【須磨 10】源氏、紫の上と別れ、須磨の浦に行く

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原文

その日は、女君に御物語のどかに聞こえ暮らしたまひて、例の夜深く出でたまふ。狩の御|衣《ぞ》など、旅の御よそひいたくやつしたまひて、「月出でにけりな。なほすこし出でて見だに送りたまへかし。いかに聞こゆべきこと多くつもりにけりとおぼえむとすらん。一二日《ひとひふつか》たまさかに隔つるをりだに、あやしういぶせき心地するものを」とて、御簾《みす》捲《ま》き上げて、端にいざなひきこえたまへば、女君泣き沈みたまへる、ためらひてゐざり出でたまへる、月影に、いみじうをかしげにてゐたまヘり。わが身かくてはかなき世を別れなば、いかなるさまにさすらへたまはむと、うしろめたく悲しけれど、思し入りたるに、いとどしかるべければ、

「生ける世の別れを知らで契りつつ命を人にかぎりけるかな

はかなし」など、浅はかに聞こえなしたまへば、

惜しからぬ命にかへて目の前の別れをしばしとどめてしかな

げにさぞ思さるらむ、といと見捨てがたけれど、明けはてなばはしたなかるべきにより、急ぎ出でたまひぬ。

道すがら面影につとそひて、胸も塞がりながら、御舟に乗りたまひぬ。日長きころなれば、追風さへそひて、まだ申《さる》の刻《とき》ばかりに、かの浦に着きたまひぬ。かりそめの道にても、かかる旅をならひたまはぬ心地に、心細さもをかしさもめづらかなり。大江殿《おほえどの》と言ひける所は、いたう荒れて、松ばかりぞしるしなる。

唐国《からくに》に名を残しける人よりも行く方しられぬ家ゐをやせむ

渚に寄る波のかつ返るを見たまひて、「うらやましくも」とうち誦《ず》じたまへるさま、さる世の古事《ふるごと》なれど、めづらしう聞きなされ、悲しとのみ、御供の人々思へり。うちかへりみたまへるに、来し方の山は霞遙かにて、まことに三千里の外の心地するに、權の雫もたへがたし。

ふる里を峰の霞はへだつれどながむる空はおなじ雲ゐか

つらからぬものなくなむ。

現代語訳

ご出立の当日は、姫君(紫の上)に日が暮れるまでのんびりとお話しなさって、いつものように夜深くにご出立になる。

狩のお召し物など、旅の御衣裳をたいそう目立たないようになさって、(源氏)「月が出ましたね。もうすこし出てきて、せめてお見送りだけでもしてください。むこうに行ってからは、どんなにかお話したいことが多く積もってしまったなと、思うようになるでしょうから。一二日たまに会わない時でさえ、妙に気分が晴れないのですから」とおっしゃって、御簾を捲き上げて、端にお誘い申し上げなさるとね姫君は泣き沈んでいらっしゃったが、しばらくご気分を落ち着かせてから、いざり出ていらした。その御姿が、月の光に、たいそう美しく照らされて座っていらっしゃる。

(源氏)「自分がこうしてはかない世の中を離れてしまったら、この人はどんな有様でおさすらいになるだろう」と、源氏の君は気がかりで悲しかったが、姫君は思いつめていらっしゃるのだから、何か言えばいよいよお悲しみになるに違いないので、

(源氏)「生ける世の…

(生き別れというものがあるということも知らずに、命ある限りは別れまいと何度も貴女に約束したことですよ)

思えばはかないことで」など、わざと軽くおっしゃると、

(紫の上)惜しからぬ…

(惜しくもない私の命にかえても、目の前の別れをしばし引きとどめたいものです)

「なるほどそのようにお思いになっているだろう」とたいそう見捨てがたいが、すっかり夜が明けてしまうと人目に体裁が悪いにちがいないので、急いでご出発される。

道中、姫君の面影がぴったりと寄り添って、胸もふさがる思いのまま、御舟にお乗りになった。

日が長い時期なので、追い風までも加わって、まだ申の刻(午後4時)ごろに、その浦にお着きになった。

源氏の君は一時的なお出かけとしても、このような旅の経験はおありではなかったので、そのお気持ちに、心細さもおもしろさも、初めてのようにお感じになる。

大江殿と呼ばれた所は、たいそう荒れていて、松だけがそのしるしとして残っているのである。

(源氏)唐国に…

(中国で名を残した屈原以上に、私は将来のこともわからない旅住いをするのだろうか)

渚に寄る波が、寄せてはまた返すのをご覧になって、「うらやましくも」とつい口ずさみなさるご様子は、そうした世に言い古された事であるが、事新しく聞こえ、御供の人々はひたすら悲しく思うのだった。

振り返ってご覧になると、来た方角の山は霞が遠くまでかかって、まことに三千里の外の心地がするので、櫂の雫のようにこぼれ落ちる涙もおさえることができない。

(源氏)ふる里を…

故郷を峰の霞が隔ててしまったが、私が今眺めているる空は都のそれと同じ空なのだろうか。

何ひとつとしてつらからぬものはないのだった。

語句

■例の夜深く 夜明け前に旅立つのがふつうだった(『おくのほそ道』千住)。 ■狩の御衣 狩衣。狩の時着用したものが、後に貴族の略服となった。 ■いぶせき 「いぶせし」は気持ちが晴れない。不快である。 ■浅はかに聞こえなしたまへば 紫の上を悲しませないために、わざと軽く言ったもの。 ■道すがら 伏見まで馬か徒歩で行き、草津港から舟に乗って難波まで行く。これが当時の一日の行程。『平家物語』に鹿谷事件の首謀者として逮捕された大納言成親が進んだコースがおそらく光源氏のそれと重なる(『平家物語』大納言流罪)。 ■かりそめの道 物見遊山などのお出かけ。 ■大江殿 斎宮が交代するので帰京する際に宿所となった所。淀川の岸の大江の浦にあった。源融の別院とする説も。大阪市北区中之島1丁目に大江橋。 ■唐国に… 「唐国に名を残しける人」は楚の屈原。楚王の一類で重く用いられたが讒言にあって流浪し、最後は汨羅江に身を投げた。 ■うらやましくも 「いとどしく過ぎゆく方の恋しきにうらやましくもかへる波かな」(伊勢物語七段、後撰・羇旅 業平)。 ■三千里の外 「十一月中ノ長至ノ夜 三千里ノ外遠行ノ人 若シ独リ楊梅館ニ宿ルコトヲ為ストモ 冷枕単牀一病身ナラム」(白氏文集巻十三・冬至宿楊梅館)。 ■櫂の雫 「わが上に露ぞ置くなる天の川門渡る舟の櫂のしづくか」(古今・雑上 読人しらず、伊勢物語五十九段)。

朗読・解説:左大臣光永

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