その恨みの心とけず過ぎはべりにしを、いまはとなりての際《きは》に、この斎宮《さいぐう》の御ことをなむものせられしかば、さも聞きおき、心にも残すまじうこそは、さすがに見おきたまひけめ、と思ひたまふるにも、忍びがたう。おほかたの世につけてだに、心苦しきことは見聞き過ぐされぬわざにはべるを、いかで亡き蔭《かげ》にてもかの恨み忘るばかり、と思ひたまふるを、内裏《うち》にもさこそ大人びさせたまへど、いときなき御齢におはしますを、すこしものの心知る人はさぶらはれてもよくやと思ひたまふるを、御定めに」など聞こえたまへば、「いとよう思し寄りけるを。院にも思さむことは、げにかたじけなう、いとほしかるべけれど、かの御遺言をかこちて知らず顔に参らせたてまつりたまへかし。今はた、さやうの事わざとも思しとどめず、御行ひがちになりたまひて、かう聞こえたまふを、深うしも思し咎めじと思ひたまふる」「さらば御気色ありて数まへさせたまはば、もよほしばかりの言《こと》を添ふるになしはべらむ。とざまかうざまに思ひたまへ残すことなきに、かくまでさばかりの心構へもまねびはベるに、世人やいかにとこそ、憚りはべれ」など聞こえたまて、後には、げに知らぬやらにてここに渡したてまつりてむ、と思す。女君にも、「しかなん思ふ。語らひきこえて過ぐいたまはむに、いとさきほどなるあはひならむ」と、聞こえ知らせたまへば、うれしきことに思して、御わたりの事をいそぎたまふ。

人道の宮、兵部卿宮の、姫君をいつしかとかしづき騒ぎたまふめるを、大臣の隙ある仲にて、いかがもてなしたまはむ、と心苦しく思す。

権中納言の御むすめは、弘徽殿《こきでんの》女御と聞こゆ。大殿の御子にて、いとよそほしうもてかしづきたまふ。上《うへ》もよき御遊びがたきに思いたり。「宮の中の君も同じほどにおはすれば、うたて雛《ひひな》遊びの心地すべきを、大人しき御後見は、いとうれしかべいこと」と思しのたまひて、さる御気色聞こえたまひつつ、大臣のよろづに思しいたらぬことなく、公《おほやけ》方の御後見はさらにもいはず、明け暮れにつけて、こまかなる御心ばへの、いとあはれに見えたまふを、頼もしきものに思ひきこえたまひて、いとあつしくのみおはしませば、参りなどしたまひても、心やすくさぶらひたまふことも難きを、すこし大人びて、添ひさぶらはむ御後見は、必ずあるべきことなりけり。

現代語訳

源氏の大臣はこれをお聞きになって、院から前斎宮をほしいというご要望があるのに、それにそむいてに横取りなさるのを、畏れ多いこととお思いになるが、前斎宮の御ようすがたいそう可愛らしく、見放すのもまた残念であるので、入道の宮(藤壺)にご相談なさるのだった。

(源氏)「こうこうの事を思いわずらっておりますが、母御息所はたいそう落ち着いて慎み深い御人柄でいらっしゃいましたのに、私がつまらぬ好色心にまかせて、ひどい浮名をも流し、憎い相手とお思いになったままになりましたことを、ひどくいたわしく存じております。今生の世においては、その恨みの心がとけずに終わってしまいましたが、御臨終の際に、この斎宮の御ことを私に託されましたので、私のことを頼りになる者と人から聞いて、心の内を残らず打ち明けられたのですから、やはり私のことを信頼しておられたのだろうと思うにつけても、いたたまれない気持でございます。私は、自分と無関係のことでさえ、お気の毒なことは見過ごすことができぬ性分でございますので、どうにかして草葉の蔭にても御息所があの恨みをお忘れになるていどには前斎宮をお世話申し上げたいと思っております。さて帝(冷泉帝)にあらせられましても、あれほどご成長なさってはおられますが、まだ幼い御年齢でいらっしゃいますので、すこしものの分別がついた人がお仕えしていてもよいのではと思いまして、それについて御判断を仰ぎたく…」など申し上げなさると、(藤壺)「よくぞお気が付かれました。院もご所望であることは、なるほど畏れ多く、気の毒にはございましょうが、その御遺言を理由に、院からご所望の件は知らなかった風によそおって入内させておしまいなさい。院もご譲位なさった今となっては、おそらく色めいた事などにはこだわっておられず、もっぱら仏事のお勤めをなさって、このように申し上げになっても、きつくお咎めにはなるまい、と存じます」(源氏)「では入内のご意向がおありで、前斎宮をその数に加えてくださるならば、私からは形だけの口添えをいたしましょう。あれこれ考えを尽くして、こうした私の心づもりもそっくり申し上げるのですが、世間の人がいかに噂するかと、それが心配でございます」など申し上げなさって、後には、ほんとうに知らないふりをして前斎宮を二条院にお移し申し上げよう、とお思いになる。

