【明石 19】源氏、帰京 紫の上と再会 権大納言に昇進

原文

君は難波《なには》の方に渡りて御|祓《はらへ》したまひて、住吉にも、たひらかにて、いろいろの願はたし申すべきよし、御使して申させたまふ。にはかに、ところせうて、みづからはこの度え詣でたまはず。ことなる御|逍遙《せうえう》などなくて、急ぎ入りたまひぬ。

二条院におはしましつきて、都の人も、御供の人も、夢の心地して行きあひ、よろこび泣きもゆゆしきまでたち騒ぎたり。女君もかひなきものに思し棄てつる命、うれしう思さるらむかし。いとうつくしげにねびととのほりて、御もの思ひのほどに、ところせかりし御|髪《ぐし》のすこしへがれたるしもいみじうめでたきを、今はかくて見るべきぞかしと、御心落ちゐるにつけては、またかの飽かず別れし人の思へりしさま心苦しう思しやらる。なほ世とともに、かかる方にて御心の暇《いとま》ぞなきや。その人のことどもなど聞こえ出でたまへり。思し出でたる御気色浅からず見ゆるを、ただならずや見たてまつりたまふらん。わざとならず、「身をば思はず」などほのめかしたまふぞ、をかしうらうたく思ひきこえたまふ。かつ見るにだに飽かぬ御さまを、いかで隔てつる年月ぞ、とあさましきまで思ほすに、とり返し世の中もいと恨めしうなん。

ほどもなく、もとの御位あらたまりて、数より外《ほか》の権大納言になりたまふ。次々の人も、さるべきかぎりは、もとの官《つかさ》
還《かへ》し賜はり世にゆるさるるほど、枯れたりし木の春にあへる心地して、いとめでたげなり。

現代語訳

源氏の君は難波の方に渡って御祓をなさって、住吉明神にも、平穏無事に、さまざまの願の願ほどきを申し上げるべき旨を御使を遣わせて申し上げなさる。

にはかのご帰京であり、自由がきかず、ご自身は今回はご参詣されない。これとてったご遊覧などはなく、急いで京にお入りになる。

二条院にご到着になって、都の人も、明石から御供してきた人も、夢の心地がして顔をあわせ、よろこび泣きも不吉なまでにたち騒いでいる。

女君(紫の上)もかいのないものと諦めていらした命だが、うれしくお思いになっているだろう。たいそう美しげにご成長して容姿がととのいなさって、御もの思いにくれている間に、多かった御髪がすこし少なくなっているのも、かえったとても美しく見えるのを、源氏の君は、「今はこうしていつもこの人を見ていられるのだ」と、御心を落ち着かせなさるにつけては、また一方で、あのまだまだご一緒したい気持のまま別れた人(明石の君)の物思いにくれていたさまが、心苦しく思いやられる。

やはりこの御方は、色恋が絶えることなく、こうした方面において御心やすまる暇がないことだ。

源氏の君は、その人(明石の君)のことなどもすっかり女君(紫の上)にお話出しなさる。思い出しなさっているご様子が並々でないものに見えるのを、女君は心穏やかでなく拝見なさっているようだ。女君がそれとなく「身をば思わず」などあてこすりなさるのを、源氏の君は、おかしく可愛らしくお思いになる。

古歌にあるように、ちらりと見ただけでもずっと見ていたくなる女君のご様子を、どうやって長い年月逢わずにいられたのだろうかと、呆れるほどまでにお思いになるにつけ、今さらながら世の中のこともたいそう恨めしくお思いになる。

すぐにもとの御位が改まって、員外の権大納言にご昇進なさる。それより順々に、しかるべき身分の方々は、もとの官職がもどし与えられ、世に許されるようすは、枯れた木が春にあう心地して、とてもめでたげである。

語句

■いろいろの願 源氏は須磨で暴風雨にあった時、住吉の神にいろいろの願を立てた(【明石 02】)。 ■ところせき 御供の人と、都から参ったお迎えの人でごった返していたから。 ■思し棄てつる命 紫の上が源氏と別れたときによんだ歌「惜しからぬ命にかへて目の前の別れをしばしとどめてしかな」(【須磨 10】)。 ■へがれたる 「剥《へ》がる」は髪の毛が薄くなる。 ■なほ世とともに 「世」は男女の関係。源氏の君には常に色恋がつきまとうの意。 ■身をば思はず 「忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな」(拾遺・恋四/小倉百人一首三十八番 右近)。歌意は、貴方に忘れられた私の身はどうでもいいが、神仏にかけて私を忘れないと誓った貴方の命が惜しい、罰が当たって死んでしまうのだから。 ■かつ見るにだに 「陸奥の安積の沼の花がつみかつ見る人に恋ひやわたらむ」(古今・恋四 読人しらず)。歌意は、ほんの少し見た人をずっと恋しく思いつづけることになるのだろうか。「陸奥の安積の沼の花がつみ」は「かつ」を導く序詞。 ■とり返し 須磨に下る前に立ち返って。 ■世の中もいと恨めしう 世間のことゆえに紫の上とも離れ離れになってしまったので。 ■もとの御位 源氏のもとの官職は参議右大将。 ■あらたまりて いったん元の官位にもどって、それから昇進となる。 ■数より外の 令で定められた大納言の定員外の。すなわち権大納言。 ■

朗読・解説:左大臣光永