【明石 20】源氏、参内してしめやかに朱雀帝と物語する

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原文

召しありて、内裏《うち》に参りたまふ。御前にさぶらひたまふに、ねびまさりて、いかでさるものむつかしき住まひに年経たまひつらむ、と見たてまつる。女房などの、院の御時よりさぶらひて、老いしらへるどもは、悲しくて、今さらに泣き騒ぎめできこゆ。上も、恥づかしうさへ思しめされて、御よそひなど、ことにひきつくろひて出でおはします。御心地例ならで、日ごろ経させたまひければ、いたうおとろへさせたまへるを、昨日今日ぞすこしよろしう思されける。御物語しめやかにありて、夜に入りぬ。十五夜の月おもしろう静かなるに、昔のことかきつくし思し出でられて、しほたれさせたまふ。もの心細く思さるるなるべし。「遊びなどもせず、昔聞きし物の音《ね》なども聞かで久しうなりにけるかな」とのたまはするに、

わたつ海にしづみうらぶれ蛙《ひる》の子の脚立たざりし年はへにけり

と聞こえたまへば、いとあはれに心恥づかしう思されて、

宮柱めぐりあひける時しあれば別れし春のうらみのこすな

いとなまめかしき御ありさまなり。

院の御ために、八講行はるべきこと、まづ急がせたまふ。

春宮《とうぐう》を見たてまつりたまふに、こよなくおよすけさせたまひて、めづらしう思しよろこびたるを、限りなくあはれと見たてまつりたまふ。御|才《ざえ》もこよなくまさらせたまひて、世をたもたせたまはむに憚りあるまじく、賢く見えさせたまふ。入道の宮にも、御心すこし静めて、御対面のほどにも、あはれなる事どもあらむかし。

現代語訳

お召があって、源氏の君は参内される。帝の御前にお控えになると、いよいよご立派になられて、「どんなふうにあんな辺鄙なお住まいに何年もお過ごしになられたのだろう」と人々は源氏の君のお姿を拝見する。

女房などの、故桐壺院の御代からお仕えして、老いぼれている者たちは、悲しくて、今さらに泣き騒いで源氏の君をおほめ申し上げる。

帝も気後れするとまでお思いになって、御装束なども、格別におととのえになってお出ましになる。

帝はここ数日ご気分がすぐれず過ごしておられるので、ひどくおやつれになっていらっしゃるのだが、昨日今日はすこし調子がよいと感じられていた。

御物語をしめやかになさって、夜になる。十五夜の月がおもしろく静かなので、昔のことをあれもこれもことごとく思い出されて、涙におむせびになる。なんとなく心細くお思いになるのだろう。

(帝)「貴方と管弦の遊びなどもせず、昔聞いた楽の音なども聞かなくなって久しいことですね」と仰せになるので、

(源氏)わたつ海に…

(大海原にしずみ落ちぶれて蛭の子が脚が立たないように、身動きがとれず何年も過ごしました)

と申し上げなさると、帝はひどくしみじみと、心恥ずかしくお思いになって、

(帝)宮柱…

(こうして巡り合う時もあるのだから、あの別れた春の恨みを、今に引きずらないように)

たいそう優美な帝のご様子である。

源氏の君は、故桐壺院の御ために、八講を行うべきことを、まず取り急ぎご準備になられる。

東宮を拝見すると、たいそうご成長なさって、源氏の君をめずらしく思ってよろこんでいらっしゃるので、君は限りなく胸がつまる思いで拝見される。

御学才も格別にすぐれていらして、世をお治めになるのに差し障りがあろうはずもなく、賢くお見えになる。

君は入道の宮にも、御心をすこし静めて、御対面になったが、その折も、しみじみ胸にしみる多くの事があったのだろう。

語句

■老いしらへる 「老い痴らふ」は年取って衰える。年取ってぼける。 ■十五夜 八月十五夜。同じくニ年前の八月十五夜、源氏は須磨で「恩賜の御衣」の歌を口ずさみながら、朱雀帝を慕った(【須磨 16】)。 ■かきつくし 「かきくつし」とある本も。「かきくづす」はぽつぽつとあれこれ。「かきつくす」は何もかもすべて。 ■わたつ海に… イザナギ・イザナミ夫婦が、生まれた子「蛭子」が不完全であったため海に流した『古事記』『日本書紀』の記事による。源氏が帝とは骨肉の間でありながら須磨に流された恨みをこめる。「次ニ蛭児ヲ生ム。已ニ三歳ニナルマデ脚猶立タズ、故《かれ》之ヲ天盤櫲樟船《あめのいわくすぶね》ニ載セテ風ノマニマニ放チ棄ツ」(日本書紀・神代紀上)。「かぞいろはあはれと見ずや蛭の子は三年になりぬ足立たずして」(日本紀 竟宴歌 大江朝綱)。 ■心恥ずしう 帝はご自身の至らぬせいで源氏を須磨に下らせたと思い罪悪感を抱く。 ■宮柱… 「宮柱」は「めぐりあふ」の序詞。イザナギ・イザナミ二神が、子作りのとき宮柱を廻った神話による。「別れし春」は源氏が須磨に下った時。 ■院の御ために 故桐壺院の追善供養のために。 ■八講 『法華経』八巻を、一日二巻、四日間にわたって講釈する法会。 ■よろこびたるを 「よろこびたまへるを」とある本も。 ■たもたせたまはむに 「たもちたまはんに」とある本も。

朗読・解説:左大臣光永

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