女君(紫の上)にも、(源氏)「このように思うのです。ご相談相手としてお過ごしになるのに、年の頃もたいそうぴったりでしょう」と、お知らせなさると、女君はうれしい事にお思いになって、前斎宮がおいでになる準備をお急ぎになる。

入道の宮(藤壺)は、兵部卿宮が、姫君をいつか入内させようと大騒ぎで大切にお育てしていらっしゃるらしいが、源氏の大臣は兵部卿宮とお仲がお悪いので、どのようにお取り扱いになられるだろうかと、お心を痛めていらっしゃる。

権中納言の御むすめは、弘徽殿女御と申し上げる。太政大臣の御養女で、たいそういかめしく美しく大切に養育なさっている。

帝もよい御遊び相手と思っていらっしゃる。(藤壺)「兵部卿宮の中の君も同じ年頃でいらっしゃるので、ひどく雛遊びじみた気がしましょうから、大人びた御後見人は、とても嬉しいに違いないこと」とお思いになり、仰せになり、そのようなご意向を帝に幾度も申し上げなさっては、源氏の大臣が万事において気配りが行き届かぬ所とてなく、政治上のことの御補佐は言うまでもなく、明け暮れにつけての細かい御心づかいを、しみじみ嬉しく感じられなさるので、たいそう頼もしいものとお思いになって、入道の宮ご自身はひどく病弱でいらっしゃるので、帝のもとにお参りなどなさっても、ゆっくり帝のおそばに侍していらっしゃることも難しいので、帝よりすこし大人びて、おそばにお付き添いする御世話役は、どうしても必要なのであった。

語句

■ひき違へ 源氏は前斎宮の親代わりになるだけでなく色恋めいた気持も抱いている。そこで朱雀院の要望通り前斎宮を渡してしまうのではなく、前斎宮を冷泉帝の世話役とすることでそのバックで自分が関係を持とうと秘かに計画している。 ■かたじけなき事 朱雀院は源氏と敵対することを好まれない。そのことを源氏はじゅうぶん承知しており、また上皇という地位からも「かたじけない」のである。 ■さるまじき名 そうあってはならない評判。源氏との関係についての風聞。 ■さも聞きおき 「さも」は頼りになる者としての意。 ■心にも残すまじう 御息所が心の中に言うべきことを残さず、すべて言葉に出して打ち明けたの意。 ■さすがに いくら自分のことを恨んでいるとはいっても、そこはやはり信頼してくださっていたのだろうの意。 ■おほかたの世 通り一遍のこと。自分には無関係のこと。 ■忘るばかり 後に「お世話したい」の意を補って読む。 ■いときなき 冷泉帝はこの時十一歳。源氏は前斎宮を冷泉帝の世話役につけることで、前斎宮とのつながりを強めようとするのである。このあたりの源氏の口の回り方は見事。 ■御定めに 藤壺の判断にまかせている。 ■げにかたじけなう 「かたじけない」ことは源氏の会話文中の「かうかうの事」の中に省略されている。 ■今はた 「はた」は下に否定語をともなって「きっと、おそらく…ない」。 ■さやうの事 女性関係。 ■こう聞こえたまふを 前斎宮入内のことを源氏が朱雀院に申し上げなさっても。 ■もよほしばかりの言 前斎宮に入内をすすめること。 ■世人やいかに 源氏と前斎宮の間によからぬ関係があるのではないかと世間が噂することを心配している。 ■げに知らぬやうにて 前の藤壺の台詞中の「知らず顔に参らせたてまつりたまへかし」を受ける。 ■ここに 二条院に。 ■しかなん思ふ 前斎宮を養女として二条院で引き取るという話。 ■いとよきほど この時、前斎宮二十歳、紫の上二十一歳。 ■兵部卿宮の… 兵部卿宮が姫君を入内させたがっていることは前述(【澪標 14】)。この「姫君」は紫の上の異母姉妹。 ■隙ある 仲たがいしている。源氏と兵部卿宮の間に確執があることはこれまでも度々描かれている。 ■権中納言の御むすめ 「権中納言の御むすめ、その年の八月に参らせたまふ」(【澪標 14】)。権中納言はもとの頭中将。 ■大殿の御子にて 太政大臣の養女で。権中納言は太政大臣の子で、とする説も。 ■よそほしう 「よそほし」はいかめしく美しい。整って立派である。 ■宮の中の君 兵部卿宮の中の君。 ■御遊びがたき 冷泉帝十一歳。女御十ニ歳。 ■大人しき御後見 前斎宮のこと。兵部卿宮の中の君も、権中納言の娘も幼いくて、帝の御世話役としては心もとない。やはり帝の御世話役としては前斎宮が最適と、藤壺は思うのである。 ■いとあつしく 藤壺が病弱であること。

朗読・解説:左大臣光永